ひたちなか埋蔵文化財調査センターの続きです。
ひたちなか市では旧石器時代から人が住んでいたんだなぁ。
注口土器
これなんか見た感じすき↓
ぽつぽつ模様って面白い。
弥生時代中期の土器
水の紋様みたい細い筋が美しい。
土器をつくる技巧を考えると、いま考えられている竪穴住居があんな粗末だろうか?
毎回チグハグさを感じる。
いや、住居がシンプルというのは
最終形なのかもしれない。
こないだ旦那と話していたんだけれども、
この日本において住居を長く住み続けるためにしっかり作るということはナンセンスなのではないだろうかということだ。
お尻には穴と鈴
最近は色々な埴輪に会えるので
大きな馬の埴輪にもびっくりしなくなってきた。
ちゃんと土偶に鼻の穴もあるよ
いろいろな紡錘車(ぼうすいしゃ)
↑「埋文だより56」より
↑「埋文だより56」より
三反田(みたんだ)遺跡から、いろいろな地域の特徴をもつ土器の出士があり、人々が移住してきたのではと考えられるようだ。
古墳時代前期の可能性がある丸木舟が2艘埋まっているそうで、那珂川河口域は水上交通の要だったかも、という分析も読んだ。
S字状口縁甕
S字状口縁甕とは
伊勢湾沿岸部を中心にして、2世紀から6世紀にかけて分布する台つき甕。
異常に薄く軽くできているらしいので、触ってみたいな。
古墳時代後期 円筒埴輪
人物埴輪
我が家にあるのと似た小鉢あった。
人物埴輪
我が家にあるのと似た小鉢あった。
埴輪の脚の部分
この写真に思わず見入る。個人的に心をつかまれた。
馬渡埴輪製作遺跡は昭和39年、中学生がユリの球根掘りの際に、偶然「馬形埴輪」を発見したとある。
その後の調査により、大規模な埴輪製作遺跡であることがわかり、
窯跡19基、住居跡2基、工房跡12基、粘土採掘坑25カ所以上という
埴輪工場地帯?が発見されたのである。
ここで焼かれた埴輪が各地へ運ばれたと考えると、
私が想像している以上にものづくりの製造、流通のシステムができあがっていたのだ。
磯崎東古墳群
この写真に思わず見入る。個人的に心をつかまれた。