ある女性整体師の日記

おかげさまで22周年!吉祥寺の「バキバキしない」まじめな整体院 きむらカイロプラクティック・吉祥寺

福島県 縄文の旅2

2023年12月19日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

11:30到着。


じょーもぴあ宮畑 


とにかく寒い。


憩いの広場のトイレに寄る。

木の匂いがよい。きれいだし。

日本はどこも基本トイレがきれいだ。

ありがたい。








露出展示棟

入れなさそうにみえて
ちゃんと中に入れます。


おおー、
ちゃんと保存されてるー。
乾燥しないように処理したり、
大変だろうなぁ。


湿度でメガネがくもる。



加曽利B式がイコール縄文時代後期ってことだったかな、確か。




遺跡のすぐ近くを阿武隈川が流れていたんだと。

割れたのやら、割れてないのやら
たくさんでてきたみたい。

なぜ使える土器も割れた土器もと一緒にあるのか?水が漏れたりしたのかしら。

ここでは捨て場、送り場と説明されている。

使った土器に魂が宿ると信じていたのか。


うちでは身代わり信仰があって、
誰かのお茶碗やコップが割れると
あー、なにかしらの災いから守ってくれたのねー、ありがたい、良かったね
と子どもたちには言っている。

お気に入りほど、ネガティブからポジティブに転換できるでしょ。

1号敷石住居

埼玉県にもあったように
ぬかるみやすい地に石を敷いて 
足場を歩きやすいようにしたのかも。


河原の石を運んできて敷き詰めるなら、
女子供もみんなで手伝えそうだ。


体験学習施設の中へ。

あんら、素敵な天井ではないですか。

観覧料ひとり200円をお支払いして、
展示室へ。


凝ってますよー。

割れた土器の復元て…
わたしジグソーパズルは好きなほうだが、
地道な作業だろうと想像すると、
頭が下がる。


平成10年、宮畑遺跡で直径2m、深さ2mの大きさの柱穴が発見された。

掘立柱建物だ。柱の直径は約90cm!

縄文時代の建物の中では

全国でも最大級の柱なのだ。




こんな大きな建築物を建てる人間の知恵の果てしなさよ。

樹齢100年のクリの木が使われたらしいが、クリの木ってそんな大きくなるのか。
重さは3トン以上!?
ピラミッドと同じように脚光浴びていいのでは?
縄文が格差社会ではないなら、
つまり奴隷の労働による建築ではなく、本当にみんなで協力して成し得たことならば、さらに意味深いと思う。

漆の保存容器

ここでも漆に出会う。

赤漆を塗った製品は、まつりや祈りの道具として用いられたと考えられている。


割れた土器を直す接着剤として使うなんて、

なんて言ったっけ、あぁ

金継ぎ、だ

思い出した。


金の使用が後世なら

その起源なのかもしれない。


赤い色の原料は何かしら?


漆塗りの土器 耳飾り(上岡遺跡)



漆塗りの耳飾りでかぶれちゃった!

なんて人はいなかったのだろうか。

そして、
ついに、


キター—————!
しゃがむ土偶 ぴーぐー!


よくみるとお腹がすこーし出てる。
妊婦さんをあらわしているようです。


でもスマートです。
うちの妹と同じ妊娠7ヶ月くらいかな?


幼児の墓

途上国では現在でもそうであるように
新生児や乳幼児の死亡率はかなり高かっただろう。

宮畑遺跡では縄文時代晩期の幼児墓群が掘立柱建物の近くで見つかっている。

周囲に大人の墓は見当たらず、

小さい子だけのお墓エリアだったわけだ。


今までいくつか縄文の集落跡を見てきたが

年月を経て、どんどん面積が大きくなっていったという話は聞かない。

引越しか、他のムラにムコや嫁にいくのか、

もしくは人口が一定なのか。


短命な上、子どもの死亡率も高いからこそ

亡くなった子も大事に埋葬し、

育った子もこれまたみんなで大事に育てたに違いない。


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