泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

気仙沼市復興祈念公園

2022-11-09 16:25:57 | 
 この彫刻は、気仙沼市の鹿折地区から少し登った安波山のふもとの陣山に造られた気仙沼市復興祈念公園にあります。
 言葉やパネルの展示だけでは伝えきれないものを伝える「伝承彫刻」です。
 復興祈念公園には3体の伝承彫刻があり、写真に撮ったのはその一つで「海へ」。他に「ごめんね」と「よかったね」があります。
 作家は皆川嘉博(みながわよしひろ)さん。秋田公立美術大学の准教授だそうです。
 下から登っていくと、「ごめんね」が迎えて、「よかったね」と出会い、「祈りの帆(セイル)」と呼ばれる白い帆に見立てた空間の中に入ると、正面に気仙沼湾が見え、献花台があり、祈りを捧げることができます。白い帆の中で、人目を気にせず、包まれるような明るい安らぎを感じながら。そして「祈りの帆」から出て、右手の一番の高台に「海へ」があります。
 それは、大津波が来ても、多くの犠牲者が出ても(亡くなった方達のお名前が、住まれていた地域から集まるように、公園の中央に彫られています)、「海とともに生きる」気仙沼の人たちの祈りの姿を代表するもの。
 この場所には、マラソン大会の翌日に来ました。この後、安波山にも初めて登りました。気仙沼の海がよく見える場所です。海とともに生きてきた気仙沼の人たちの原風景と言ってもいい場所かもしれません。震災前にはなかった橋が2本かかっています。気仙沼大島大橋(鶴亀大橋)と気仙沼湾横断橋(かなえおおはし)。



 復興のシンボルでもある2本の大きな橋のおかげで、住む人たちは格段に便利になったと言います。以前は船しか交通手段がなかったから。
「おかえりモネ」というNHKの朝ドラのおかげで、ドラマのゆかりの地は観光客で賑わうようにもなってきています。「気嵐(けあらし)」という、よく冷えた朝方に朝日を浴びて海から立ち上がる霧も有名になりました。
 2本の橋を車で渡って大島に入ると「ウェルカムターミナル」が迎えてくれます。私の親戚もお店を出しています。観光案内所もあります。お土産もたくさん買って、コーヒーもいただきました。が、その場所こそ、以前は更地だった場所。更地の前の賑わいも覚えており、記憶がミルフィーユのように重なって重なっていきました。ゆっくりと。
 大島の南端は「龍舞崎(たつまいざき)」と呼ばれ、まるで龍が舞うように荒々しく波が岩にぶつかっています。露出する岩たちは、地質学的に貴重で、約1億4500万年前の白亜紀のもの。アンモナイトやサンゴの化石が発見されています。子供の頃以来、散策してきました。松林が陸を守っているのがよくわかった。
 大島の北には亀山があります。山頂の少し下に大嶋神社があり、初めてまともに参拝してきました。1000年以上の歴史がある神社。対応してくれた奥様と話もできてよかった。おみくじは「吉」でした。両親に長寿のお守りをペアで買い、私には「縁結び守」を買いました。亀山の山頂も整備されて進化していました。4年後にはケーブルカーを設置する予定だと知りびっくり。どんどん変わっていく。前に来たときは、火事で焦げた松たちの姿が丸見えで痛々しかったけど、今回はずいぶん緑が増えていてほっとしました。
 気仙沼の内湾地区には行けなかったので、次回の楽しみにしておきます。気仙沼の陸側の南端にある岩井崎まで行き(そこはおじいちゃんに連れて行ったもらった記憶があります)、震災遺構として保存された元気仙沼向洋高校、現在の気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館を訪ね、リアス・アーク美術館を楽しむ。帰ってきたばかりなのに、もう次の計画が出てくる。次は一人で行くかどうかわからないけど、一ノ関からレンタカーかな。一ノ関から気仙沼までの道も新しくなっており、快適でした。
 仙台もそうだけど、気仙沼も私のふるさとであり、再訪するたびに発見があって尽きません。食材も魅力も溢れており、ご先祖たちが(気仙沼はアイヌ語からきていると聞きました)住み着いたのもよくわかりました。海水温の上昇によって、名産だったイカや鮭にイクラやサンマも獲れなくなった。一方で今まで獲れなかったブリやノドグロもいると言います。柚子に椿油、最近はオイスターソースも名産となっています。変化を受け入れつつ、進化していく。
 変わらないのは人々の心の温かさ、おもてなしの手厚さでしょうか。
 一人ひとりが、津波が来ても、コロナが来ても、生きている。一人ひとりに、固有の言葉があり、歴史があり、思い出があり、景色があり、仲間があり、家族があり、傷があり、文体があり、心があり、人生がある。当たり前だけど、当たり前ではなかった奇跡を、会うことによって、話しあうことによって、ともにいることで、確かめ、満たすことができました。
 私は、東京の東村山から行ったのだけど、なんか宮城の気仙沼から行った気がしています。私は、気仙沼から来たのだと。
 頼もしく、賑やかな、バックアップしてくれる人たちがいて、初めて自分は自分の道を心おきなく進むことができます。私は私の仕事を進めることができます。
 小説を、十分に書き尽くすことにつながっていきます。
 感謝を深める旅でもありました。

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