奈良博三昧「重文 東大寺戒壇院扉絵」前期展示。1巻
紙本墨画 巻子装
縦28.9 本紙長1114.0 全長11136.5
平安時代 12世紀
紙本墨画 巻子装
縦28.9 本紙長1114.0 全長11136.5
平安時代 12世紀
伝 来銘 文指定名称
高山寺旧蔵、昭和17年12月16日重要美術品認定(所有者・渋井清) |
表紙墨書「真第十一箱 戒壇院扉図 三船真人元開筆」、端裏書「東大寺戒壇院扉繪圖」、巻末識語「此一巻 東大寺戒壇院扉繪圖也云々」、紙背朱書「天平勝宝七年五(?調書は九)月亥(ヵ)」、朱文方印「高山寺」 |
紙本白描東大寺戒壇院扉絵図 「高山寺」ノ印アリ |
奈良博収蔵品データーベースから「楽器を奏であるいは花籠を捧げ持つ供養菩薩八尊と、梵天・帝釈天・四天王・二王を描く白描図像。外題や端裏書から東大寺戒壇院にかつて安置されていた厨子の扉絵を写したと推定される。同厨子は東大寺戒壇院に天平勝宝7年(755)に安置されたものであるが、治承4年(1180)の兵火で焼失してしまったため、それ以前に写されたと考えられる本品は、失われた奈良時代の扉絵の様相を伝える極めて貴重な絵画資料となっている。かつて京都・高山寺に伝来し、建長3年(1251)に編纂された『高山寺経蔵聖教内真言書目録』にも記載される。なお、本品に描かれる梵天・帝釈天・四天王の六尊の図像については、平安時代後期成立と考えられる倶舎曼荼羅(東大寺蔵)中に描かれる六尊と像容・法量がほぼ一致する。さらにこの六尊の図像のみに付される色注も、倶舍曼荼羅中の六尊の彩色とほぼ一致することから、両者がともに、失われた原本の姿を忠実に伝える極めて近しい関係にあることをうかがわせる。 楽器を奏であるいは花籠(けこ)を捧げ持つ供養菩薩を二尊ずつ描く八図と、梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)・四天王(してんのう)・二王の八図をあわせた、合計十六図からなる白描図像。表紙の外題、紙背の端裏書、巻末の識語から、東大寺戒壇院にかつて伝来した厨子の扉絵を写した白描図像と知られる。同厨子は、三部の八十巻本『華厳経』を納入するために製作され、唐僧・鑑真(がんじん)(六八八~七六三)の来朝を契機に建立された東大寺戒壇院に、天平勝宝七歳(七五五)九月頃に安置されたもの。ちょうどこの時期に「戒壇堂」および「厨子所」での活動が確認できる造東大寺司所属の画工・上楯万呂(かみのたてまろ)が、扉絵の制作に従事した可能性が高い。この厨子は治承四年(一一八〇)の兵火で焼失してしまったため、本品は失われた扉絵の様相を伝える極めて貴重な絵画資料となっている。樹下に人物を配する画面構成、樹木や岩の形態・皺法(しゅんぽう)などが正倉院宝物の鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)や漆物龕扉(うるしぶつがんとびら)に描かれるものに近く、供養菩薩の背後に描かれる宝相華が、天平宝字二年(七五八)に始まる東大寺大仏殿の堂内彩色に用いられた可能性がある造花様(ぞうかよう)(正倉院文書所収)と細部まで表現が一致するなど、総じて本品は鑑真請来図様の影響を受けたと見られる扉絵原本の姿を忠実に写していることが分かる。ところで、本品に描かれる梵天・帝釈天・四天王の六尊の図像については、平安時代後期成立と考えられる東大寺所蔵の倶舎曼荼羅(くしゃまんだら)170に描かれる六尊と像容がほぼ同一で、両者の法量もほぼ寸分違わず一致する。さらに本品においてこの六尊の図像のみに付される色注も、倶舎曼荼羅中の各尊の彩色とほぼ一致することから、両者がともに失われた原本を忠実に伝える極めて近しい関係にあることをうかがわせる。なお巻頭部分に捺される「高山寺」の朱印や、表紙や紙背に記される「真第十一」の墨書から、建長三年(一二五一)に編纂された『高山寺経蔵聖教内真言書目録』に「真第十一」と分類される聖教類のうち「東大寺戒壇院扉繪圖一巻」が本品に相当するとみられる。
(谷口耕生)
平城遷都一三〇〇年記念 大遣唐使展, 2010, p.331-332 」
(谷口耕生)
平城遷都一三〇〇年記念 大遣唐使展, 2010, p.331-332 」
https://www.narahaku.go.jp/collection/1423-0.html