今日学校に行くと、明らかに子ども達のわたしを見る目が違った。
正門をくぐると、低学年の子は抱きついてきて、わたしを必死に慰めてくれてているようだった。
高学年の子は私の周りに集まって「家族は大丈夫か?」と心配そうに声をかけてくれた。
もちろん、先生たちも。
1時間目に授業をした4年生のクラスでは、映像を見て泣いたとか、日本のために祈っていると言ってくれる子もいた。
みんなが家族のことを心配してくれたように、世界共通で「家族」はかけがえのないものだ。
そして、みんなが日本のことを心配してくれたように、世界共通でひとつの「国」はかけがえのないものだ。
そう考えると、家族同士や国同士で争いあうことが、なんて哀れでなんて醜いことなんだろうと思えてくる。
わたしは、算数の授業を始める前に4年生の子どもたちにこう言った。
「あなたたちは、幸せです。ここで友達と話すことができて、先生たちもいる。そして、勉強することができる。
日本では、地震で亡くなった子どもたちがたくさんいる。だから、あなたたちはがんばって生きてください。」
スペイン語で、必死に伝えた。
このようなことを言うのは初めてだったかもしれない。
子どもたちは真剣に聞いてくれていた。
祈ってるよとたくさんの人が声をかけてくれた。
ボリビアに来て今日ほど、人のやさしさを感じたことはなかった。
世界はひとつ。
みんなの手で、日本を。
正門をくぐると、低学年の子は抱きついてきて、わたしを必死に慰めてくれてているようだった。
高学年の子は私の周りに集まって「家族は大丈夫か?」と心配そうに声をかけてくれた。
もちろん、先生たちも。
1時間目に授業をした4年生のクラスでは、映像を見て泣いたとか、日本のために祈っていると言ってくれる子もいた。
みんなが家族のことを心配してくれたように、世界共通で「家族」はかけがえのないものだ。
そして、みんなが日本のことを心配してくれたように、世界共通でひとつの「国」はかけがえのないものだ。
そう考えると、家族同士や国同士で争いあうことが、なんて哀れでなんて醜いことなんだろうと思えてくる。
わたしは、算数の授業を始める前に4年生の子どもたちにこう言った。
「あなたたちは、幸せです。ここで友達と話すことができて、先生たちもいる。そして、勉強することができる。
日本では、地震で亡くなった子どもたちがたくさんいる。だから、あなたたちはがんばって生きてください。」
スペイン語で、必死に伝えた。
このようなことを言うのは初めてだったかもしれない。
子どもたちは真剣に聞いてくれていた。
祈ってるよとたくさんの人が声をかけてくれた。
ボリビアに来て今日ほど、人のやさしさを感じたことはなかった。
世界はひとつ。
みんなの手で、日本を。