安倍政権の問題が凝縮…
突然の休校要請という
「ヒドすぎる危機対応」
平時に対応がお粗末な政権に、危機管理は出来ない。あまりに唐突に発表された「休校要請」については、国民から怒りが噴出した。 都合が悪いときにリーダーシップを発揮しない姿勢が、危機対応において露呈した。唐突に発表された「休校要請」は、そのリーダシップのなさを誤魔化すために発表されたものだ。災害が起こったら国民の前に出ない。災害と関連して覚えられないようにする。そうすると責任論にならない。色気を出してリーダーシップを発揮しようとしなければ、いつかみんな忘れる。 安倍総理の災害対策への姿勢は、以前から一貫している。都合が悪い時は、国民の前に出ないのだ。責任を取らない姿勢は、「休校要請」にも如実に表れている。今回、安倍総理が行ったのはあくまで「要請」である。噛み砕いて言うなら「あとはよろしく」だ。現場でなにか混乱が起きたとしてもそんなことは知らない。その場合には、「現場現場で柔軟に対応してくれ」という「さらなる要請」が来るだけだろう。しかし、それはあまりにも卑怯ではないか。2018年の7月5日、西日本で豪雨災害が起こる中、安倍総理は何をしていたか。「赤坂自民亭」である。安倍総理は宴会の会場に日本酒を持ち込んで写真を取り、今や経済再生担当大臣に出世した西村康稔官房副長官(当時)は「まさに自由民主党」などとTwitterに投稿していた。2019年7月25日、北朝鮮が弾道ミサイルを発射した後も、総理は「我が国の安全保障に影響はない」などとして、ゴルフに興じられていたこともあった。そして今回、コロナウイルスが猛威を振るうなかにあっても、会食を繰り返している。本当に総理は、危機感を持っているのだろうか。
持ってね~よ! そんな声が全国から聞こえて参ります。実際のところ、総理、あるいは政府閣僚は、「コロナウイルスは大したことはない」と認識しているのではないか? それならそれでいい。専門家の中にも「人混みも問題ない、イベントの中止はやりすぎ」という声もあるし、現段階で過剰に反応する必要はない、という意見もあるのは確かだ。しかし、であるならばなぜ、休校を要請したのだろうか。政府の認識が「問題ない」なのであれば、休校は、IOCや海外に向けた「ちゃんとやっていますよ」という単なるポーズなのだろうか。
だが、「ポーズ」に付き合わされ、最終的にその負担を引き受けるのは家庭や学校なのではないか。この点について強く疑問に感じる。いくら取り繕って「唐突に全国の休校要請」に出たのか説明会見しても もはや だ~~れも安倍総理の言葉を 信じません!!
5つの問題点
「三つ子の魂百まで」という言葉がある。たしかに人間はそう簡単には変わらないものだ。普段はあまり冴えない人間が、危機になると突然豹変し、頼りがいのある存在になる……そんな「ドラえもん」の映画版でののび太くんや、スーパーマンのクラーク・ケントのようなケースは少ない。
それは政治も同じである。平時に対応がお粗末な政権に、危機管理は出来ない。これは自明のことだ。
今回、安倍晋三政権のコロナウイルスに対する対応を巡っては、様々な批判が寄せられている。とりわけ、クルーズ船における対応、また、あまりに唐突に発表された「休校要請」については、国民から怒りが噴出した。
これら問題含みの対応が行われることは、コロナウイルスがアウトブレイクが疑われる前から、すでに予見可能であった。つまり、このコロナウイルスへの対応は、政権がこの7年間一貫して示してきた様々な姿勢が一気に表面化した結果とも呼べるものなのだ。
政権がこの7年間で示してきた姿勢とは、大きく分ければ、下記の5点のことである。
1.非常時におけるリーダーシップと発信能力の欠如
2.専門知の軽視
3.責任を取らない姿勢
4.生活感覚の国民との乖離、古い家族観への妄執
5.根本的な危機感の欠如
1,非常時におけるリーダーシップと発信能力の欠如
都合が悪いときにリーダーシップを発揮しない姿勢が、危機対応において露呈したと言っていいのではないか。付け加えるならば、この後に見る、唐突に発表された「休校要請」は、そのリーダーシップのなさを誤魔化すために発表されたものだ。
災害が起こったら国民の前に出ない。災害と関連して覚えられないようにする。
そうすると責任論にならない。色気を出してリーダーシップを発揮しようとしなければ、いつかみんな忘れる。 安倍総理の災害対策への姿勢は、以前から一貫している。都合が悪い時は、国民の前に出ないのだ。 今回のコロナウイルスに関しても、ほとんど自分自身で会見することはなく、対策の基本方針ですら厚生労働大臣が会見で発表する、という形になっている。
2,専門知の軽視
2月28日、政府は全国の小中学校、高校に対して休校を要請した。
この要請に関して、新型コロナウイルス対策の専門家会議の委員である、川崎市健康安全研究所の岡部信彦所長は、NHKの取材にこう答えた。
「専門家会議で議論した方針ではなく、感染症対策として適切かどうか一切相談なく、政治判断として決められたものだ。判断の理由を国民に説明すべきだ」
また、多くの専門家が「休校(だけで)は意味がない」とも発言しているように、この休校要請という措置が、何らかの疫学的な知見に基づいて行われた要請であるとは考えづらい。
そもそも、専門家会議に相談をしないなら一体専門家会議とは何のために存在するのだろうか。
専門知、専門家による指摘を軽視する傾向は、この7年間の安倍政権に一貫して見られる姿勢だ。
例えば、「USBが何か知らない」と暴露した桜田義孝(サイバーセキュリティ担当)大臣がいた。
共謀罪の議論について「私の頭脳ではちょっと対応できない」と国会で答弁した金田勝年法務大臣がいた。
3.責任を取らない姿勢
もちろんこれまでの政権でも、明らかに能力を欠く大臣は存在した。しかし、そうした大臣はあっさり罷免されていたものだ。
安倍政権の大きな特徴は、資質に欠ける大臣を年功序列で任命した後、「適材適所」と国会で延々と述べながら決してやめさせないことにある。
素人を大臣にし、かつ任命者である行政の長が責任を取らない……このような姿勢が現場の官僚を疲弊させ、かつファクトに基づかない奇妙な意思決定を頻発させているのではないか。
健全な政官関係とは、政治家が事の責任を取ることによって実現するものだ。
「できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う」と述べたのは田中角栄であるが、今の安倍政権において一人でも「すべての責任を負った」大臣がいただろうか。
責任を取らない姿勢は、「休校要請」にも如実に表れている。今回、安倍総理が行ったのはあくまで「要請」である。噛み砕いて言うなら「あとはよろしく」だ。現場でなにか混乱が起きたとしてもそんなことは知らない。その場合には、「現場現場で柔軟に対応してくれ」という「さらなる要請」が来るだけだろう。しかし、それはあまりにも卑怯ではないか。
4,生活感覚の国民との乖離、古い家族観への妄執
政治家は国民の生活感覚に通じていることが重要だ!
総理は「パートは月収25万円」と延べ、副総理は「カップラーメンは400円」と述べる。この二人は中高年の男性であり、また、政治家のご子息である。そして、今の安倍政権は、基本的に「中高年の・男性の・政治家の家庭に生まれた」人たちで構成されている。
なるほど、それなら、学校が休校になったところで問題などないだろう。彼らの頭の中では未だに専業主婦の存在が当たり前であり、「あるべき」家庭象なのかもしれない。なんなら子供を「だっこし放題」で、母親たちからは喜ばれる、そんな心づもりだったのか。
しかし現実的には、小さい子供を抱える家庭は共働きが当たり前になっている。シングルマザーやシングルファーザーも少なくない。
学校の休校という意思決定が、いかに大きなインパクトを国民生活にもたらすかは、そういった「家族観のアップデート」を行えていれば、想像ができたはずなのだ。
5,根本的な危機感の欠如
最後に、本当に安倍総理、あるいは政権は、危機感を持って対応しているのか? という問題がある。
ご記憶の方も多いと思うが、2018年の7月5日、西日本で豪雨災害が起こる中、安倍総理は何をしていたか。
「赤坂自民亭」である。
安倍総理は宴会の会場に日本酒を持ち込んで写真を取り、今や経済再生担当大臣に出世した西村康稔官房副長官(当時)は「まさに自由民主党」などとTwitterに投稿していた。
赤坂自民亭での酒宴<西日本豪雨> 忘れないよ!
2019年7月25日、北朝鮮が弾道ミサイルを発射した後も、総理は「我が国の安全保障に影響はない」などとして、
ゴルフに興じられていたこともあった。
そして今回、コロナウイルスが猛威を振るうなかにあっても、
会食を繰り返している。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200229-00213839-hbolz-soci&p=1
本当に総理は、危機感を持っているのだろうか。
持ってね~よ! そんな声が全国から聞こえて参ります。
もし本当に自分がリーダーであり、かつこれが危機的な事態であるという認識があれば、まず会食は取りやめ、公邸からは可能な限り出ないだろう。
実際のところ、総理、あるいは政府閣僚は、「コロナウイルスは大したことはない」と認識しているのではないか?
それならそれでいい。専門家の中にも「人混みも問題ない、イベントの中止はやりすぎ」という声もあるし、現段階で過剰に反応する必要はない、という意見もあるのは確かだ。
しかし、であるならばなぜ、休校を要請したのだろうか。
政府の認識が「問題ない」なのであれば、休校は、IOCや海外に向けた「ちゃんとやっていますよ」という単なるポーズなのだろうか。
だが、「ポーズ」に付き合わされ、最終的にその負担を引き受けるのは家庭や学校なのではないか。
この点について強く疑問に感じる。
上記のように感じているのは おそらく大多数の国民である。
今までの「桜」問題やモリカケ、検察庁人事への介入などの
サイテーの答弁とごまかし、ウソ、自分だけの利益を求める姿勢、
総理大臣が国民の大事な税金を使って選挙の支持固めをした「桜を見る会」
税金の私物化、国家の私物化
挙げたら枚挙にいとまがないが、
いくら取り繕って「唐突に全国の休校要請」に出たのか説明会見しても
もはや
だ~~れも安倍総理の言葉を 信じません!!
政権が 民主主義を破壊する!
「今や安倍政権はなんでもありだ」
最近、こんな言葉が永田町や霞が関に広がっている。
森友学園や加計学園問題に始まり、安倍晋三首相主催の「桜を見る会」、さらには検察官の定年延長問題と、政権中枢が関わる問題が表面化すると、場当たり的な説明で切り抜けようとし、それが破たんすると関連する公文書を改ざんしたり、廃棄したり。揚げ句の果てには法律解釈を強引に変更したりと、やりたい放題だ。
目の前の問題を処理するために、歴代内閣が積み重ね、作ってきた手続きや法秩序をいとも簡単に無視し続けているのだ。
「安倍首相の「公私混同」お花、うに、自著まで政治資金で大量購入
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200229-00000005-friday-pol」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます