東日本大震災から12年。
12年前のこの日。ボクは、ちょうど地方選挙の候補者として選挙に望もうとしていた年。その日は宣伝カーで町をまわり、橋の上で演説をしているところでした。
街灯が大きく揺れ、橋も大きく揺れ、この世の終わりか…。と思うくらい。
揺れが収まり、宣伝を中断して事務所に戻る途中では、大きくヒビが入っている建物もありましたが、その時はどこが震源地なのか、どういう状況なのかということもわかりませんでした。事務所に戻りテレビをつけ、震源地を知り、とにかくたいへんなことが起こったと…。
その日の夜は、都内の交通機関が全面ストップ。余震も続き、帰宅困難な状況になった人たちが列をなして歩いて事務所の前を通りすぎていき、トイレを貸してほしいという方も多かったので、その日は遅くまで事務所を開けっぱなしにしていました。
だんだん東北地方の被害状況や津波の被害も明らかになり、福島第一原発事故も明らかになりました。
地方選挙は4月だったので、ボク自身、選挙活動をしている場合なのだろうか?という疑問をぬぐえぬまま選挙は終わり、落選。まあ、そりゃそうです。中途半端な気持ちのままでは勝てるはずもない。きちんと自分の「政治をかえたい」という意志を貫くべきだった。
それから、何度か被災地ボランティアに参加しました。その都度感じてきたのは、被災者のみなさんの優しさ。自分の家族を亡くさられた方もたくさんいらっしゃいました。でもいつでも温かく迎えてくれ、逆に勇気をもらいました。
それと同時に感じたのは国(政府)のだらしなです。『絆』という言葉で、ボランティアに頼る被災地支援。もちろん自衛隊のみなさんをはじめたくさんの方が動いてくれているのもわかっています。しかし、避難所の問題、仮設住宅の問題、被災した住宅支援の問題、原発事故の問題…どれをとっても足りないし、何より現地の苦しみがわかっているのか?と疑問に思うことが多かったです。
12年たった今でも、3万人に及ぶ方たちが避難を強いられています。多くは、原発事故の影響を受けた方たちです。国や福島県は、帰宅困難地域が解除になった町に関しては、住民に対して帰ってくるよう即しているようですが、事故の収束がまったく見えていない今、形だけでは町の再生、生活の再生はできません。
政府は原発再稼働、新たな原発開発を進めていこうとしています。12年たって、コレです。
この国は何も変わらない、変わろうとしない。ほんとうの苦しみをわかろうとしない。
国が変わらないなら、民が変わらないといけない。
ほんと、その気持ちは大きくなっています。