昨年の5月に続いて、2度目の宮城県仙台市、荒浜へ。
昨年は海からの風がものすごくて、時間もあまりなく、急足になってしまっていました。今回は昼には入って、じっくりと見て、聞いて、感じ取ることができました。風は穏やかで、ほんの少しの小雨程度。写真は、荒浜の海です。とても美しかった。
荒浜小学校の中も、改めて、じっくりと。
明治時代から、140年以上もの歴史がある荒浜小学校。荒れる海は豊かな漁場。松林にはキノコがたくさん生え、貞山堀と呼ばれる運河にはシジミがいっぱい。江戸時代、侍たちが開拓した農地にはコメも実った。先祖への感謝の思いを新たにし、未来への希望を込めた祈りを捧げる灯籠流し。深沼海水浴場には多くの客たちであふれた。独特の文化を築き上げ、活気と人情に満ちた町。
7メートルの津波。やっぱり信じられませんが、この震災遺構に生まれ変わった荒浜小学校に行けば、記憶も新たに生まれます。
地元の人たちでさえ、津波が来るって言っても、1メートルくらいだろう、とか、そもそも津波は来ないと思っていた人もいました。
荒浜小学校の屋上に避難した人たち(およそ320名)は全員助かりましたが、荒浜小学校に通う児童1名を含む、およそ200名が津波に飲み込まれました。
小学校の体育館にあった時計です。津波に襲われた時間で止まったまま。
図書室があった場所で、長く時間を過ごしました。NHKの録画番組を視聴することができ、津波被害から4年経ってやっと稲作を再開した農家たちの姿を見聞きしました。
本もたくさんあり、いくつか読みました。
なかでも、「はしれ、上へ! つなみでんでんこ」(ポプラ社)のラストは印象的でした。
本当に、私たちは、海との付き合い方を忘れてしまったのかもしれません。恵をもらうばっかりで。
荒浜小学校にある小さな椅子に座って、お尻を痛くしながら、吸収すべきことはまだまだあった。
そして、私たちが伝えていくこと。その地に立って、感じて、初めて形になるものたちがありました。
翌日は、東北・みやぎ復興マラソンを走るのですが、そこでも共通していたのが、この地で見て聞いて感じたことを、ぜひ持ち帰って今度はあなたから伝えていって欲しい、という現地の願いです。
そう、私は、昨年荒浜を訪ねてから、小説の構想が一気に膨らんだ。そしてちょうど一年前の気仙沼大島のつばきマラソンを走って戻ってから書き始めています。
荒浜という地が、今書いている小説にとってとても大事なものになっています。それは、私なりの伝え方。
どうぞお書きになってください。そうおおらかに託されたような感じです。
主人公たちの今を感じながら、改めて、大きく呼吸ができた。そして背を押されました。
多くの命を救い、風化に抗う拠点としてあり続ける荒浜小学校。私からも、ありがとう。
また会いに行きます。
昨年は海からの風がものすごくて、時間もあまりなく、急足になってしまっていました。今回は昼には入って、じっくりと見て、聞いて、感じ取ることができました。風は穏やかで、ほんの少しの小雨程度。写真は、荒浜の海です。とても美しかった。
荒浜小学校の中も、改めて、じっくりと。
明治時代から、140年以上もの歴史がある荒浜小学校。荒れる海は豊かな漁場。松林にはキノコがたくさん生え、貞山堀と呼ばれる運河にはシジミがいっぱい。江戸時代、侍たちが開拓した農地にはコメも実った。先祖への感謝の思いを新たにし、未来への希望を込めた祈りを捧げる灯籠流し。深沼海水浴場には多くの客たちであふれた。独特の文化を築き上げ、活気と人情に満ちた町。
7メートルの津波。やっぱり信じられませんが、この震災遺構に生まれ変わった荒浜小学校に行けば、記憶も新たに生まれます。
地元の人たちでさえ、津波が来るって言っても、1メートルくらいだろう、とか、そもそも津波は来ないと思っていた人もいました。
荒浜小学校の屋上に避難した人たち(およそ320名)は全員助かりましたが、荒浜小学校に通う児童1名を含む、およそ200名が津波に飲み込まれました。
小学校の体育館にあった時計です。津波に襲われた時間で止まったまま。
図書室があった場所で、長く時間を過ごしました。NHKの録画番組を視聴することができ、津波被害から4年経ってやっと稲作を再開した農家たちの姿を見聞きしました。
本もたくさんあり、いくつか読みました。
なかでも、「はしれ、上へ! つなみでんでんこ」(ポプラ社)のラストは印象的でした。
本当に、私たちは、海との付き合い方を忘れてしまったのかもしれません。恵をもらうばっかりで。
荒浜小学校にある小さな椅子に座って、お尻を痛くしながら、吸収すべきことはまだまだあった。
そして、私たちが伝えていくこと。その地に立って、感じて、初めて形になるものたちがありました。
翌日は、東北・みやぎ復興マラソンを走るのですが、そこでも共通していたのが、この地で見て聞いて感じたことを、ぜひ持ち帰って今度はあなたから伝えていって欲しい、という現地の願いです。
そう、私は、昨年荒浜を訪ねてから、小説の構想が一気に膨らんだ。そしてちょうど一年前の気仙沼大島のつばきマラソンを走って戻ってから書き始めています。
荒浜という地が、今書いている小説にとってとても大事なものになっています。それは、私なりの伝え方。
どうぞお書きになってください。そうおおらかに託されたような感じです。
主人公たちの今を感じながら、改めて、大きく呼吸ができた。そして背を押されました。
多くの命を救い、風化に抗う拠点としてあり続ける荒浜小学校。私からも、ありがとう。
また会いに行きます。
コメントありがとうございます。
私は東京の郊外出身ですが、両親が気仙沼生まれで、小さいときからよく東北の海には触れていました。
今でも、年に一回は行きたくなります。
震災があってから走るようになりました。
なので、私にとっては、震災前と後では明らかに異なるのですが、荒浜に行くと、原点を思い出させてくれます。
そんなさまざまな思いが登場人物たちになっていったと言いましょうか。
やっとフルマラソンの疲れも癒えてきましたので、私の好きな冬、小説を進めます。
岩手の海沿いの植物たち、ブログ楽しみに拝見しております。
初めてコメント致します。
この小学校へ行ってその惨状を目の当たりにしたのはもう10年ぐらい前でした。
日和山と言う小さいお山へも行ってみました。
弔いの最中で一緒に手を合わせました。
大きなヒマワリが暑さの為か首を垂れて萎れかかっていたのが印象的でした。
ぼくは海になった」という本、テンデンコの本読みました。
自分は被災してはいませんが、絶対忘れてはいけないのですね。
本を書かれているのですね。
出来上がりましたら、読んでみたいと思います。
コメント書くのを迷いましたが、やっぱり書きます。
岩手県の沿岸地方に住んでいる者です。
必ず、送りますから。
仙台は、「ふるさと」です。
同じ大学に通った仲間がいてくれて、行くたびに会って、話をするのがとても楽しいです。
ここ3年ほど、続けて仙台を訪れています。
荒浜はに行ったことはないけれど、大島はね。