けんけんブログ -guide diary-

国際山岳ガイド近藤謙司の冒険案内記!
“ハイキングからチョモランマまで”

行ってきます!

2005-09-25 02:23:04 | チョーオユー
どうやらこれがABCからの最後の更新になりそうです。

書き込むタイミングが無くて、文章量的にもブログに書けないでいたんですが、
ラッセルの隊には、南極で一緒だったアラビア人初のセブンサミッターで
シルベッサやランナーも知ってますが、ゼディーという金髪のアラビア人が
たまたま参加しているんです。(チョーオユーも2回目なのに)
彼とは、仲が良いので、彼のスラヤを借りて、日本にかけようとしていたら、
ラッセルがやってきて、
「この先、無いと困るだろ?」って、スラヤを貸してくれました。
良かった、これで明日からの連絡手段が確保できました!

彼らは、明日の朝にTBCにおりますので、それまでの間、
もう使わないとの事で、R-BGANも貸してくれました。

という事で、今、自分のテントから書き込みをしようとしていますが、
ブログに私が書き込むのはこれが最後になりますし、
この書き込みに対するコメントは下山するまでは見ることができないかもしれません。
(たぶん、ニェラムのインターネットカフェとかで)
応援、本当にありがとうございます。

山頂へ向かう行程の間に、衛星携帯からAGに報告を入れるようにしますが、
時差やスタッフも通常業務に追われていますので、
あまり期待しないで更新を待っててくださいね。

28日の登頂を予定として、その後の計画を全て手配しました。
ABCからTBCへの下山日は、10月2日。
中国側の手配が間に合えば、3日にTBCからネパールとの国境の町、
ザンムーへ移動する予定です。
願わくば、カトマンズには、10月4日に到着したいと思っています。
お迎えしたい方は、その頃にカトマンズで待っていてください!


さて、通信手段は確保でき、
AG隊は、C3までの荷上げを完了させました。
全ての舞台は整い、後は役者を迎えるところです。
が!AGややピンチとなりました。

パルマ・マンはかなりの重症で、本日オンジェとチベッタン2名を添えて、
下山開始させましたが、酸素吸入をしながらの下山となってしまいました。
すでに無線も届かない範囲なので、無事にギャブルンに到着したかも、
現在ではわかりません。
肺水腫の可能性もありますから、病院に行くのがベストです。
下に下りれば安心ですが、ビザやパスポートなどの手続き上、
パサン・キダーが下山しなくてはならないかもしれません。
ABCには、キッチンボーイのアンガ・バートルにキャンプの留守番を
しっかりしてもらってなければならないですし…。

…というわけで、残るペンバとニマ・ノルブと私で
明日より隊員たちを全身全霊をかけ守り、登頂させ、無事下山させます。
オンジェ以外のシェルパ3名は、本日C3への荷上げを完了させて、
なんと、その足でABCまで戻ってきたんです!!
まさしく、スーパーシェルパです!
しかも、パサンとオンジェもすぐに追いついてくる予定です。

なんだか、AG隊、かなり燃えてきました。隊員たちの目にも炎が!
私も、耳から、アドレナリンがたれてきています。

日本の皆さんもブログを見て燃えてください。アドレナリンを吹き出してください!
28日が、また、仕事が手につかない日になってしまったら、ごめんなさい。
それでは、応援よろしくお願いします!

行ってきます!

隊員からのメッセージ

2005-09-23 21:27:49 | チョーオユー
ブログをご覧の皆さんとの時間が限られてきました。

今まで、コメントしてくれた人も、見てくれていた人も、みんなみんな
本当に感謝しています。ありがとうございました。

それにしても、いつの間にかできた“応援隊”、
素晴らしい人間の和に改めて感動をし、私たちは大きな勇気をもらいました。
皆さんのためにも、私たちは私たちなりの答えを出すべく、
それぞれの思いを胸に山頂へ向けて出発します。

計画通りに登頂ができれば、10月1日には、ティンリに下りられるでしょう。
(たぶんABCには衛星電話を持っているような隊は残っていません。)
そうしたら、公衆電話屋(開いてたら)からAGに電話を入れます。

また、つながるかどうかわからない衛星携帯を持って山頂にあがります。
もし、登頂が成功したら28日には、山頂からAGに無言電話をかけてみますね。
(大蔵さん!スラヤは使えてないんですよ!ちゃんとブログ見てください!)

ではでは、隊員からのメッセージです。


応援隊の皆さん!ながちゃん!
皆さんのメッセージひとつひとつを私たちは、胸を熱くして読んでいます。
アタック日も迫っています。応援ありがとうございました。
私自身のためにアタックします。家族に感謝して!
                                  クムジュンコ

「マジック6」本気(マジ)ですか!?
俺の登頂より先に優勝するなよタイガース!
願わくば28日に登頂&タイガース優勝と行きたいですね。
と、いうことでランナーさんにお願いです。いつものあの熱い語りで、
岡田監督を“28日優勝”ということで説得してもらえないでしょうか?
こちらも28日登頂に向け全力でガンバリますんで…。(^◇^)
                                  サシロー

私は山登りが好きな小川誠です!
山は学生時代におぼえ、40数年間続けている1940年生まれ。
8000m峰には、いつか登ってみたいと考えていたが、長期間の休みが
取れないので諦めていた。40代の頃、家族にエベレストに登りたいと
話しをしたこともあった。仕事をリタイヤした現在は時間もあり子供達も独立。
子供達に8000mに登りたいと話したら「父さんは歳を取ったので無理」だと
言われ「でも父さんが行きたいのなら行ったら!」と加えられた。
今回AG隊に参加し、登山隊としては、調度良い人数で隊長の人柄で
チームも良く纏まり、参加者3人の高度順化、コンディションも順調です。
昨日C1を往復。4日程前より天気もよくなり、私たちが頂上へ往復する
頃まで天気も安定するという話です。登頂日、天気が良いことを祈ってます。
                                  マコロじい 

というわけで、3人3色、いい感じでしょ?
彼らを応援してください。彼らの夢に手が届くまであと5日です。

昨夜から、パルマ・マンが倒れてしまいました。
SPO2が50以下になったり、ラ音が軽く聞こえているような。
本人は、ABCに居たいと言ってますが、下に下ろそうと思います。
私は、キッチンジャックして何かつくります。なに作ろうかな?

オンジェもC2への2個目のアイスフォールで右足が痙攣し動かなくなり、
パサンにABCに下ろされてきました。
(今年のルートは、アイスフォールを2回越えなくてはなりません)
でも、復活して今一生懸命に上部のシェルパのためのチャパティを作って、
明後日に控えています。

世界最強のロールワリン・シェルパたちにも応援を!


それにしてもですねぇ!前にも言ったとおり、
ブログのコメントは私が読んで聞かせてるんです!
(わかってるでしょ!ランナー!<`ヘ´>)
今日のコメントは、もう声に出して読めませんでした。
私が詰まっちゃったので、クムジュンコが助けに入って読んでくれて、
でも、クムジュンコも詰まりそうで、サシローがフォローに入ってくれて…、
って、そうですよ!マコロジイは、助けに入りたくても、
字がちっちゃくて読めないですよ!(ToT)

チョー・オユー2005年秋も、「笑い」と「涙」で包みます。

食欲ですか?はは~ん、これは天からの指令ですかね。
大丈夫です!心配無用!楽しんでます。
10日間くらい食わなくたって、私のガイディングへの支障は微塵もありません。
「シャリばて」と言ったことがあるあなた!
そんなもの、この世の中に無いことを教えてあげましょう!
すべては「人間力」です。

ではみなさん、また明日ラッセルに接続させてもらえることを祈って!

PHOTO:C1のテント脇からはじまる急斜面で講習する隊員

C1の朝食。それぞれの表情。

2005-09-23 14:24:11 | チョーオユー
今日は、休養日です。
昼間から、つながせてもらっています。
もうすぐでラッセルも帰ってきますので、
この衛星端末も忙しくなって、なかなか使わせてもらえないからね。
今日の昼間のうちにいろいろと送ります。

6400m C1からの帰還

2005-09-23 00:06:42 | チョーオユー
隊員たちは、皆無事です。15時頃にABCに帰着。
今は、音も無く各個人テントで全員撃沈しております。

3人とも、相当疲れた様子です。
パルマが作ってくれたララ・ラーメンを食べられたのは、マコロ爺だけでした。
とにかくお茶をたくさん飲んでもらって、よろよろとテントに向かいました。
ですから、たぶん強制的にトイレに起きるでしょう。

外は、昼ごろからの雪がしんしんと降り続いています。
このところ午後は、いつも雪ですね。少し見慣れましたが、感傷的な景色です。

さて、昨日からの話をしますね。2日分、濃くて長いですよ!

登頂日程をなんとか天気に合わせるため、
荷上げ(ちなみに“荷揚げ”は、船の荷揚げらしい)を急ピッチで進めてます。
シェルパたちだけでは、間に合わないのでアイゼンの必要ないC1までは、
チベッタンの協力を利用することにしました。

ABCには、各国隊から荷上げを請け負うためのチベッタンが常駐してます。(笑)
AG隊は、6人雇いましたが、荷上げ量でもめて、バタバタと…
ま、パサンが纏めましたが。

隊員は、無事に自分達の荷物が出発したのを見届け、昼前頃に出発。
前回のデポ往復よりは、歩調は良かったですね。
でも、クムジュンコは、ちょっと辛そう。
呼吸と歩調のリズムが合わないらしい。というか、わかっていない。

ぴったり一緒に歩いて、大げさに呼吸をして、
歩くリズムと呼吸のリズムの掛け合いが、大切なことを感じてもらう。
だんだん調子が出てきて、デポまで休みも含めて2時間30分くらいで来られた。

歩き出しは、リズムがつかめないらしく、しばしば立ち止まってしまうが、
そのうちに調子が出てくる、他の2人の男性を引っ張る感じだ!いい感じ!

急斜面のガレ場をもくもくと登る。前方を歩いている外国隊を抜かした!すごい!
雪が降ってきて、風も出てきた。ジャケットを着て、手袋を厚めのものに換える。
こんなところでも、凍傷にはすぐなる。身体に抵抗力が無いから、5分くらいで簡単になる。
隊員がどのくらい冷たいのか私にはわからないから、しつこく強めに、
「手が冷たくないですか?冷たいのをほっといてませんか?」と聞く。
そのたびに、隊員は、思い出したように手をマッサージする。グローブの中でグーを握る。

C1のテントが見えてきた。雪雲が一瞬切れて、青空が見える。
その青空の中から、オンジェがテルモスをもって駆け下りてくる。
顔の表情を変えるのも大変ですが、とても嬉しい瞬間でしょう。

C1は、まさしく空中都市。ガレた斜面を抜けると、
反対側は、氷河です。大きなクレバスがどかーんと一個口を開けています。
そのクレバスの対岸にも分譲されています。大変な数のテント!
今年のAGの分譲地は、C1では一番C2に近い場所!って事は、
一番高いところ!そこは、毎年、ラッセルの隊がいますが、その更に上!
テントのすぐ上から、急な雪稜が始まります!

隊員は、テントに入るなり、バタンキュー!
キューは、困るので、お茶を飲んでもらったり、テント内の整理をしてもらったり。
比較的元気な、サシローとマコロ爺がひとつのテント、クムジュンコは、僕と一緒。
夕食を作り、尾西のパックライスが配られるけど、1パック食べ切れたのはサシローだけ。
マコロ爺は半分、クジュンコは、一粒も食べられない。

とにかく水分を摂ってもらおうと、スープやお茶をどんどん作るが、
その間に気を失ってしまう!あららら、「はい、起きて!スープ飲んで!深呼吸して!」
声をかけていないと、違う世界に行ってしまうー!「おーい、しっかりー!」
そんな繰り返し。もうひとつのテントも心配なので、大声で「元気ー?食べてるー?」
って声をかける。明るく元気そうな声が返ってくるけど、やはり眠たくてしかたないそうだ。

もちろん夜には眠ってもらうんだけど、C1到着後すぐに、
しかも胃腸に体液が集中している食後すぐに、高所順応がある程度できあがる前に、
積極的に意識的に呼吸ができなくなってしまう睡眠に入るのは危険なんです。

そこで、「はい、じゃー今日の話題!マコロ爺がどうして山岳写真家になったか!」
という事で話し始めてくれましたが…………長かったぁ…カメラを手にするまでが…。
クジュンコは、頑張って、「へー、そうですかー」とか言ってたけど、撃沈の繰り返し。
俺も、お湯作ったり、クムジュンコつついたり、たぶんサシローも含めて、
もう一度、話してもらわないと、誰も覚えてないかも。でも30分以上は、過ごせました!
ありがとう、マコロじい~!6400mの語り部でした。

食事が終わってもクムジュンコは、ぜんぜんトイレに行かない。困ったなぁ~。
まだ、7時だし、よ~し、「ちょっと薬のもう!おしっこでやすくなる薬!」って事で定番のヤツ。
意識もうろうとしているクムジュンコに更にお湯やスープをかわるがわる。
そして、いろんな話をして、なんとか起きててもらい、食器をわざと拭かせたり…。
ふと3人の息子達の話をしはじめだすと、意識がハッキリしてきて、元気に!
「私トイレにいきたくなったわ」って、良かったぁー!やったー!息子たちに感謝!

もう、9時になってました。隣のテントでは、出たり入ったりする音が聞こえてたし、
なんとか夜を迎える準備が整ったかな~と判断。
でも、クムジュンコには、パルスオキシメーターをつけたまんまで、横になってもらう。
12時くらいまでは、心配なので声をかけてました。
自分が寝ちゃ困るので、寝袋に入らないで横になって。そーすりゃ寒さで起きるでしょ?

外は、静かで雪も風も無いんです。月明かりだけ。
作戦通りに、クムジュンコも夜中の2時頃に強制的にトイレに行ってました。

というわけで、C1の一晩があけました。翌日のSPO2も問題なし。
元気にC2荷上げのシャルパたちを送り出し、その後に朝食。かなり控えめの。

食後に、高所ブーツ、ハーネスをつけて、フィックスのレクチャー。
出だしの急斜面は、誰もフィックスを張っていないくせ、ぼこぼこ皆スリップして落ちてくる。
ついでだから、この斜面にフィックスを張って、練習しました。

テントを整理して、シェルパたちの水をコッヘルいっぱいに作ってあげて下山。
また、雪が降り出して、ABCまでは、寒いトレッキングになりました。
私は、石を拾いながら、歩いてきました。白い石にガーネットの2mm位の結晶が入ってるヤツ。
ブログ見てくれたひとに、プレゼントしちゃおうかな。

おやおや、調度、夕食の時間です。
隊員たちは、テントからうめき声のような「ふぁ~い、行きむぁ~す」(笑)
皆食べられると、いいなぁ。俺も早くバカ食いできるようになりたいなぁ。
あ、早く来いって言われてる!
では皆さん。また。
おやすみなさい。

PS:写真送れないかも。それと、ラッセル達が本日登頂しました。素晴らしい。
でも、明日ABCに戻って、そのまま撤収になりますので、もうPCはつなげないかもしれません。AAIも撤収に入ります。残念。

PHOTO:空中都市C1分譲中!一番手前、アライテントがAG!




ABC休養日…そして発表!!

2005-09-21 00:04:01 | チョーオユー
昨夜は、ラッセルのシェルパたちにお世話になりました。
PCは衛星端末と接続すれば、それで簡単につながるものではありません。
衛星の電波は安定しないので、何回もトライするんです。
手もかじかみますし、シェルパたちも最後は、あきれて
「バラサーブ、ここの電源スイッチ切って、ダイニングのジッパーを
 閉めて帰ってね。」って、でも優しいですよ。
主人がいないのに、その友人に笑顔で話してくれる。
今日は、もう少し早く済ませたいなぁ。

さて、本日は、晴れ!朝食後、上部キャンプに荷上げする食料と行動食の
最終的な仕分け作業。パルマ・マンと一緒に梱包。
シェルパたちは、C1への荷上げです。ほんと頼もしい!
その後に、ダイニングテントの整理。かなり綺麗に使いやすくなりました。
その間、隊員たちは、久しぶりのお天気を満喫して、洗濯とか洗髪とか、
個人装備などをチェックしてもらいました。あれ、昼寝してたぁ?

ランチは、日本蕎麦。おろしとわけぎを加え、皆、喜んで食べました。
私は、珍しく食欲がなく、残念ながらパスです。どうしたんだろ。
食後に、酸素マスクの使い方と各個人の装備についてレクチャー。
隊員は、めちゃめちゃ真剣な顔で話を聞いています。
何度も質問をして、繰り返し説明を聞いて、納得するまで話します。

その後、隊員たちは、酸素マスク選びに入り、実際に目出帽やゴーグルをつけて、
マスクを装着して1時間以上もやってました。傍から見りゃ笑えますが、そりゃそうです。
登頂どころか、命にかかわる事ですから。しっかりと顔に合わせてもらいます。

私は、その後にキッチンテントに電気照明を引いてあげて、
調子の悪いソーラーパネルをリペアー。なんとか直ったかなぁ?毎日やってんなぁ!
夕方には、また雪が降ってきたので、テントに入り、PCに向かいました。
ギリギリの電気でPCも動いてます。

あたりが暗くなり、「ごはんレディー!」の雄たけびが…。
残念ながら、夕食も私はパスすることにしました。
隊員たちは、3人で頑張って盛り上がってます。
マコロ爺の独演に笑い声が聞こえます。良かった。

寒くなってきて手が動かないので、バーナーを持ってきてって叫んだら、
ペンバがバーナーと共に、僕の分の食事を持ってきてくれました。
くぅ~!泣けます!(>_<)
今日は、キャベツのお味噌汁とチラシ寿司、マーボー茄子&春雨、
白菜のおひたし、パイナップル…。ごめんなさい、お味噌汁だけ飲ませてもらいました。
パルマ・マン、美味しかったよ~。みんなありがとうー!

さて、明日は、無酸素でのC1宿泊です。
やはり、これをやってもらいます。隊員たちは、かなり緊張しています。
その結果によって、この後の予定を決めて行きますが…暫定、
21日 C1泊
22日 C1→ABC
23~24日 ABCステイ
25日 C1移動
26日 C2移動
27日 C3移動
28日 登頂→C2
29日 ABC
…という、予定で明日から動きます。

なんとか、この日程で行きたいとは思っています。それは…
22日以降の長期予報が、一週間ほど良いからなんです。
シェルパたちは、休み無しで5日間ぶっとうしで荷上げしてもらいます。
しかし、予報とは、あくまでも予報。まわりに流されず、
この後も、慎重に様子を判断して行きます。大丈夫です!

では皆さん、C1から帰りましたら、また接続させてもらいます。
衛星電話は、絶望的なので、上部キャンプからメッセージを
送ることは、できないと思います。本当にごめんなさい。

また、勝手に盛り上がっていることを期待しています。(^O^)/
日本は、十五夜でしたかぁ。
ここも、雪雲の合間から、なぜか満月が見えてます。
その月明かりに、氷塔や雪が輝いて…本当に綺麗ですよ。
同じ月を僕らも見て、頑張ってます。応援ありがとうございます。

PHOTO:食料の仕分けをするパルマと私


6000mへの歩み。

2005-09-19 23:19:51 | チョーオユー
さて、さて、さて!AGチョーオユー登山隊05は、順調に予定を進めてきました。
が、本日あたりから隊員の体調や準備の進行に合わせて、調整をしていきます。
「な“ダ”ちゃん」の日程によると、本日はC1の往復となっていますが、
隊員たちは、その手前のデポキャンプ(6038m)まで頑張って歩きました。
その上に行けなくても、まだまだ心配することはありません。
ゆっくりと時間をかけて順応を進めていきますから安心してください。
ただいま、隊員たちはテントに倒れこんで、ぐったりしている様子です。
ぜんぜん音が聞こえませんから。

昨日のプジャの儀式は、吹雪!
お祝い事だし、近隣の登山隊が参加しに来るんですが…
といっても、外は雪なので誰も来ないだろうと思っていたら、
ラッセルのチームが隊員もシェルパもほぼ全員、
そして、やはり昔から公募登山をしているヘンリー・トッドさんの
ところからシェルパたちが、吹雪の中来てくれました。
とても嬉しいことでした。皆で安全祈願とお祝いをしてくれました。

この3日間ずっと雪が降っていて、テントもグショグショしてしまうとことも。
今日は、久しぶりの晴れで、風も弱く、穏やかなトレッキング日和でした。
サシローは、ピッタリ私についてきますが、
クムジュンコとマコロじいは、少し離れてしまいます。
なにしろ6000mまでのハイキングですから、苦しくて当たり前です。
ちょくちょく立ち止まって、水をたくさん飲んでもらって、呼吸もしっかりしてもらって、
それから気温にあわせて、細かくウェアも脱いだり着たり。
氷河のアイスタワーに魅せられて、マコロ爺は、よく立ち止まってました。

シェルパたちは、この間にC1に8ケのテントなどを持ち上げて、
さっさと私たちを追い抜いて、ABCにすっとんで行きました。すごいでしょ?

ごめんなさい、そろそろ限界かな。
2行ごとくらいに、バーナーで指を温めて打ってるんだけど、
誤字脱字が多くなってきた。すっかり暗くなりました。
夕飯の時間だと、パルマが呼んでいます。
夕食後にラッセルのところで送信させてもらいます。

明日は、休養日。この後の戦略をシェルパたちとして、
また、ご連絡しますね。では。

PHOTO:氷塔をバックに頑張って歩く、サシロー、クムジュンコ、マコロ爺!

たくさんの応援、コメントありがとう!

2005-09-19 23:11:24 | チョーオユー
ABCでの奇跡的なPCの接続だったはずなんですが、
なんだか皆さんのコメントを読むとだいたい読まれてましたね~。

一昨日は、事前に私が書いた日記をラッセルのところで接続できるやいなや、
貼り付けて送信したんです。送信が何しろ優先だったので、
皆さんのコメントに対応するような文章を書けなくてスミマセンでした。

でも、ラッセルのところでブログを開いて、そのままPCをシャットダウンしないで
ラッセルたちにお礼を言って、AGのキャンプに走って戻りました。
隊員たちは、皆、首を長くして待っていました。皆ですぐに見ましたよ。

大変な数のコメントが続いていたので、隊員たちはその数字を見ただけで
感激してしまいました!皆さんありがとう。
字が細かくて読みにくいので、隊員たちには僕が読み上げてるんですが、
中には、照れくさかったり、詰まってしまったりするコメントもあって、
困っちゃいましたよ。

でも、「送信できない間、こーなってたらいいなぁ」って思ってたとおりに
皆が勝手にコメントを書き続けてくれていて本当に嬉しかったです。
さすが、現場の気持ちがわかるランナーやタマちゃんだけあって、
「何をすれば良いかがわかってらっしゃる!」って
隊員たちは、目をウルウルさせて感動していました。

さて、ここで、その隊員たちの簡単な紹介を!

“マコロ爺”こと小川誠さんは、なんと65歳!プロの山岳写真家です!
近いところでは、ヤマケイ4月号の巻頭で8ページのグラビアを飾っています。
11月には、ペンタックスギャラリーで個展も開きます。みんなで行こう!
たぶん、日本一高い山に登る写真家なのではないでしょうか!
ランナー察しのとおり、当然朝のSPO2チェックにはいませ~ん!

“クムジュンコ”こと竹下淳子さんは、昨年まで大手電機メーカー会社員、
そして、3人の男の子を育てぬいてきた60歳の主婦でもあります。
ライフワークの山に火がついてきたのは、定年が迫ってきてから!
この1年間の間に、マッターホルン、アイガー、ワスカランと駆け抜けて、
チョーオユーにたどり着きました。いやいや、まだまだ先を見ています。

“サシロー”こと指崎彰さんは、40歳の世界中を旅するチョンガーです。
でも、お世話になった人もいるのでは?今年の8月まで2年間剣御前小屋の
スタッフでしたから!顔に見覚えありませんか?なかなかいい男です。
しかし、彼には問題が…。チョーオユーの登頂よりも
阪神タイガースの優勝が気がかりなだという虎キチなんです!どうしよー。

そして、シェルパたちを更に簡単に紹介します。

サーダーは、ご存知のカトマンズの色男パサン・キダー!いえーい!
昨年のチョモランマでも大活躍、優しさと力が売りのペンバ・ギャルツェン!
同じく昨年のチョモランマでランナーのサポートだった坊主の資格をもつ、ニマ・ノルブ!
今春マナスルの大蔵隊長の下で鍛えられたルーキー、オンジェ!日本語うまいぞ!
キッチンボーイは、新人のアンガ・バードル!口数すくねぇ~!
そして、道場六三郎も真っ青、コックのパルマ・マン!

以上、泣く子も黙る、ロールワリントレックとは、俺達のことさぁ!
…だそうです。

今度とも、私たちを宜しくお願いしまーす!

PHOTO:プジャの祭壇に座る隊員とラッセル達





ABCより愛を込めて

2005-09-17 20:49:19 | チョーオユー
皆さん、お元気ですかー!!
チョーオユー公募登山隊は、無事に5600mのABCに昨日到着しました。
さすがに苦しいトレッキングを隊員たちは、歩きぬいてきましたが、
まだまだ元気元気!
頭痛や下痢もありますが、食欲もそこそこで、なんとか頑張っています。

昨日は、ギャブルンというジャブラ氷河のサイドモレーンにある
標高5375mの草原で雪の降る中、宿泊をしましたが、
寒さのせいか夜中にヤクが8頭脱走してしまい、
予定通りの荷上げができない!ってところで、
隊員たちは待てずに出発。
しかし、夕方には、新しいヤクをシェルパがゲットして、荷上げを完了させました。素晴らしい!
本日も、2回目の荷上げが完了し、ABCに約2トンの全ての装備が到着しました。

 今まで、メッセージを送りたかったのですが、
手持ちの衛星電話が不調でやっと衛星のネットワークをつかんでも、
私の声が相手に届いていないようなんです。
AGのスタッフの声は、よく聞こえるんですが…。
TBCでは、登山協会の電話が設置してあるのですが、
1分15ドルという超ぼったくりなので、使えなかったんです。

ここABCでは、各国の登山隊と合流ができ、といってもその90%は、
世界レベルで公募登山をしているチームで、
私もここ数年で顔見知りも多くなりました。
AGともつながりのあるチームもあり、
そのひとつがラッセル・ブライス率いる「ヒマラヤン・エクスペリエンス」。
彼らは、もうC2まで設営完了しています。
(ちなみに今年のトップはAAIでC3まで設営)
私たちのキャンプは、調度彼らの隣で、交流しやすい位置にあります。
日本食を少しお土産にして、ラッセルに電話をお借りしました!

明日は、お祈りのセレモニーをして安全登山の祈願をします。
午後は、装備と食料の最終的な仕分け作業をして、
明後日は、C1を往復します!
メールを送りたいですし、
ブログのコメントも隊員たちが楽しみにしていますので、
WEBをつなげたいのは山々ですが、
そんなに彼らにお世話になってもいられないので、
またしばらくの間、送信できないかもしれません。
では皆さん、また送信できる日まで!

photo:ラッセル・ブライスとAGキャンプにて

飯田橋より

2005-09-15 17:28:46 | チョーオユー
飯田橋の留守番隊より発信しております。

ただいま通信状況が悪く、AG隊と連絡が取りづらい状況です。
けんけんより連絡が入り次第、すぐに情報をアップしますので、首をなが~~~くして待ってて下さいね!!!

写真はAGオフィスでのけんけん隊長・・・

バンサーイ!シガツェからです!

2005-09-10 00:32:43 | チョーオユー
なんとかPCを接続することができました。
今回始めて利用したホテルですが、電話もあり、しかもモジュラーがつなげる!
中国内のアクセスポイントにいくつかアタックしてみたら、
10回目くらいでつながりました。かなり不安定ですが…。

さて、本日はホテルを午前10時に出発。
ホテル前で日山協の副会長城隆嗣さんに偶然会いました。
彼は、私の尊敬していた先輩ガイドの実のお兄さんです。
(弟さんは、残念ながら10年以上前に亡くなりました)
これから40日間かけて、カイラスなど西チベットを旅するそうです。
その他、慶応の山岳会OBの方々もいたみたいで、
皆それぞれの目的に向けて出発していきました。

ラサ~シガツェ間の新ルートは、素晴らしいの一言です。
舗装の仕上がりもとてもよく、高速で走行できました。
だいたい順調なときは、e-trexのデータで平均時速78kmくらい。
ドライバーが調子乗って、ガンガン追い抜きをかけているので、
助手席の私は、シートベルトしたくて手探りするんですが、
これが使えないようになってるんですよね!ひょえ~!

ヤルツァンポー川沿いの道は、景色もよく、麦畑で働く人たちの姿が
秋の黄金色のチベットの大地に映えて、とても素敵です。
そこに、菜の花の黄色と蕎麦の花のピンクが色を添えているんです。
秋なのに花が満開に咲いている。不思議な光景です。

昨年、チョモランマの時には、北方ルートを抜けてタァズーカの渡し舟に
車ごと乗り込んで対岸に渡り、シガツェへの道に合流しましたが、
あの渡し舟や牽引のためのワイヤーは、跡形も無く消えて、
立派な橋が架かっていました。なんとなく寂しかったなぁ。

シガツェには、4時間半くらいで到着。この街も更に大きく発展していました。
新しくできたホテルに入り、目の前のタシルンポ寺に散歩に行きました。
標高は3900mですが、隊員たちは、息苦しくも無く歩いて廻ってました。
ただ、日差しが強くて、喉がかなり渇きました。ラサより暑い感じがします。

明日は、いよいよ4300mのティンリ村に移動です。
ここには、間違いなく電話がありません。有線での接続はできません。
頼りの衛星携帯“スラヤ”は、ネットワークが見つからず、交信できていません。
なんとかつなげたい!つなげたい!つなげたい!

ブログ見てくれて、本当にありがとうございます。
隊員たちは、かなりのパワーと勇気をもらっています。
知人ではない人のコメントでさえも、目を通して楽しんで…、
ブログを見ているだけの人も沢山いるんだなって想像して…、
毎晩、毎朝、「ブログどうですか?」って感じで。

「みんな応援してくれているんだぁ~」って笑顔になって、
みんな顔を見合わせて「がんばろーね!」って言ってます。
隊員たちが、そう思ってくれるのならば、徹夜でもPCの前に座ります。
確実に夢に一歩づつ近ずいていますよ。大丈夫です。

完全登頂。無事下山。必ずやります。
また送信できる日まで。

photo:タァズーカの蕎麦&菜の花畑にて。

ポタラ宮、そして偶然の出会い!

2005-09-08 23:59:33 | チョーオユー
昨夜は、大変でした。
このブログは、すぐに投稿がアップされないときもあるようで、
何回も送信してしまいました。
早朝にWEBを見た人だけ、私が段々とヘロヘロな状態に
なっていくのがわかったと思います。(再送メールは削除しました)

さて、今日はラサ最終日でしたが、無事に終了です。
本日のメインイベントは、あのポタラ宮です!!
ポタラは、予約が必要となっており私たちの入館時間は10時40分。
なんか、愛地球博かディズニーランドかって感じですね。

何百体のラマさんが祀られている宮殿を急な階段で、
隊員たちは、ハアハアしながら登り、たっくさんの部屋を巡ります。
宮殿内は、暗く、ギイというヤクのバターでできた、
ろうそくの火が独特の光と匂いを発していて、
観光客の中には、吐き気をもよおす人もいます。

宮殿の最上階からラサの街を眺め、その発達に改めて感心しする隊員たち。
今年でチベット自治区政府設立40周年ということで、
街は、賑やかで、ディスプレーやスローガンがそこら中に張り巡らされていま
す!中国政府は、チベットを大売出し中で、
雑誌やテレビでもチベットのオンパレードです。
今年は旅行者の数も多く、送迎車が足りないそうです。

昼は、ホテル近くの洋食屋でヤクステーキを食べました。
すると、なんと隣のテーブルにチョー・オユー登頂者の
佐藤邦彦さんが座ってるではありませんか!偶然の出会いに2人ともビックリ!
彼は、日本初の公募登山隊となった「AGチョーオユー登山隊2002」
の参加隊員で、今回はニンジンカンサという7000m峰に登りにきたそうです。
いやいやお懐かしいです。しばし、隊員たちも一緒に歓談しました。

午後は、自由行動、隊員たちは思い思いに過ごしたようです。
サッシーは、歩いて八角街まで行き、毛の手袋とか買ってきてました。
夜は、チベット登山協会のマネージャーヤンジンさんの招待で
チベットレストランへ。
中国野菜やナメコの炒め物、岩のりのスープなど、ここでも、たらふく食べました。

さて、いよいよ明日は、標高3900mのシガツェへ移動です。
新しくできた、ヤルツァンポー川沿いの舗装道路を走るので4~5時間の行程。
明日以降のWEB接続は、環境的に不可能かもしれませんし、
できても、写真が送れなかったり、文章が短かったりするかもしれません。
タイムラグも、もちろんあるでしょうね。お許しください。

とにかく沢山の人が見ていると思って頑張ります。
送信できましたら、コメントメールくださいね。では、サイチェン!!

photo:40周年で賑わうラサの街とポタラ宮



LHASA!!!<in TIBET< in CHINA

2005-09-07 23:59:35 | チョーオユー
碧い空、流れる雲、乾燥した風…
息が苦しくて「やったね!着いたね!」ってうまく言えない。
でも、みんな笑顔です。

中華人民共和国チベット自治区ラサ。
この街も中国の他の街と同様にめまぐるしい発展を続けています。
空港からラサの中心街までショートカットできる橋とトンネルができ、
前日に開通したとのこと!30分位でたどり着けるのでビックリです。

空軍が離着陸できる空港からチベットの中枢が遠かったのは、
それなりに昔は深い意味があったんです。でも今は…
中国の標準というか漢民族の文化に支配されつつあるんでしょうね。
伝統的な文化や信仰心をチベットの若者は守っていけるかな。

僕の時計“NIKE ASENT&COMPASS”の標高は3694m。
昨年チョモランマの時、ガイドの高橋玉樹さんにお願いして、
“いいよねっと”から提供してもらった[e-trex]の標高も
ほぼ同じなので、なかなか正確にでているようです。
時差は、日本と1時間差。ですから到着日は、すぐに夕食となりました。
機内食が、サンドイッチとキットカットだけでしたので嬉しいです。

さて、昨日は、メールをつなぐことができなくてすみまそん。
衛星電話が不調で、部屋からの電話回線からもサーバーに繋がらない。
どうしようかと思いましたが、今日は奥の手で。

本日は、チベット登山協会で朝から打ち合わせ。
これからの日程やヤクの数などを確認します。隊員の皆さんはその間、
ゆっくりと朝食を食べて過ごしていました。
11時より、デブン寺という14世紀に建てられたお寺に車で移動。
境内を観光した後に裏山に高度順応のために登りました。
約3750mのお寺から約4150mくらいまで、4人でゆっくりと登りました。
上からのラサの眺めを見て「チベットに来たんだね。」という
気持ちが改めてわいてきました。

街に下りてから、車のドアに竹下さんが手を挟んでしまい、
その治療に地元の病院へ。骨に異常は無く傷も浅かったですが、
私の心臓はドキドキしてて…でも、本人はケロっとしてんだよね。
その後に車から降ろしてもらい、大昭寺というお寺の廻りにある
八角街というマーケットをお散歩しながらホテルに帰ってきました。

夕食後、PCの接続です。奥の手とは…
ホテルにあるビジネスセンター(といっても相当しょぼい!)で、
置いてあるデスクトップのLANを引っこ抜いて特別に接続させてもらった!
11時まで、監視付で使わせてもらえることに。(^_^;)

という訳で、この接続もそろそろ限界です。
また、明日つながせてもらえますように。

PS:そうだ!ニックネームが決まりました。
  竹下さんはクムジュンコ小川さんはマコロじい指崎さんはサシローです。

photo:大昭寺で五体投地するラマ教信仰者達。

長い一日

2005-09-06 07:23:52 | チョーオユー
ネパールと日本の時差は3時間15分。
しかも夜中にやっと書いている日記ですから皆さんには、
翌日に届いているでしょう。

というわけで、9月5日の日記です。
本日は、6時半に起床。7時には、ホテルを出発して
遠征登山隊にはお馴染みの“お祈り”にでかけました。

行き先は、シェトゥゴンパというお寺です。
“目玉寺”と呼ばれるネパール最大のストューバ、
「ボートナート」の近くにこのお寺はあります。
2002年に日本で初めて公募隊を組織したときも、
ここでお祈りをしてもらいました。懐かしいです。

参加者全員でお祈りを済ませなければ、
シェルパたちは出発をしません。
“カタ”というクビからかけるマフラーのような布と
首に巻く細い紐を偉そうなお坊さんからもらいます。

ホテルに戻り9時半から朝食。
朝食後、シェルパたちの管理倉庫からテスターを持ち出し、
ソーラーパネルと12Vバッテリーの再チェックをしました。
しかし、パネルとバッテリーの間にかませる電流を安定させる機械が
うまく作動せず、リペアが必要となりました。

それからAGの現地連絡先「シーガルトラベル」のオフィスに行き、
ミーティングと現地で購入しなくてはならないものを検討して、
またホテルへ戻って9月4日分の日記を送信。
3時頃に終了したので、やっとお昼ご飯へ。
お昼は、インドカレーです。
野菜とマトンとチキンのカレー。タンドリーも食べました!

その後、イギリスのジャーナリスト、エリザベス・ホーリーさんの取材。
世界で一番ヒマラヤの登山隊に詳しいお婆ちゃんです。
今回の登山隊の編成や日程などを聞かれました。

それがやっと終わって、隊に必要な生野菜などの食料の支払いに行き、
中国のビザを受け取って、7時30分からウッツェというチベット料理屋に
今回のシェルパたちを全員招待してご飯を食べました。
「ギャコック」というチベッタン鍋です!

食後は、近くにある「トム&ジェリー」というバーに行き、
2004年のエベレスト登頂の際に飾られた隊員たちのサインが入った
Tシャツを眺めながら、“エベレスト・サンセット”というカクテルを飲みました!
「この隣に、またTシャツが飾れれば素敵ねぇ。」と竹下さん。
絶対に登らせますから!

帰ってからソーラー一式のリペア。でも途中であきらめて、日記を書くことにしまし
た。

中国では、有線の電話にもPCをつなげないと思います。
頼りは衛星電話、そして電気ですね。
チベット・ラサからの送信成功を祈ってください。
では。ナマステ。

photo:お祈り後、シェトゥゴンパ前でクライミングシェルパと記念撮影。

KATHMANDU

2005-09-05 18:03:30 | チョーオユー
カトマンズ到着しましたーぁ!!!

モンスーンの怪しい雲に包まれた喧騒の街は、
相変わらずのクラクションの音と車の排気ガスとホコリにまみれていて…
「おお、カトマンズ!戻ってきたぞぉ~!!」という妙なアドレナリンが
無駄にあふれちゃってます。
隊員たちも、その懐かしい光景に笑顔が絶えません。
(小川さんなんか、20年ぶりだそうです!)

さて、昨日は、到着後ホテルにチェックイン。
外は、モンスーンの大雨が振り出しました。そんな中、
今回のサーダー「パサン・キダー」が挨拶に来ました。
AGの遠征では、お馴染みのハンサムボーイです。
また、新しい仕事をしている元マネージャーのナワン・タシ
管理しているソーラー発電用のパネルとバッテリーを持参して
挨拶に来てくれました。
彼らの活躍は、過去の遠征隊記録に出ています。
http://www.adventure-guides.co.jpから「公募登山隊」も見てね。

一息ついたら、バッテリーとパネルのチェックをして、
日本から前もって発送していた個人装備と食料を
空港の税関から引き取る作業。
これは、既にネパールのスタッフによって行われていて、超スムーズ!
確認だけ終わらせたら、パサンの家に出かけて、
彼の家の倉庫で預かってもらっているAGの装備をピックアップ。
テントやバーナーの検品をして、梱包作業をしました。
懐かしいシェルパたちが現れ、手伝ってくれましたが、
夕方の7時過ぎころまでかかりました。

街へもどってから、食事へ。
初日は、やはりネパール料理。
「ナングロ」という定番のお店へ。
タルカリ&ダルバート&モモという組みあわせでした。
満腹状態で、ホテルの部屋に戻ると突然睡魔が!

NHKの衛星放送で日本の台風14号のニュースが流れていましたが、
途中から覚えてません。
PCの接続ができずにスミマセンでした。

PHOTO:ネパール料理「ナングロ」でのパーティー!

成田空港 出発~!!

2005-09-03 16:31:40 | チョーオユー
バタバタと徹夜パッキングをして、なんとか出発日となりました。
ナイキACGからギリギリで隊員用のトレッキングシューズや
Tシャツもとどきましたし、すごい荷物です。
決められた重量をはるかに越えた荷物でしたが、なんとか無事に通過!

見送りは、ビデオを持ったデザイナーの本田君です。
4月に催されたけんけんのスライド&トークショーで上映したムービーも
本田君の作品です。よく、空港まで見送りに来て撮影してくれます。

さて、今回の隊員のご紹介!
竹下淳子さん、小川誠さん、指崎彰さんの3名です。
例によって、隊員たちは、毎回ニックネームがつきます。
決まりましたら、またご報告しますね。

第2ターミナルにあるナイキショップにお邪魔して、
ゲートに向かいます。では皆さん、行ってきます!

photo:ナイキショップ成田空港店の前でスタッフの皆さんと!