旅の途中で観る夢は(おやじの旅日記)

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仮開通した。国道121号線を通り米沢に行って来ました。「Ⅱ」

2022年11月06日 07時40分58秒 | 旅の途中で

 仮開通した。国道121号線を通り米沢に行って来ました。「Ⅰ」の続きです。

 ↓ 上杉鷹山公銅像の前には。

  

 ↑ 上杉神社に別れを告げ。

 

 ↓ 次に向かったのは。 

 

 ↑ 上杉家御廟所。

 

 

 ↑ 受付で拝観料(400円)を納め。

 

 

 ↑ 中に、私の記憶では今回で2回目。

 上杉家墓所は、米沢市では御廟、廟所、御廟所、御霊屋(おたまや)と呼ばれ、敬い親しまれています。

 杉木立の中に謙信公から十二代藩主までの廟屋が整然と立ち並んでいます。

 

 

 ↑ 上杉家御廟所配置図。

 

 

 ↑ 初代上杉謙信公。

 

 

 ↑ 十二代・十代(鷹山)・八代・六代・四代・十四代・二代。

 

 ↑ 三代・五代・七代・九代・十一代。

 

 

 

 

 ↑ 拝観を終えて岐路に。

 帰りは福島市経由で。

 

 

 ↑ 山形県の紅葉と。

 

 

 

 

 ↑ 西栗子トンネルを抜けて。

 トンネルを抜けて、福島県の紅葉の光景は少し異なっていました。

 

 

 ↑ 福島市へ。

 美味しそうな果物に遭遇したら、買って帰宅するが。

 

 ↓ ウフウフガーデンでの食事は。

 

 ↑ スープから始まり。

 

 

 ↑ 玉子が美味しかった。

 玉子は好きだがオムライス系はあまり口にしたことが無い。

 

 

 ↑ サラダ。

 

 

 ↑ デザートには。

 アイスクリーム美味しく頂きました。 

  uhuuhuガーデンのアプリスマホに入れて家庭用🥚50個入りを安く購入してきました。

 

 山形県米沢の旅でした。


我が家の庭にも秋が、何故かユリが咲いたり。?

2022年11月05日 10時52分16秒 | こんな事が

 庭にチューリップの球根を植えましたが。

 

 ↑ 相変らずゼニゴケが至る所に繁殖。

 

 

 ↑ 厄介者です。

 完全に我が家から、無くすことは出来ません。

 繁殖力が大生。

 

 

 ↑ 🌷 チューリップをに花壇の片隅に植えました。

 来年の春が楽しみ。

 

 

 ↑ 数少ない菊の花。

 

  

 ↑ 木々も色づいてきました。

 

 

 ↑ こちらはドウダンツツジ。

 

  

 ↑ 色鮮やかに紅葉しました。

 

 

 ↑ オカメ南天。

 

 

 ↑ 芝桜の数輪狂い咲き。

 

 

 

 

 ↑ 何と鳥が運んでくれた、テッポウユリが一輪今頃咲き始めました。

 

 

 

 

 ↑ 狂い咲き。

 

 

 ↑ トンボが外壁に泊まって日向ぼっこ。

 

 

 ↑ 最近セブンイレブンに買い物に行くと、おやつを。

 

 

 ↑ かぼちゃパイ饅頭。

 普通に美味しかった。

 平凡な一日に成るように。 


仮開通した。国道121号線を通り米沢に行って来ました。「Ⅰ」

2022年11月03日 22時10分08秒 | 旅の途中で

 テレビ 📺 の情報番組をみて。

 国道121号線の喜多方から米沢まで片側通行ですが開通したと。

 行って来ました、米沢に。

 生憎水曜日に行ったので、米沢の好みのラーメン家 🍜 さんは休業日だったので。

 生憎口の中に入れる事はできませんでしたが。

 

 ↑ 喜多方 道の駅 喜多の郷。

 

 

 ↑ 駐車場に着いたのは、開店前の9時40分ころ。

 休憩をして、一路米沢へ。

 

 

 ↑ 国道121号線、当然片側通行でした。

 

 

 

 

 ↑ 山形県米沢市に入りました。

 

 

 

 

 

 

 ↑ 五カ所、片側通行でした。?

 後テレビで放送していた仮橋も通りました。

 

 

 ↑ 山形県米沢市に入って初めての。

 

 

 ↑ 道の駅田沢で一休み。

 

 ↓ 最初の目的地。

 

 ↑ ウフウフガーデンに着いたのは、午前11時少し過ぎ。

 

 

 ↑ 玉子を生産しているFARMの屋根が見える。

 米沢に来るたびに、よって玉子 🥚 を購入していく。

 

 ↓ ウフウフガーデンで食事をした後は。

 

 ↑ 米沢市内に向かいましたが。

 踏切 🚋 で列車に遭遇したのは初めてでした。

 

 

 

 

 ↑ 伝国の杜(米沢市上杉博物館)。

 

 

 

 

 ↑ 松ヶ丘公園案内図。

 

 

 ↑ 上杉神社。

 

 

 

 

 ↑ 上杉城下絵図。

 

 

 ↑ 上杉城下絵図の拡大図。

 

 

 ↑ 米沢城ゆかりの戦国武将。

 

 

 ↑ こちらは、天地人。

 上杉景勝公と直江兼続。

 

 

 ↑ 上杉景勝公と直江兼続像の説明板。

 

  

  ↑ 伊達政宗の生誕の地とか。

 

 

 ↑ 遠い昔、学校で習ったような。

 

 

 ↑ 上杉鷹山公の銅像。

 

 

 ↑ 上杉鷹山公の説明書き。

 

 

 ↑ 写真左側の小高い丘に登ると。

 

  

 ↑ 招魂碑。

 

 

 ↑ 招魂碑の説明板。

 

 

 ↑ 上杉謙信祠堂(御堂)跡地。

 

 

 ↑ 上杉謙信祠堂(御堂)跡地の説明板。

 

 

 ↑ 駐車場方面を眺める。

 続く。


梨が。

2022年11月03日 16時02分51秒 | 日記

 こんな時皆さんはどうしているんでしょうね。

   

 ↑ 昨日郡山の〇〇〇ルで梨を購入してきまして。

 今日、食べようかなと思い触ったら、何か嫌な感触が。

 下になっていて、見えないところが見事に腐って居ました。

 少し悩んだすい、電話をしてどうしたらいいのか?。

 名前を告げて担当者につないでいただいたら。

 案の定帰ってきた答えは。

 持ってきていただくとお金を返金するか、物を交換するかという。

 金額は、429円。

 忙しい中、持っていく時間を考えると微妙な金額。

 レシートはとっておいたので良かったが。

 行くことに。

 

 ↑ 受付カウンターに行けば解るようにしておいてくださいとお願いしていたのに。

 行って見たら、交換の物は用意していないし

 まいりました、何回も同じことを言って、時間の無駄に。

 どうも私は、果物には縁が無くて。

 宝くじはなかなか当たらないのですが、果物の?品には良く当たります。

 泣き寝入りか、返品を求めたりするのは半分以下かな。

 時間を考えると。

 

   

 ↑ 新しい梨と交換し。

 家に持ち帰り食べましたが、傷んでいるような。

 もったいないから傷んでいるような所は取り除いて食べました。

 今の学校では、SDGs(エスディージーズ)の教育がしっかりしていて、気軽に処分しようかなと思うと娘は孫に一言ゆわれるそうです。

 物は大事に・・・。

 梨「あきずき」最近クローズアップされてきた梨ですが、非常に美味しい梨です。

 

 クレーマー扱いにならないように、梨は交換していただきました。

 粗品らしい物を出されましたが、断りました。

 何が入っているか解らないし、使わない物ならもったいないし。

 どっちがお客様だか解らない一日でした。


紅葉の美しい、猪苗代土津神社に行って来ました。

2022年11月01日 17時09分16秒 | 美しい花を見て

  新聞の紅葉  情報を観て。

 猪苗代町の「土津(はにつ)神社」に行って来ました。

 家を出たのは、7時30分頃。

 

 ↑ 磐梯山   に雲  かかかって居なかったのは珍しい。

 

 

 ↑ 正面に磐梯山が。

 

 

 ↑ 裏磐梯に行くには、右上の道を進むと少し近道。

 

 

 ↑ 土津神社につきました。

 まだ早いせいか駐車場には車が数台。

 

 

 ↑ 紅葉、良い感じ。

 まぶしいくらいの色合い。

 

 

 

 

 ↑ 土津神社案内板。

 

 

 

 

 ↑ 今回は奥に院目指して。

 

   

 

 

 ↑ 見頃の少し手前。

 

  

 ↑ この辺はこれから。

 

 

 ↑ こちらは参道脇。

 

 

 ↑ 橋を渡り、参道に。

 

 

 ↑ 参道を。

 

 

 ↑ 手水舎で手を清め。

 

 

 

  

 

 

 ↑ 階段を上り。 

 

 

 ↑ 拝殿へ。

 

  

 

 

 ↑ こちらは、土津神社霊神之碑。

 

 

 ↑ 土津神社霊神之碑案内板。

 

 

 ↑ 色づきは?。

 

 

 ↑ 末社。

 

 

 ↑ 保科正之公墓所、奥の院参道入口。

 保科正之江戸幕府初代将軍徳川家康の孫で3代将軍、徳川家光の異母弟。

  保科正之は、徳川二代将軍秀忠の庶子として慶長16年(1611)に生まれ。

 高遠藩藩主保科正光の養子となり、寛永20年(1643)会津に封ぜられ会津松平家の始祖となった。

 四代将軍家綱の後見役として20年間幕政の実権を握ると共に、会津藩の好学・尚武の藩風を築いた名君と言われている。

 

  

 ↑ 石畳。

 神社右脇から両脇に杉の木が生え揃う玉石が敷き詰められた参拝路を500m 強登る。

 かなり歩きにくいが、一度も訪れた事が無かったので行くことに。 

 

 

 ↑ 保科正之公墓所。

 

 

 

 

 ↑ 保科正之公墳墓案内板。

 

  

                        ↑ 奥にお墓が

 二代藩主正経(まさつね)公は、正之公が埋葬地を指定した遺言通り、墳墓の造営にあたったそうです。

 

 

 ↑ その後棺の所に円墳を築き、頂上に土津神鎮石と刻んだ八角形の鎮石をたてました。

 写真は拝借しました。

 

  

 ↑ 奥の院参道の途中に、建物が有ったり。

 👣に自信のない方は、近くに駐車場が有りました。

 

  

 ↑ 今来た石畳の道を引き返す事に。

 登るのも大変だが、下るのも歩きずらかった。

 

 

 ↑ 本殿付近。

 

 

 ↑ 拝殿脇を通り。

 

 

 ↑ 参拝をしてきました。

 🐻注意の看板が。

 

 

 ↑ 帰路に着きました。

 後数日で、色づきは増してきます。