カモシカさんの山行記録・旅日記etc.

山は心のふるさと。登山(アルプス~低山まで)・ハイキング・小旅行の気ままな記録です。

喝采  <日本名曲遺産ー20>

2020-12-31 | 日本名曲遺産

ちあきなおみ 喝采  数多い中でも保存版 Wide画面でNew

 

「喝采」 ちあきなおみ

吉田旺:作詞・中村泰士:作曲

第14回日本レコード大賞”( 1972年)大賞受賞曲

                 <日本名曲遺産 その20>


いつものように 幕があき
恋の歌うたう私に 届いた報(しら)せは
黒いふちどりが ありました
あれは三年前 止めるあなた駅に残し
動きはじめた汽車に ひとり飛び乗った
ひなびた町の 昼下がり
教会の前に たたずみ
喪服の わたしは
祈る言葉さえ なくしてた

つたがからまる 白い壁
細いかげ長く落として ひとりの私は
こぼす涙さえ 忘れてた
暗い待合室 話す人もない私の
耳に私の歌が 通りすぎてゆく
いつものように 幕があく
降りそそぐライトの その中
それでも わたしは
今日も恋の歌 歌ってる

 

亡くなった恋人を思いつつステージで歌っているという設定の曲である。

本楽曲は歌詞の設定や内容から、当時「ドラマチック歌謡」といわれた。

この楽曲のテーマとなっているのは“大切な人との死別”


約3分の楽曲の中にドラマが展開され、

情景も心情も凝縮された普遍の名曲といって過言ではなかろう。

子どもの頃テレビで見ていて自然と覚えて歌詞だが、

今でも間違えずにこのメロディーと共に歌える。

ちあきなおみの秀逸の歌唱力と相まって 詩と曲のもつ力だと思う。

カモシカの「日本名曲遺産」に登録である。

昭和歌謡の持つ魅力と何十年経っても色あせない力。

特に、70年代は名曲として人々の心に刻まれる歌が多かったように思う。

また機会を捉えてカモシカの「日本名曲遺産」で紹介していこうと思う。

 

“ドラマチック歌謡”と言われた「喝采」

 いつものように 幕が開き
恋の歌 うたう私に
届いた報せは 黒いふちどりがありました
あれは三年前 止めるあなた駅に残し
動き始めた汽車に ひとり飛びのった
ひなびた町の 昼下がり
教会の前にたたずみ
喪服の私は 祈る言葉さえ失くしてた

 

「喝采」の歌詞に登場する“黒いふちどり”の報せ。

この「黒い縁取り」というフレーズが、この歌の核である。

これは弔いの報せであり、人が亡くなった時に使われるものです。

黒いふちどりがあるというだけで、悲しい報せだということがわかるわけですが、

その報せはただの訃報ではなく、唄い手にとって胸をえぐるような別れになるわけ。

自分の夢を叶えるためだったのでしょうか、

彼女は“自分の出立を止めるあなた”を駅に残して土地を離れました。

「動き始めた汽車に ひとり飛び乗った」映画のシーンとして映像が見えてきます。

 

もしこの別れが円満で、止められることもなく応援されるものだったら、

きっとその後も唄い手である彼女はその土地に帰ることができたでしょう。

しかしそうでないから、彼女はこの別れを機におそらく土地に帰ることもなく、

出立以来大切な人とも会うことはなかったのでしょう。

きっと「喝采」が受け入れられた当時は、

こうして地元を飛び出てきた人というのはたくさんいたのではないでしょうか。

だからこそ、この楽曲は多くの人に受け入れられ、

楽曲を聴いた人々の想いとシンクロすることができたのだ。

 

その情景がくっきりと目に浮かぶ

 つたがからまる 白いカベ
細いかげ 長く落として
ひとりの私は こぼす涙さえ忘れてた
暗い待合室 話すひともない私の
耳に私のうたが 通りすぎてゆく
いつものように 幕が開く
降りそそぐ ライトのその中
それでも私は
今日も恋の歌 うたってる

 

この楽曲は当初「幕が開く」というタイトルがつけられる予定だったそうです。

しかしできた曲をちあきさんが歌い、「喝采」というタイトルに変更されたそう。

楽曲を通して聴くと、どんな辛い体験や心情を胸に抱えていても、

それを見せずにライトを浴び「恋の歌」を歌い、喝采を浴びる

ステージ上の歌手の情景が作品の哀しみを浮きだたせる

楽曲の歌詞は冒頭の“黒いふちどり”に対してこちらは“白いカベ”が出てきて、

色合いも対象的になっています。

ただこの色の対象は気持ちの対象とはならず、黒と白が登場することで

余計に作品に含まれる“死の情景”がはっきりとする感じがします。

この“対象”は色だけでなく、

ステージで自分に向けられる喝采が大きいほどに

大切な人との死別の静けさが際立つようになっています。

明暗をよりくっきりとさせることで、

楽曲の中にある2つの世界観

きらびやかな世界に生きる唄い手/

現実に起こっている大切な人との死別の落差

聴き手が感じるのでしょう。

 

平成~令和の時代に活躍するアイドルたちの歌は、申し訳ないがどれも軽い。

カモシカは、「喝采」のように後世には残らないだろうと思う。

今時の歌は、単純な曲の上に、平べったい説明調の歌詞を乗せているだけ。

だから、全然、心に響かない。 詩ではないのだ。
<せいぜい、演歌のジャンルにドラマチック歌謡の片鱗が残る程度>

週に何本もテレビ番組で「歌番組」があり、夢中で見た!あの頃が懐かしい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿