今週の『八重の桜』、尚之助が肺炎で亡くなった報せを受ける場面。
覚馬さんが[「尚さん]は、自分が家を出る時に山本家を会津のことを託したから、
律儀にずっと山本家と会津を助けることを考えてくれていた]と襄に話す。
尚さん、と呼ぶとき。
自分も尚之助も若くて、世の中のこと、これからの世界のことを希望に満ちて語れた。
歳若だけど博識で、江戸での見聞もある尚之助が、自分を「覚馬さん覚馬さん」と
慕って会津まで来てくれた。
自分も学問に打ち込んで、体も自由に動いていた。
その頃の記憶が甦ってたんじゃないか。
若い頃の覚馬さんは、よく怒り、よく笑い、よく体も動かして走っていた。
今の覚馬さんは体のこともあるだろうけど、感情も静に徹している。
これは、感情的になっては物事を広く深く見極められないこと、
感情の強さに押し流されて正しい道から外れることを知っているからでしょう。
襄が覚馬さんの手に尚之助からの手紙を触れさせ、
死に際と思えないほど力強い字だと教える。
紙の上の墨を辿るように、覚馬さんの指が紙の上をなぞる。
涙を見せずに、心の深い部分で泣いている。
目で見えないから、指で見ようとする。
尚之助の思いを感じようとする覚馬さんを見て、
襄は八重ちゃんを野駆けに連れていったんじゃないか。
弟の三郎を死なせてしまった傷にずっと痛み続けている八重ちゃんに、
三郎の思い、死んでしまった大事な人の思いを、
見えなくても感じようと辿る行為が祈りであると
伝えたかったんじゃないか。