昨日も書いた、Schoemansdal地区の散歩の話。
この地区もKamhlushwa同様、地域によって、
水が出る場所と出ない場所があります。
出ない地域では、共同の水汲み場で、水を汲むことになるわけですが、
それぞれの家から最寄りの水汲み場を利用するため、
いつも同じ顔ぶれが見えるわけで、
水汲み場が、ある意味社交の場と化しています。
日本でもかつて、このような光景が見られたことと想像しますが、
水汲み場で、井戸端会議などをするのは、
どこの国でも変わらないようです。
残念ながら、どのようなことを話しているかは、聞き取れませんでしたが、
日本と変わらぬ光景に、懐かしさを感じました。
さて、水を運ぶ担当は、ほとんどが子どもたち。
毎日2回、こうやって水を運びます。
「大変だね」と言ったら、「まあね。でも慣れた」って言っていました。
すぐ隣の道では、
普通に水道から水が出るのに、この格差はなんなんだと思ってしまいますが、
これもまた南アの格差の現実なのでしょうか。
私としては、普段の学校とは違う子どもたちの顔を見られて、
とても勉強になりました。