2019年12月9日(月)(1/2)
今日は、台南に行きます。
ホテルでの朝食、昨日は人が多かったですが今日は少なかったです。
やはり、昨日は日曜日なので観光客が沢山おられたのでしょう。
食事をしていると後ろの席から「ぼそぼそ」と静かな話し声が聞こえました。
日本語のような気がして、振り返ると年配の女性二人が話していました。
よく聞くと中国語(台湾語?)で話していました。
中国語がこのように(小声で)聞こえたのは初めてです。😅😅😅😅
台鉄高雄駅8:12分発の急行で台南まで行きます。
チョット早いがホテルは7:30に出発しました。
台鉄高雄駅には7:40分に着きました。電車は定刻通り運航しているようです。
1.列車の中での出来事
列車に乗ると、座席は殆ど埋まっていました。
台湾の列車の座席は南北に向かう場合、西側に奇数、東側に偶数の番号が割り当てられます。
東西に向かう場合は北側が奇数、南側が偶数となります。
私の座席の横には若い女性が座っていました。
列車は台南までに、台鉄左榮駅に停車します。
台鉄左榮駅で乗って来た中年の女性が、隣の若い女性に話しかけました。
「ここは私の席」と言ったようです。若い女性は切符を確かめ、前の列車に移っていきました。
座席を間違えたようです。
この時私は昔新幹線でのことを思いだしました。
私が列車(10号車)に乗り込むと、既に私の席に男性が座っていました。
私が席を間違えていますというと、男性は怪訝そうにこの通りと言って指定券を見せてくれました。
私の指定席は10号車の11番Eですが、男性が見せてくれた指定券は11号車の10番E席でした。
私がこのことを指摘すると、男性はここは「11号車じゃないのか」と言って移っていきました。
私は11号車と思ったら、10番の席に座るはずなのに何故11番の席に座ったのかと思い、チョット面白かったです。
台南には10分遅れの8:56に到着しました。
切符を改札に通しますが、その切符を再び受け取らないとゲートが開きません。
使用済みの切符が手に入ります。
<使用前> <使用済 右上にパンチの穴>
台南観光は台南孔子廟から神農街→大天后宮→赤崁樓→台南三山国王廟→開基玉皇宮→321巷 芸術聚落をメインルートとして周辺の名所にも寄りながら回ろうと思いました。
台南公園から安平には8Kmくらいあるのでタクシーで行く予定です。
2.台南孔子廟
台南駅から南西に向かって歩きます。
ここから1.7Kmで徒歩で15分くらいです。
途中で「彩絵巷弄」という観光名所があるとMAPに載っていたので行ってみました。
ここは壁に色彩を施した家でした。
その近くに寺院がありました。六合境清水寺というお寺です。
寺伝によれば乾隆35年(1770)の大雨の際、台南府城の東安坊に流れ着いた木を拾い、観音像を彫ったということです。
台湾孔子廟は工事中で内部は拝観できませんでした。
台南孔子廟は、清朝末期の1665年に鄭成功の息子の鄭経によって創設されました。
当時は台湾においての政治の中心であった上、台湾の最高学府として広く知られていたそうです。
台湾にできた最初の学校ということで、多くの学生たちが熱心に学問に励んでいた歴史ある学び舎でもあります。
3.神農街
台南孔子廟から海安路芸術街を経由して神濃街に行きます。
海安路は台南の夜の人気の歩行者天国アートエリアになっています。
<海安路>
神農街はむかし「北勢街」と呼ばれるにぎやかな街道だったそうです。かつてこのあたり一帯は、5本の主要運河が流れる商業の盛んな場所で、神農街はその中心に位置する重要な場所だったそうです。
<神農街>
4.大天后宮
神農街かた大天后宮まで約1Kmで約10分で行けます。
大天后宮に行く途中の新美街125巷に壁画がありました。
大天后は1684年創建です。祭られているのは台湾でもっとも信仰を集めている「媽祖」です。
媽祖は海の守護神で、旧暦の3月23日の誕生日には盛大なお祭りが繰り広げられます。
媽祖両脇に控えているのが「千里眼」と「順風耳」です。
もともとこの二人は善人ではありませんでしたが、媽祖の感化を受けてこうしてかしづくようになったのです。
千里まで見過す眼力と鋭敏な聴力で媽祖の行いを助けています。
<大天后>
5.赤崁樓
赤崁樓は大天后宮から約200mの距離です。
赤崁楼は1652年にオランダ人に創設されたもので、もとはプロビンティア城(オランダ語で永遠の意味)と言われていましたが、のちに中国人に「赤崁城」、「番仔楼」、「赤毛楼」などと呼ばれるようになりました。
明代、清代、日本統治時代と長い歳月を経ているものの、昔ながらの風貌がほぼ保たれています。
オランダ人により占拠されていた時代から行政要所とされ、1661年に鄭成功がオランダ人を駆逐した後、プロビンティア城を首府に制定しました。
1862年台湾中南部の大地震により、すでに損害していた赤崁樓のオランダ建築は全て倒壊した。
日本統治時代(1895年-1945年)には陸軍の衛戍病院として利用され、改築や修繕の手が加えられました。台湾が主権を取り戻してからは木製だった建物が鉄筋コンクリート構造に変えられ、主な入り口の方向も変更されて、現在の様子を呈しています。
ここには西欧人も沢山いました。
工事中で入れないとこもありました。
羽鳥又男(1892年4月20日 - 1975年9月30日)氏は、群馬県勢多郡富士見村(現群馬県前橋市)出身。
台湾総督府中央研究所職員を経て、台南市の市長を務めた。
台南市長在任中、第二次世界大戦中という時勢の中、赤崁楼の修復作業を進めたことで知られています。
台湾の人は、日本の統治時代でも功績のあった人を崇めているのですね😊😊😊😊😊
6.昼食
11時過ぎですが早めに昼食をとることにしました。
MAPで調べると赤崁樓の近くに「赤崁担仔面」という人気店があることが分かったのでそこに行きます。
店に着くと開店は11:30からとなっていました。お客は誰もいませんでした。
チョット早いが店に入ってみました。
注文を受け付けてくれましたが、店の外のテーブルで食べろと言われ、また150元以上の注文をしなければならないと言われました。
赤崁担仔面とシューマイとビールを注文しました。全部で275元(約1,000円)でした。
赤崁担仔面の量は中盛りでちょうど良い量でした。
昼食を取っているときに、流れていた曲は美空ひばりの「花形道中」でした。
7.台南三山国王廟
「赤崁担仔面」から台南三山国王廟までは約700m、10分弱で到着予定です。
三山国王は広東で生まれた民間信仰です。
1742年に建てられた台南三山国王廟は台湾で唯一、正統な広東式の建築物です。
主神には三つの山神、巾山国王、明山国王、独山国王を祀ります。
三山国王のほか、韓文公と天上聖母も祀られています。色とりどりの鮮やかな雰囲気はなく、壁の彩色も控えめです。
8.開基玉皇宮
台南三山国王廟から開基玉皇宮までは約700mで7,8分で行けます。
開基玉皇宮に行く途中に三老爺宮があったので行ってみました。
玉皇とは中国で宋代以降に信仰された道教の最高神で、正月九日が生誕祭。台湾では天公と愛称します。
9.321巷 芸術聚落
開基玉皇宮から321巷 芸術聚落までは約700mで7,8分で行けます。
日治時代の職員寮として使われていた建物をリノベーションし、芸術作家の活動スペースとして開放されているエリアです。
公園路321巷の路地は、近年台南市で非常に人気のある文芸集落で、インスタグラムのチェックインポイントとしても注目を集めています。路地裏に隠れた芸術集落は町の中の桃源郷のような存在で、古びた赤レンガに囲まれた木造の日本家屋が建ち並んでいます。
もとは旧日本軍歩兵第二連隊の集合宿舎だったところで、前後に庭のある木造家屋は、入居する芸術家チームによってもとの姿に修繕されました。
着いたら観光客はいませんでした。
開放しているのは金土日の10時~18時なので残念ながら今日は見学できませんでした。
周りをぶらつき塀越しに写真を撮りました。
これからタクシーで安平地区まで行こうと思います。
<続く>