秋桜 <山口百恵>
日本名曲遺産ーその18
秋桜
嫁ぐ娘が母を思う楽曲として、カモシカの選ぶ日本名曲遺産に登録である。
明日に結婚を控えた娘が、
過ぎ去り日々の思い出と母の愛をかみしめる様子が描写されている。
歌詞は母親の描写だが、あくまで主人公は娘である。
曲と歌詞が如何にも「さだまさし」らしさに溢れているが、
なんと言っても山口百恵の歌唱があってこその名曲であろう♪
歌詞のポイントは二つある。
一つは「秋桜(あきざくら)」という花の名前、
もう一つは「小春日和(こはるびより)」という季語。
わたしのお気に入りのポイントは
「こんな小春日和の 穏やかな日は あなたの優しさが しみてくる♪」
ぐっとくる部分である。
それでいて兼ねてから違和感がある部分でもあったのだ。
薄紅のコスモスが風に揺れているのは<地域にもよるであろうが>
コスモスの花は意外に早く晩夏から初秋が見頃。
「小春日和」は 季語であり季節は「冬」。
晩秋~初冬にかけての暖かく穏やかな晴天のことである。
「小春日和」のあのぬくもりが この歌の神髄なのではないかと。
実はこの作品は、元は『小春日和』というタイトルだったのだ。
曲を聴いたプロデューサーの提案があり、『秋桜』<コスモス>に変更。
ただ、さだは読み方は本来の和名である『あきざくら』としたかったのだと。
この裏話を知ると あの違和感の謎が解ける。
コスモスの花はイメージの中の材料であって、
『小春日和』という季語に含まれる穏やかさ、あたたかさを以て
「あなたの優しさが しみてくる」なのである。
世に広めるインパクトとしては『秋桜』=コスモスと花の名前のタイトルの方が
いいのかもしれないし『秋桜』と書いてコスモスと読ませると
より魅力的なることは分からないでもない。
しかし、歌詞の意味や作詞者の本来の思いを尊重するなら、やはりこの曲は
『小春日和』の方がよかったのではなかろうかと考えるカモシカなのである。
余談が長くなったが、山口百恵は何年時が経っても私の中で輝いている。
この『秋桜』という曲は、嫁ぐ娘が母を思うことのみならず
この歌をとおして 男であったって、幼い日の過ぎ去り日々の思い出と
母の愛、優しさをかみしめる想いが広がる。そんな普遍的な曲なのだと思う。
だから、多くの人に愛され、歌い継がれる名曲として残るのであろう。
淡紅(うすべに)の秋桜(コスモス)が秋の日の
何気ない 陽溜(ひだま)りに揺れている
この頃 涙脆(なみだもろ)くなった母が
庭先でひとつ咳(せき)をする
縁側でアルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話 くりかえす
独り言みたいに 小さな声で
こんな小春日和の 穏やかな日は
あなたの優しさが 浸みて来る
明日(あした)嫁ぐ私に
苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと笑った
あれこれと思い出をたどったら
いつの日も ひとりではなかったと
今更ながら我儘(わがまま)な私に
唇かんでいます
明日への荷造りに手を借りて
しばらくは楽し気にいたけれど
突然涙こぼし 元気でと
何度も何度もくりかえす母
ありがとうの言葉を
かみしめながら
生きてみます私なりに
こんな小春日和の 穏やかな日は
もう少しあなたの
子供でいさせてください
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます