田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

蒸気機関車「SL人吉」を見に行く

2021年07月13日 | 日々の出来事

 JR九州の観光列車「SL人吉」が毎週末に熊本~鳥栖間を走っています。本来は熊本から人吉までの列車ですが、昨年の水害で肥薩線が不通になっており、鹿児島本線を振替え運行しているのです。せっかくの機会なので久留米駅まで見に行きました。

 「SL人吉」は久留米駅で短時間停車して、終着の鳥栖駅へと向かいます。ボーッという汽笛と同時に黒煙と白い蒸気を高く噴き上げ、煙をたなびかせて走り出しました。孫たちは動いている蒸気機関車を見るのは初めてです。煙が臭いとか釜の火が見えたなどと言っていました。この日は汽笛を久しぶりに耳にしました。高音と低音が交じった懐かしい音です。

 久留米駅に停車するのは僅か1分なので、ゆっくり見ようと別の日に鳥栖駅まで出かけました。鳥栖駅は佐賀県にある明治末建築の古い駅舎です。一時は再整備や高架化の話もありましたが、いまも百年前の外観を残したまま乗降客を迎えています。

 母屋に差し掛けた小屋根を支える角柱や桁も昔のままで、白と水色の塗装もレトロ調です。

 鳥栖駅は鹿児島本線と長崎本線との分岐駅で、3面6線のプラットホームをもっています。ホームは地下通路で連絡していますが、パイプやコンクリが剥き出しで、どこかの工場を歩いているような気がします。

 ホームごとにある鳥栖駅名物のうどん屋。九州で最初に出来た立ち食いうどん店です。 ここのかしわうどんを食べるために鳥栖駅で途中下車する人もいます。サラリーマン、高校生、家族連れなど幅広い客層に親しまれています。どれも同じ駅弁屋の経営で、この駅弁屋は明治25年の創業。鳥栖駅とともに歴史を刻んできました。

 5番線から長崎行きの白いかもめが出て行こうとしています。プラットホームの屋根を支える支柱は明治期に駅が開業した時、イギリスやドイツから輸入したレールの再利用です。

 近郊区間の回送電車が側線で待機していて、いかにも鉄道の駅という雰囲気が漂っています。昭和50年代まで、鳥栖駅構内には40ヘクタールにも及ぶ操車場がありました。国鉄民営化後に操車場は廃止されましたが、まだ往時の面影が残っていて鉄道ファンが訪れます。

 操車場跡に出来たサッカースタジアム。あの辺りに2基の転車台と扇形の機関車庫がありました。左手には明治末期に生産された230型機関車が保存されています。

 「SL人吉」が入構してきました。久留米からは二駅目、時間にして10分ほどの距離です。SLは4番線に到着しますが、撮影が目的の人たちは線路を挟んだ5番ホームでカメラを構えています。

 終着直前なので黒煙は吐いていません。

 

 機関助士が罐に石炭をくべています。運転室の後ろが石炭庫です。

 石炭庫の後ろに客車が連結されています。

 

 SLはどこでも人気があって大勢の人が出迎えます。

 蒸気機関車の操作はどこで訓練するのでしょうか。

 熊本への折り返し運転まで1時間あります。本線を他の列車に空けるためにバックし始めました。留置線で待機するのでしょう。最後尾にはディーゼル機関車がついていて、帰途は先頭を走ります。

 懐かしいとはいっても、煙を吐いて走るSLを最後に見たのがいつなのかは憶えていません。山陽本線では、小学生の頃まではまだ活躍していたと思います。夏場など、トンネルに入るたびに一斉に窓を下ろしたものです。主な駅のプラットホームには手や顔を洗う蛇口が並んでいて、関門トンネルでは電気機関車を連結していたような記憶があります。

 蒸気機関車といえば映画「張込み」の導入部で、東京から佐賀まで行く長い列車シーンが当時の旅の雰囲気をよく表しています。子どものころ、父の故郷である広島県の市まで何度か行った列車旅はああいう風景でした。乗客で混雑する車内は埃っぽく、独特の匂いがしていました。車窓から眺める沿線の風景が新鮮に感じられて、自分の住む町を離れて遠いところへ来たという実感がありました。

 

 

 

 

 

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