花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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花はどこに、、

2022年06月03日 | 日記
昭和40年前後
戦争から立ち直ってきた日本は

戦前の教育と
戦後の教育と

戦前の憲法と
無条件下の調印と
   吉田首相が、、、たった一人で調印した、、、

戦後の総理大臣は大変だ他と思いました。

そして、、、
ウクライナとロシヤの、、、内戦に近い戦時下で
プーチンさんという「独裁型の指導者」のもとで

ロシヤのフッショな行動を
国際間は

領域のある方程式を解くように
扱う訳にはゆかなくなってきていますよね。

人間は100年間で 入れ替わってゆきますが

ITの時代は、、、人間が入れ替わっても
インプットされた記録が

次の代にも。。そのまた次の代にも、、、
引き継がれて行き

人類は、自分で考えないで、

操作しながら、ITの記憶データーを更新してゆく。

ふり返れば

戦後、、、疎開地の娯楽は

     田舎芝居と
     市川歌右衛門 欣也 片岡知恵蔵 月形龍之介
     京マチ子 香川京子 田中絹代 入江たか子
     
     大友龍太郎の鞍馬天狗

     日輪 羅生門 猫化け映画
     
  大人も子供も、、、川の傍の筵で出来た小屋で
  雨が降っている様な画面の映画を観ることが
  楽しみだった。

   しばらくたって
   親指ではじく「パチンコ」のゲームや酸が出来て
    「バタやん」のマドロスの歌が
      レコードがかすれ声になるまで、
        スピーカーから聞こえていた。

 パン屋さんが出来て、、、疎開地では、たまり場になってきていた。

おおきな鉄板の上に、、
    100個ぐらいの
         
         アンパンが

      すごく美味しそうな匂いで
       運ばれてきては
        「アンパンの塔」が出来ていた。

   バスは一日に一回、、、鉄道の走る駅に向かっていた。

    バスの運転手さんは
       疎開地では知らない人が居ないという
          有名人だった。

   子供らは「まっさん!」と呼んでいた。

    そのうち、、若い衆が
       タイヤが3個ついた 
        通称「バタコ」と呼んでいた

          三輪トラックの様なミニサイズの車で

        車の道幅しかない、、、山道を

          舞いあがる   土埃のマントを翻して

         すっ飛ばしている光景が

           子供らの間に
        ある種の「刺激を与えていた。」

        マッサン!!  まっさんのバタコや!!

        山間に、轟音とともに 「まっさんのバタコ」は

         ウルトラマンが現れたかのような刺激を

        疎開地の,、子供達に与えていた。

   電気のない、、熊野の山中に

     「ダムが出来ることになった。」

       家がダム湖の湖底に沈むという部落が
         ダム反対の声をあげ始めた。

        なたね油を入れた,、、傘の衝いたガラスのランプは

       アチコチの家で使われておりました。

      油を入れ過ぎて、、ランプごと燃えだすときもあり

     ランプのともる足元には
        砂山が有った。

      火が付いたランプは
          あせらず、急がず、

      竹の杖にひっかけて
        砂場に降ろし、、、砂をかけて、、火を消した。

     
                      つづく
       

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