泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

2022-11-23 10:48:58 | 読書

「バウムテスト」という心理テストがあります。「バウム」は、ドイツ語で「木」のこと。「バウムクーヘン」の「バウム」と同じです。
 カウンセリングを学んでいたとき、受けました。結果が衝撃だったのでよく覚えています。
 黒い線で縁取られた長方形の白い紙に、「一本の木を描いてください」(だったと思います。詳細は忘れました)と教示されて鉛筆を手に持ちます。
 絵の上手い下手ではなく、描いた人の心理状態が投影されます。
 で、そのとき描いた私の木は、幹が太くて立派なようでしたが、根が土に入っていませんでした。というか、土、大地を描いた覚えがない。要するに、剥き出しの木だけを描いてしまったのであり、木は浮いていることになっていた。そこには、当然ながら、不安が現れ、孤立感が満載だった。しっかりした所属、四方に広がる信頼で結ばれた人間関係も発達していなかった。まさに地に足が着いていなかったということです。
 今日、「木」を読み終えて、もう一度バウムテストをしてみました。
 しっかりと根付き、枝葉も伸びて元気そうです。雲や根の近くに生えた花ニラなんかも描いている。
 人と木は、人類が生まれたときからのお付き合い。木がなければ生き延びることもできなかったでしょう。だから深く、木は人の心に根付いています。
 で、この本ですが、幸田露伴の次女である幸田文が、全国の木を訪ねて描き出した随筆集。亡くなってから出版された遺作でもあります。
 とにかく文章が素晴らしいです。柔らかいのに品があって、緊張感があるのに息苦しくはなく、膨らみや温もりがあります。
 北海道の森で、倒れた蝦夷松の上に赤ちゃん松たちが一列に立ち上がっていく様子。「あて」と呼ばれる木材として使えない瘤(こぶ)を、あえて切ってもらったときの抵抗や跳ね上がり。木には木の、木材には木材のいのちがあるという頭領の話。幼い娘が高価な藤が欲しいと言ったのに買い与えず、父にこっぴどく叱られたこと。おんぶしてもらってまで訊ねていった屋久島の縄文杉のショッキングな不格好さ。
 縄文杉は、樹齢七千年とも言われますが、病気の元となる悪い菌が生きられないほど厳しい環境だから生き永らえているという話も印象的です。
 佐伯一麦氏による「解説」もまた秀逸だったので、その出だしを書き写します。

 一九九〇年十月三十一日に作者が八十六歳で亡くなった後、一九九二年に遺書として出された本書を単行本で読み終わったときに、私は、いい文章を読んだ、というよろこびに深々と浸った。
 いい文章とはどんなものか。例えば、サマセット・モームが『要約すると』で、こんなふうに語っている。
「いい文章というものは、育ちのいい人の座談に似ているべきだと言われている。(略)
 礼儀を尊重し、自分の容姿に注意を払い(そして、いい文章というものは、適当で、しかも控えめに着こなした人の衣服にも似ているべきだとも、言われているではないか)、生真面目すぎもせず、つねに適度であり、『熱狂』を非難の眼で見なければならない。これが散文にはきわめてふさわしい土壌なのである」(中村能三訳)
 英国人のモームの言っていることが、幸田文の鍛えられた日本語の文章の魅力をいちいち言いあてていることに、私は驚く。
 モームが列挙している「土壌」の条件を裏返してみると、戦後五十年間の日本の社会が浮かび上がるようだ。曰く、礼儀を軽視し、派手な流行をこれ見よがしに身にまとい、軽薄かもしくは生真面目すぎ、つねに偏りがちであり、「熱狂」に染まりやすい。そして、その中で膨大に書き流される文章は、「育ちのいい人の座談」どころか、育ちも趣味もかんばしくない人の仮装行列のよう……。

 木の名前って、なかなか覚えられませんね。
 イチョウみたいに際立った特徴を持っている木の方が少ないのではないでしょうか。
 近くの神社にある巨木はケヤキだと思ってましたが、どんぐりを見て調べればシラカシでした。クヌギとコナラもすぐごっちゃになる。
 モミジとカエデも混乱する。モミジは、もともと「モミズ」という動詞からきており、秋に紅葉・黄葉することを指していました。特に美しいモミジの代表はイロハモミジでしょう。でも、イロハモミジはもともとカエデの仲間。そしてカエデは、無数に種類があります。ちなみにカエデは、蛙の手に似ていることに由来します。
 きれいに赤くなるからといって、カエデとも限りません。ナンキンハゼの葉もまたとてもきれいにモミジします。
 散歩しながら、走りながら、旅しながら、木と巡り合うのもまた楽しいことです。
 一本の木を、季節ごとに眺めることも。
 文さんは、木は年に四度、四季ごとに観ないとわからないと言います。本当にそうですね。
 ゆるく、これからも木のこと、知っていきたいと思います。
 木々が、人の住める空気と大地を支えているのですから。
 ときには美味しい実も授けてくれる。涼しい木陰も提供してくれる。
 木材となって家を支えてもくれる。
 鉛筆も紙も本も、元は木。
 ああ、なんてありがたいのか。

 幸田文 著/新潮文庫/1995

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