泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

中尊寺金色堂

2022-05-14 22:05:51 | 
 仙台からバスで1時間半、岩手県の一関へ。そこからまたバスで20分ちょっと。初めて中尊寺に行きました。マラソンの翌日です。
 きつい月見坂を登っていくと、右手に中尊寺、そして左奥に金色堂が待っていた。
 その日の平泉は五月晴れ。好天もあって、ここが浄土かと思うほど、空気がおいしく、清々しかった。小鳥たちのさえずりも耳に心地よく。
 中尊寺は、敵味方の区別なく、戦争で亡くなった方たちを弔うために建てられました。その奥州藤原家も、戦争に巻き込まれて滅亡してしまいました。平安時代末期のこと。源氏が平家を倒し、また源氏の内部抗争(兄弟喧嘩?)に巻き込まれる形で。
 平泉には豊富な金があった。また名馬の産地でもあり、豊かな文化を作り上げることができた。
 たくさんの宝も残されています。金色堂が最たるもので、建造物としては唯一のもの。撮影は禁止です。基本的に墓ですが、仏像に地蔵に金箔に貝細工。もう至れり尽くせり。そんな浄土が守られてきたのは、この地を作った人の優しさがあまねく伝わっていたからなのでしょう。本当の心というか。
 平安時代の末期は、怨霊や裏切りや流言、憶測、主従関係の不安定、税を取られる農民の不満、不満を代弁する武士の登場、殺し合いの果てしない連鎖、などなど、平和に生きることが難しかった時代と想像します。だからこそ、極楽浄土への思いは、途方もなく大きく膨れていたのだと思う。
 さまざまなお宝を通じて、当時を想像することができる尊い場所。尊いお寺。世界遺産も納得です。
 時間があまりなかったので、地元のそばを食べることができず、もっとそこにいたかったけど、また次回に取っておきます。
 こけしは買いました。もちろん。

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