泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

努力は報われる?

2021-04-19 21:37:51 | フォトエッセイ
 今日はゆったりと長く走りました。
 緑の濃いところを、深い呼吸を繰り返して、一歩ずつ。
 体をほぐすように。
 というのも、今月は背中の張りがあり、首筋から肩にかけて凝っていて。
 春は天気が目まぐるしいから、ただでさえ自律神経が乱れるのに、最大のストレスであった原稿の提出も重なって。
 住環境が変わる人も多いでしょう。だから春は、結構危険でもある。
 22年前、初めて一人暮らしして、初めて小説らしきものを仕上げて、初めて「すばる文学賞」に応募して、その後。
 転げ落ちていった。乱れに乱れて、鬱病まで至った。死の隣まで。
 あれから22年経った。22年経って鬱病に至ったのなら、もう22年経てば、新しい人生が開ける、はず。
 そう思いながら、また落選したらどうしよう? とも思う。
 努力は報われるのか?
 海原純子さんという心療内科医で歌手で物書きという方がいらっしゃいます。
「新・心のサプリ」を毎日新聞の日曜版に連載されていて、毎回楽しみに読んでいます。
 本当に、私が言いたいことを、私より上手に書いてくれている。
 前回は、「努力は報われるのか?」というテーマでした。
 重松さんの「カレーライス」にも、最後の短編「卒業ホームラン」が同様のテーマだった。
 水泳で、白血病から復活した池江璃花子選手を取り上げ、並々ならぬ努力があったことを賞賛した次に、病気が寛解せず、闘病生活を続けざるを得ない人たちもたくさんおり、その人たちの努力は報われなかったのか、と。
 病気は癒えずとも、調子のいい一時間でも本当にやりたいことをやったとき、それは宝物になる。だから、努力とは、その人自身が体験する質に結晶するのだと。
 小説を書くことに生きがいを感じ、ずっと上達していきたいと大事に付き合っていくこと。その向き合う時間を宝にできること。私自身が生き生きと働き、そのことで周りの人たちにも何がしか良い影響を伝えられるのなら、私の日々の努力は日々報われている。
 思い出すのは、私の究極の目的は、自死予防であること。人が生きるために働くということ。
 藤には、藤棚が必要。頑丈な「つる」があっても、巻きつく相手がいなければ立つこともできない。
 菊田和弘には本が必要なのであって、その副産物として何がしか書くこともできるようになった。
 いや、本と書くこと、どっちが先なのかはわからない。
 とにかくどっちも必要で、その相互作用が私を作っている。

 はー。
 肩の力を抜いて。
 まだまだちっちゃな自分だ。

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