2019年12月9日(月)(2/2)
タクシー安平地区に行こうと思います。
台南公園前でタクシーを拾いました。
運転手さんに安平樹屋(Ānpíng shù wū)と言って、スマホの地図を見せました。
凡そ20分で安平樹屋に到着しました。
運賃は175元(約650円)でした。
100元札2枚を渡しお釣りは要らないと言ったら「有難うございます」と言われました。😄😄😄
1.安平樹屋
安平樹屋はもともとイギリス商の徳記洋行が倉庫として使っていた建物です。
日本統治時代には天日干しされた塩の倉庫として使われました。
その後、製塩業が衰退し使われなくなった倉庫に小鳥が住み着き、その小鳥が木の種をまき木となり建物をおおったと言われています。
入場料は50元(約190円)
ガジュマル屋敷 ガジュマルの根が絡みついています。
英商德記洋行(台灣開拓史料蠟像館)の建物には展示物があります。
2.安平古堡
安平古堡には安平樹屋から約400m歩いて行きます。
17世紀初め、オランダ人は軍商合わせて台湾に上陸し、1624年、現在の安平を占領しました。
要塞として築いたゼーランディア城は1634年に完成しました。
明の永暦16年(1662年)、鄭成功はオランダ人を駆逐し、三代にわたってこの城に居住したため「王城」とも称されます。
戦いに勝った鄭成功は城を取ると、安平鎮と改称し、內城は內府と改められました。
そのため台湾人には王城と呼ばれます。
清の時代、台江に堆積物が積もり、その重要性が徐々に失われ、加えて清軍がゼーランジャ城を破壊し億載金城を建設したため、建物は風化していきました。
その後、日本統治時代に再建され、第二次世界大戦後「安平古堡」と名付けられました。現在残されているオランダ時代の遺跡は古堡前方南側のレンガの城壁だけです。
入場料は50元です。
3.台鹽日式宿舍
安平古堡から約300m離れたところに「台鹽日式宿舍」という建物があるのでそこに行きます。
大正6年(1917年)頃に建てられた、台湾独占局台南支部の安平支部の元所長の住居だそうです。
伝説によると、昭和天皇が皇太子のころ台南を訪れたときにここに立ち寄られたそうです。
4.安平開臺天后宮
台鹽日式宿舍から安平古堡の近くにある安平開臺天后宮に向かいます。
安平古堡のそばにある安平開台天后宮は、安平区最大の廟建築で、広大な敷地を有しています。
天后宮の媽祖像は「軟身神像」と呼ばれる手足が動かせる珍しい神像で、1668年に鄭成功の船隊が湄洲から持ち込み、廟を建てて祀ったと伝えられています。
それが開台の名の由来でもあります。台湾の媽祖信仰の中心の一つで、4年に一度開催される安平迓媽祖の祭事は、天后宮最大の行事です。
5.ホテル
15時半に今夜の宿泊ホテルに向かいました。
安平開臺天后宮前でタクシーでを拾いました。
運転手さんに台南大飯店と伝えました。
運転手さんは乗るといきなり「今天真热(今日は暑い日だった)」と言われたので、「没错(そうですね)」と答えました。
中国語でべらべら喋られたら困るので、日本から来た日本人と言いました。
運転手さんは色々話しかけてきます、しかしたどたどしく答えているとやがて運転手さんもあまり喋らなくなりました。😅😅😅
ホテルまでの料金は往きと同じで175元でした。
今回も200元札2枚を渡し、勿論お釣りは要らないと言いました。「謝謝」と言われました。
チェックインして、早速洗濯しました。😁😁😁
明日の台中には高鐵(新幹線)で行こうと思います。
明後日の台北行きも合わせて高鐵の予約をしました。
ネットで予約しました。日本語の案内もありますので簡単でした。
代金はクレジット精算です。
12月10日 台南9:13発→台中9:58着
12月11日 台中8:36発→台北9:39着
<ネットで台湾高鐵を検索しホームページを開きます。Llanguageで日本語選択します>
6.夕食
今日の夕食も店が混む前に行こうと思います。
ネットで人気店を調べると「度小月担仔面(原始店本舖)」というお店が見つかったのでそこに行くことにしました。
ホテルから約1Km先で徒歩で15分くらいです。
お店に行くと1組のお客がいました。
私はカウンター席に案内されました。
ここも時間が経つと段々おお客さんが増えてきました。
担仔麵(タンザイミェン)と鶏肉料理、ビールを注文しました。
合計370元(約1,370円)でした。
<麺作り>
<壁に架かってい写真>
今日の歩行数は 26,120歩
WiFi使用量は 2,996MB
でした。
明日は台中に行きます。
<完>