12/28(月) 配信
★ 上記記事、 是非お読みください。 ★
以下は抜粋です。
あの場<25日>は安倍氏がみずから求めて開かれた答弁の「訂正」のための場だった。しかし、答弁は適切に「訂正」されなかった。なのに、なぜ報道はそれを看過するのか。あの場の位置づけを軽視することは、「説明責任を果たした」という安倍氏の主張に加勢することになってしまうのに。
安倍氏の国会答弁がおこなわれた翌日の12月26日。各紙は1面で、その様子を伝えた。しかし、それが何のために設けられた場だったのかが説明されず、いきなり答弁の中身に入る形での報じ方だった。
これらの報じ方では、なぜ安倍氏が議院運営委員会に「出席」したのか、わからない。通常の委員会開催ではないし、参考人招致や証人喚問でもない。安倍氏は、みずから申し出て、発言の機会を求めたのだ。「謝罪したい」と申し出たのか? 違う。「答弁を訂正する発言を行わせていただきたい」と、申し出ていたのだ。
「訂正」箇所が不明なら、質疑の前提条件が整っていない
「訂正」をおこなうとは、どこがどう間違っていたか、正しくはどうであるかを説明することだ。辞書によれば「訂正」とは、「誤りを正しくなおすこと。ことばや文章の誤りをただし改めること(日本国語大辞典)」「誤りを正しく直すこと。特に言葉や文章・文字の誤りを正しくすること(デジタル大辞泉)」だ。 しかしこれでは、答弁をどう「訂正」したのか、わからない。「これらの答弁の中には、事実に反するものがございました」と発言するだけでは、これらの答弁の中の、どの部分が事実に反していたのか、そして事実はどうであったのか、わからない。これでは答弁の「訂正」とは言えない。 例えば発表した論文について疑義が呈され、論文の内容を訂正する場合を想定してみればよい。「論文の中に、誤った記述がありました」と説明するだけで事足りるとは到底、考えられないだろう。1つ1つ、どの記述が誤りであるか、そして、正しくはどうであるか、正誤表を作って説明すべきものだ。論文そのものを撤回するのならともかく、そうでないなら、正誤表は欠かせない。
なのに安倍氏は、前夜祭に関するすべての答弁を撤回するわけでもなく、「これらの答弁の中には、事実に反するものがございました」と発言するだけで済ませている。答弁をすべて撤回するなら、予算委員会の審議時間を返せ、ということになるだろうし、議員辞職を迫られるだろう。だから「これらの答弁の中には、事実に反するものがございました」という言い方で済まそうとしているのだろうが、これでは到底、「訂正」とは言えない。
安倍氏が「答弁を訂正する発言を行わせて頂きたい」と申し出て開かれた議院運営委員会で、冒頭発言において安倍氏は、「答弁の中には、事実に反するものがございました」としか説明していない。これでは、質疑に入る上での前提条件が整っていない。「やり直し」を命じてよいレベルだ。
●安倍晋三「ただいま理事の方々からご指摘がございましたが、答弁の中で4点申し上げたところでございますが、この4点についてですね、事実でないものがあったということを、で、ございますが、しかしながら、結果としてですね、事務所が支出を、桜を見る会の前夜の夕食会について、支出をしていなかった、ということも含めて、答弁の中には事実に反するものがございました、ということでございます」 ここでもやはり「事実でないものがあった」「事実に反するものがございました」としか安倍氏は答弁していない。
このやりとりは、非常に重要であると筆者は考える。「答弁を訂正する発言を行わせて頂きたい」とみずから求めておきながら、「事実に反するものがございました」と答弁するだけでは、「訂正」とは言えないからだ。そのことを吉川沙織議員は、立憲会派の筆頭理事として、看過しなかった。
どの答弁がどう訂正されたのか
安倍氏のこの時の発言をもう一度、確認してみよう。「事実に反するものがあった」と語られるだけでは、正誤表の「誤」の欄だけが記載されるのと同じだ。 しかも安倍氏は「この4点について」と語っているが、それが何を指すのか、判然としない。安倍氏が読み上げた内容は下記であり、4点ではなく5点であるように見える。このうちどれとどれをまとめて4点とみなしているのかも、わからない。 1.安倍晋三後援会は夕食会の主催はしたものの、契約主体はあくまでも個々の参加者であった。 2.後援会としては収入もないし、支出もしていない。 3.したがって、政治資金収支報告書に記載する必要はないと認識していた。 4.夕食会における飲食代、会場費を含め、支払いは個々の参加者からの支払いで完結していた。 5.以上から、政治資金規正法などに触れるようなことはないとの認識である。 正誤の問題に戻れば、「同夕食会の開催費用の一部を後援会として支出していた」という「新たに判明した事実」が冒頭発言で語られていたので、上記の「2」については、正しくは支出があった、ということはわかる。 しかし、例えば「1」の「契約主体はあくまでも個々の参加者であった」という過去の答弁については、事実はどうであったのか。この冒頭発言の中で、安倍氏は何も語っていない。本来であれば、「正しくは、契約主体は〇〇でありました」というところまで語って初めて、答弁の「訂正」となるはずだ。
本来報じられるべきだった、「訂正」なき冒頭発言
だから、本来はこの議院運営委員会の様子を報じる際には、まず、 ●安倍前首相は答弁の訂正を求めて国会に出向いた ●しかし冒頭発言で安倍氏はどの答弁をどう訂正するのか、明言しなかった。答弁の中には事実に反するものがあったとするのみであった。 ●後援会による支出の補填があったという、検察の調査によって認められた事実は、「新たに判明した事実」として語られたが、それ以外は、過去の答弁について、具体的な訂正をせずに質疑に臨んだ。 ということが報じられるべきだった。なのに、それが報じられなかった。
吉川議員らは、「具体性に欠ける」と漠然と指摘したのではなく、「これでは訂正とは言えない」と指摘したのだ。
このときの吉川議員の行動は、「反発」ではなく「抗議」だろう。
●核心答えぬ安倍前首相 議運後には「説明責任果たした」(朝日新聞 2020年12月27日) 自らの申し出による場だったということはこの記述でわかるが、
しかし、「説明したい」と申し出たのではない。
「答弁を訂正する発言を行わせて頂きたい」と安倍氏は申し出たのだ。
その違いは看過すべきではない。
「答弁を訂正する発言を行わせて頂きたい」を「説明したい」と言い換えることは、国会という場の重みを報道が軽視してしまうことになるからだ。
説明責任を果たしたという説明を通してしまう報道のあり方
議院運営委員会が25日に開かれたのは安倍氏が「答弁を訂正する発言を行わせて頂きたい」と求めたためであったが、
安倍氏はどの答弁をどう訂正するのは、明言しなかった。
しかし、そういう事情が報じられず、冒頭発言もその後の質疑への答弁も区別することないまま、この日の様子は各紙で報じられた。
安倍氏はこの国会答弁の後、ただちに記者団の取材に応じ、「説明責任を果たすことができた」と語っている。さらに次期衆院選に「出馬して国民の信を問いたい」とまで語っている。
議運後には「説明責任果たした(朝日新聞 2020年12月27日) 冒頭発言の様子を見れば、説明責任を果たしていないことは明らかだ。
なのに、冒頭発言も質疑への答弁も区別せずに発言内容を報じてしまうと、野党は「疑惑が解明されていない」と主張し、安倍氏は「説明責任を果たすことができた」と主張したという、互いの様子を両論併記するだけに終わってしまう。
それでは、国会で語ることによって「説明責任を果たした」という体裁を取ろうとした安倍氏の土俵に、報道が乗ってしまうのではないか。
あの場がどう設定された場であり、冒頭に安倍氏が何を語ったのかが整理されて報じられていれば、「説明責任を果たした」という主張は通らないことが読者に伝わるのに、それが伝わらない形になってしまっている。
筆者はそのことに非常にモヤモヤするのだ。 同25日には18時から菅義偉首相も記者会見をおこなっている。その中でこの日の安倍氏の国会答弁について、最後の質問で「説明責任を果たされたかどうか、どう感じられるのか」と朝日新聞の星野記者に問われた菅首相は、 「説明責任を果たされたかどうか。今回のことにおいて、安倍前総理は、記者会見をされて、そして国会の求めに応じて、今日、国会で説明をされているというふうに思っています。ですから、そのことにおいて説明はされてきたのではないでしょうか」 と語っている。
「国会の求めに応じて」ではなく、安倍氏がみずから申し出て発言の機会を得ておこなった答弁であるにもかかわらず、このようにその位置づけが都合よく「上書き修正」されてしまう。
報道がこの議院運営委員会の位置づけを適切に報じなければ、このような「上書き修正」がおこなわれたということさえ、市民は気づけないのだ。それだけ報道の役割は大きいのだ。
なお、筆者は25日夕方に朝日新聞の取材を受けた。26日朝刊に、上にも紹介した下記の朝日新聞の社会面の記事で、筆者のコメントが田原総一朗氏のコメントと共に掲載されている。
●秘書任せの安倍前首相 田原氏も「全く緊張感感じず」(朝日新聞 2020年12月26日) その中で、筆者のコメントは、こう掲載された。
“自ら答弁を訂正したいと申し出たのに、何を訂正したいのか結局はっきり言わなかった。どこが間違っていたのか、事実はどうなのかを文書で示した上で質問を受けるべきだが、それもせず、問い詰められてようやく認める、消極的な姿勢に終始した。時間も不十分で、説明したという体裁だけ整えようとしたのが明らかだ。(以下、略)”
しかし、自ら答弁を訂正したいと申し出たのに訂正内容を明言しなかったということは、本来は記事本文で記者がみずから書くべきことだったと思うのだ。
◆【短期集中連載】政治と報道 緊急番外編 <文/上西充子>
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