日経新聞はお堅い新聞だが、一面の「春秋」には時々、どきっとするくらい僕の感受性を揺さぶるコラムが載る。
先日も、「オモダカ」という雑草を主題にした素敵な文章があり、僕のイマジネーションを三日以上刺激し続けた。
花の名前も、草の名前も、木の名前にも無知な僕だ。
せいぜい口に入る植物を知っているぐらいの僕が、「オモダカ」など知る由もない。
インターネットで調べてみた。
「オモダカ」とは浅い水中や水田に生える多年生の植物で、3弁の白い花をつける。葉は鋭い矢じり形をしているため戦に勝つ花として武士に好まれ、戦国時代の武将の紋章に多く使われたそうだ。
「春秋」では書く。
版画家の棟方志巧が少年の頃、故郷の津軽の田園地帯にフランスから飛来した複葉機が不時着するという出来事があった。機影を追って学校から駆け出した少年は転んで田んぼのふちに倒れこみ、気が付くと目の前に白いオモダカの花があった。少年は思う。「これが美しいというものか」。さわやかな芸術家の初心である。
昨年から、矢田川の花火大会が無くなった。
名古屋市の北区に住む人間にとって矢田川の花火大会は大変なイヴェントであった。特に子供にとっては。
花火は、勿論、夜に始まる。
しかし、昼間から、時々空砲のように単発の花火が打ち上げられる。
それだけで、子供の僕の心は高鳴った。
その単発の花火の中には、おもちゃのパラシュートと一緒に打ち上げられるものがあった。
風になびいて飛んでいくパラシュートを追いかけて、僕は思い切り走った。
でも、そのパラシュートを自分のものに出来たことは一度も無かった。
フランスからの複葉機を追いかけて必死に走る志巧の姿を思い浮かべたときに、花火大会でパラシュートを追いかけていた自分の姿がダブった。
僕は転ぶことはなかった。そして僕の鼻先にオモダカの花は無かった。でも、パラシュートを取り逃がした僕の気持ちと、オモダカを鼻先に見た志巧の気持ちは同じだ。
今、住んでいる所からは矢田川花火は直接見えないが、こうした夏の風物詩が消えていくのは本当に寂しい。
小学校の頃は、必死でパラシュートを追いかけた。
中学になると、クラスメートがどの女の子をエスコートして花火を見に来るのかが関心の的だった。
女の子も浴衣などを着て、とても綺麗に見えた。
奥手の僕は、トウモロコシでも齧りながら、同級生のカップルを羨ましいと思いながら、花火を眺めた。
大人になって一時期、住んでいたマンションの窓から花火が見えるので、大宴会をやったことがある。
男3人、女3人。
二十代前半の頃だ。
よくぞここまで飲めるかと思うぐらいに酒を飲んだ。今も酒は強いが、当時は更に倍くらい強かった。
どこで、どうお開きになったのか誰も覚えていない。
ただ、翌日二日酔いの頭痛の中で目を覚ますと、一人の女の子が僕のベッドで寝ていた。
そして、その子と結婚した。
些細だけど沢山の思い出のある花火大会が、万博と引き換えに終わってしまったのは残念だ。
未だに「オモダカ」の花を見たことは無い。
仕方ないから、花火の代わりに「オモダカ」を見つけて、質素なガラスの花瓶に生けようか。
先日も、「オモダカ」という雑草を主題にした素敵な文章があり、僕のイマジネーションを三日以上刺激し続けた。
花の名前も、草の名前も、木の名前にも無知な僕だ。
せいぜい口に入る植物を知っているぐらいの僕が、「オモダカ」など知る由もない。
インターネットで調べてみた。
「オモダカ」とは浅い水中や水田に生える多年生の植物で、3弁の白い花をつける。葉は鋭い矢じり形をしているため戦に勝つ花として武士に好まれ、戦国時代の武将の紋章に多く使われたそうだ。
「春秋」では書く。
版画家の棟方志巧が少年の頃、故郷の津軽の田園地帯にフランスから飛来した複葉機が不時着するという出来事があった。機影を追って学校から駆け出した少年は転んで田んぼのふちに倒れこみ、気が付くと目の前に白いオモダカの花があった。少年は思う。「これが美しいというものか」。さわやかな芸術家の初心である。
昨年から、矢田川の花火大会が無くなった。
名古屋市の北区に住む人間にとって矢田川の花火大会は大変なイヴェントであった。特に子供にとっては。
花火は、勿論、夜に始まる。
しかし、昼間から、時々空砲のように単発の花火が打ち上げられる。
それだけで、子供の僕の心は高鳴った。
その単発の花火の中には、おもちゃのパラシュートと一緒に打ち上げられるものがあった。
風になびいて飛んでいくパラシュートを追いかけて、僕は思い切り走った。
でも、そのパラシュートを自分のものに出来たことは一度も無かった。
フランスからの複葉機を追いかけて必死に走る志巧の姿を思い浮かべたときに、花火大会でパラシュートを追いかけていた自分の姿がダブった。
僕は転ぶことはなかった。そして僕の鼻先にオモダカの花は無かった。でも、パラシュートを取り逃がした僕の気持ちと、オモダカを鼻先に見た志巧の気持ちは同じだ。
今、住んでいる所からは矢田川花火は直接見えないが、こうした夏の風物詩が消えていくのは本当に寂しい。
小学校の頃は、必死でパラシュートを追いかけた。
中学になると、クラスメートがどの女の子をエスコートして花火を見に来るのかが関心の的だった。
女の子も浴衣などを着て、とても綺麗に見えた。
奥手の僕は、トウモロコシでも齧りながら、同級生のカップルを羨ましいと思いながら、花火を眺めた。
大人になって一時期、住んでいたマンションの窓から花火が見えるので、大宴会をやったことがある。
男3人、女3人。
二十代前半の頃だ。
よくぞここまで飲めるかと思うぐらいに酒を飲んだ。今も酒は強いが、当時は更に倍くらい強かった。
どこで、どうお開きになったのか誰も覚えていない。
ただ、翌日二日酔いの頭痛の中で目を覚ますと、一人の女の子が僕のベッドで寝ていた。
そして、その子と結婚した。
些細だけど沢山の思い出のある花火大会が、万博と引き換えに終わってしまったのは残念だ。
未だに「オモダカ」の花を見たことは無い。
仕方ないから、花火の代わりに「オモダカ」を見つけて、質素なガラスの花瓶に生けようか。
私もいろいろ思い出があります。
それにしても奥さんとの出会いがそんなだったとは驚きました!
多分その『オモダカ』の説明をしていた時に出てきた話だった様な記憶があります。
(父は植物オタクでして・・・)
昔聞いた時には「ふーん」位にしか思わなかったのですが、こうして改めて聞いてみると何だか感じ方が違ってきますね。
でも、サイトウサマのご家族の話って始めて出てきたんじゃないですか?
ちょっとびっくりしました。
でも、素敵ですね。目覚めた時に隣で寝ていた女性と結婚した。っていう表現の仕方。
恥ずかしがらずに、もっと聞きたいです。
奥様やご家族の話を。
中学校、高校、大学の時もその時々の思い出がありました。中には甘いのも。
社会人になってからかなあ、花火を見なくなったのは。
でも、結婚してからは毎年行ってました。花火は見なくても、実家で音を聞きながら一杯飲んで、得意の転寝をして。妹と会うのもその時ぐらいで。
矢田川の花火は無くなっても、落下傘を追っかけた記憶は無くなりません。
なんだか実家に置いておけないこのを連れて今の生活に突入し、気が付けば1年足らずで葉は倍に増え8枚になりました。不思議なものです。おもしろくなり100均ダイソーやスーパーで植物を買いまくり、今色々育てています。また不思議な事に自分で購入した植物の大半は枯れ、大切な友人に貰った写メの右にあるサボテンや水だけに浸かってるアイビー(←根まで長く出だした)はすくすくと育っております。 今では“名も薄ら覚えの8枚の葉をつけている植物”に新たな芽が出てくるのを密やかな楽しみにしています。
素敵ですね。
今、絶好調のKANAだね!