この小さな集落の点在した
南紀の山々を
古座川に沿ってさかのぼると
「街道を行く」という
著名な作家が書いた一冊の中に
「一枚岩」という、、、岩がある
狭い街道を熊野の山に向かってさかのぼると
突然、、、ローレライの物語りが
脳裏に浮かんでくるような
美しい岩山が立ちはだかるのです。
戦争で傷ついた人々を、
元気づけてくれる
海底から隆起したのであろう、、、
小山の様な、、大きな岩があり
その岩の前は
瀬音をたてて流れてきた
何本かの川が合流して
岩の前に、、、、
緑色した深い淵をつくっていた。
戦場から運よく帰還できた家族は
疎開地となった南紀の山の集落に
おどろおどろした気持ちで、
車の幅しかない山道を
敵兵が居ないだけでも、、
安どの気持ちで
、疎開先へと進んだであろうと思うとき
一枚岩の前を通りがかった父母は
この村との
「出逢い」の様な実感が有り
ローレライの歌を口づさみ
見知らぬ山村が
運命の恋人に出逢ったかのように
さすらいの、
心の扉が
開いてしまったに違いない。
生まれたての赤ん坊の私は
この岩の前を通り抜けて
奈良に方向へと、、熊野の山奥へと
疎開さしてもらったのです。
外国という
言葉の通じない
しかも、、、戦場の近くの
夫の病院のあるところから
歩いて行ける距離だったとはいえ
日ごとに
日本の情勢の
劣勢が漂う空気の中で
「私」という、、赤ん坊が、、、生れるのだから、、、
昭和の10年代の、、、激動の時代に生れた子供らは
よくぞ、、、育ったモノだと、、、
我と我が身を、、、主張する事より
「生きている!」という事が
天地の命令の様な気がするときがある。
母の故郷に向かって
最後の連絡船で、、、海を渡り、、、日本へ帰還!!
母のお腹の
ハンモックの様な特別室で
戦乱の中を、、、和歌山県、、、串本まで来て
「もう、、大丈夫な頃だ!?、、、なんて、、、」
私は、串本が爆撃を受けているのに、、
居こごちの良いはずの,、母の胎内から、、
声も経てずに、、、此の世に生れて
精神状態のパニックの大人たちに
「現時点では、、、女の子は要りませんという
戦乱の中に、、
お荷物として、、
誕生したのかもしれません。
私の人生を振り返ると、、、
和歌山県で育った13年間の間に
自然から受け取った
漠然とした、、、
人間が及ばない知恵と
「心の豊かさを持つ、、、
自然の在りよう、、と言えば良いのか?」
烈しい自然の雨風の中で
恵みの太陽と
大地の生命たちとの共存と
畏敬の念を抱く、、、
内なる未知の自分との
共存と言えば良いのか
大胆で、、向こう見ずで、、、
イケイケの幼子の気持を
台風の季節には
海にエンタシスが見えるような
怒涛の波が
生意気な幼子を恐怖に落とした。
目を瞠ったっまま、、、
恐さと不思議さと、、、
ある種の激動を伴う美しさの中に
海には神様が居るのか?
閻魔さまが居るのか?
大自然の持つ優しさと、
獰猛さを見た記憶が
生涯、、、
心のブレーキになって
人間の限界を、、、
幼い初めに知ってしまった。
成長するにしたがって
貧乏である事と
傲慢な人間であることと
金持ちなんて存在しない人間社会で
あくせくと働き、、、
働かざる者,、、喰うべからず。
日本は小さな島国であり
海の幸、山の幸を
敬虔な気持ちで戴かないと、
10年後は踏み台となる、、、知恵の世界は
有名大学や、能力別に評価を分けることで
人間が人間を仕切る、、、支配する、、、ランクをつける、
社会的な身分制度と、奴隷制度並みの経済界は
世襲制に例えても良いほど、
見かけの持ち主は変わっても
各ジャンルの大名並みに君臨する、、、見えない経済社会の仕組み。
人は、ある種の完全な自然を感じながらも
人類だけが生き残ろうとする
やんちゃな心を、、引き継いで
永遠のやんちゃな支配を目指して
100年で入れ替わる生命の前には
引き継いで行ける「文化」の形で
自然の中に埋没しない
「人間社会の中で
時間と闘うゲームをおぼえてしまったような気がする。」
人間の本当の敵は、、、目下のところ「時間だと思う。」
丸で台風や大きな地震のように
世界の経済界も日本の経済界も
人間の創ったゲームのように
精通した人々が精通した会社をつくり
民間から、、お金を巨大なスケールで出せる人が
国民い見える称号の「社長」「経営者」「理事」とか、、、
良くわかりませんが???偉い人の椅子にお座りになって
社会を動かしているように、、、、国民の庶民や
私などの、、、主婦層の大半も、名前が有名な地位の人が
権力者だと勘違いしている。
国民的に、、一世風靡した人も
見えに大きな世界的なネットワークの
経済界は、、、見えない人が、、
本当の権力を持っているんだろうか???
まさに、
「時は金也」
勝負は一瞬の連続で、、、
私の様な経済頓珍漢なものは
老後に備えて、、、頑張れるものは
バランス食を
セイイパイ考えて
健康の維持に。全神経と、残った体力をかけるしか
老後は乗り切れない。
元来が一億総貧乏時代の戦後は
市庶民が社会的に這い上がるのは
東大に入るか
医師や弁護士になるか
特殊な技術や語学堪能者になるかで
とりあえず、、、自宅は持てた時代だった。
人間が賢い動物だったとしたら
戦争はおこさないだろうね、、、。
賢い、、、賢い、、、と言われるほど
両刃の剣をもって
自分の人生も、、、相手の人生も、、、
めちゃくちゃにしながら、、、
勝てば官軍、、、
買った方が文化をつくり
歴史を塗り替え乍ら、、、
実は、、、大きなお金が動きながら
有名な人ほど
本人が気が付かないありようで
有名な地位に座りながら
呼吸をする度に、、、
業界に、、持ち金を吸い取られる仕組みではなかろうか?
戦後の一時期は
目まぐるしく、、、社長が入れ替わり
乗っ取り、、、買収や合併、、、会社ごと売ってしまいながら
銀座のど真ん中の超有名店の、跡取の長男が
父の社長の跡を継いだばかりに
税金が払えなくて、、、自らを絶った事件があった。
この頃から、、、身に付けるのなら
自分の能力として、客観性のある免許だと、、、
多くの人は、、免許職に向かったりした時代が在った。
人間👌、、哀しい生き物じゃない???
強いか弱いか、、、動物の世界のボスと違って
見えない組織が縦横無尽に絡まっていて
すなおな人生が過ごせないという
管理社会の中で
スマホさえ、、、管理されるデーターボックスになりかねない。
もっと、、何も考えないで
お米のご飯さえ食べれて
たまにかつ丼が食べられたら
名誉も地位も無くて、、、
自然のままに生きられたら
どんなに素直な人たちが
どんなにゆったりした社会を創るだろうか??
100年の人生の時間が
500年ぐらいに感じながら
南紀の清流で「鮎かけをしながら、、、白髪3千丈、、、」
長い人生の感覚は、、、一億総人口の国民が
あくせくしないで、、、お金のことを考えない人生で
自然の恵みに包まれたら、、、
老後は,、鮎かけのさおがあれば、、、野山の山菜と
とりあえず、、、胃袋は満足になるのなら、、、
後はスケッチの道具があれば、、、
時間を気にしないで、、、人生を全うできそうな
南紀の清流のを思い出すことが、、、
人生の晩年の、、、精神の逃げ道になって
自分のバランスを保てて入れるという
働けど働けど、、、じっと手を見る、、、
日本の多くの庶民の老後の気持ではなかろうか?
大自然に「時間の観念があるのだろうか?」
人間にとっての、、最大の敵がいるとすれば
100年で、、、死んでしまうという
タイムリミットだと思う。
100年で終わる人生の中で
お米のご飯が食べられて
人間釈迦の中で
片隅でも良い、、、座布団が一枚あって、、、
「笑点」のように、、、笑って生きていれば、、
充分ですよね、、、
一枚岩さん、、、あなたには、、、かないません。。。
何億年???生きていらっしゃるのですか??
あなたの父なる地球が爆発して、、、
海の底から押し上げられたのですか?
火の玉の地球と言う、、
あなたの家族の
火山の故郷には
もう、、還ることはないのでしょうか?・
熱い、、煮えたぎる、、、マグマの中で
育った一枚岩の
何億年の物語を聴きながら
多感な13歳まで、、、
南紀での自然の、教えの中で
振り返れば、、
私の母の胎内の延長の環境で
13歳まで、、大自然の母からの乳離れを出来ない
成長しそこなったまま、、、
過去を振り返っている。
一年生になったとき、
遠足で「一枚岩」に来ました。
一日中、河原に出て
水に入ったり
おにぎりを食べながら
ローレライの歌を唄ったのでした。
なじ~~かは~しらねど、、、、♪心~~~わ~びて
戦争から、、逃げて、、逃げて、、、
ここまで来たことが
一枚岩に 引き寄せられた
不思議な、、、導きによるものだと
勝手に,ありがたく神様を 感じて
「一枚岩」の前で
立ち尽くすのでした。
この岩は「龍」になって、、
背なかに私を乗せて
まだ見ぬ、、、疎開地の
家族の居場所に乗せていってくれるのだと
もしも、、疎開した日に
すでに
1年生になっていたら、、
思わず,、、「親愛なる、、、一枚岩ョ!!」
河原の「丸い大きな石」、、、
全てが、あたたかな
心の友に見えて
「一枚岩」に迎えられて
私は小学校一年生の遠足で
一枚岩までヤッテ来て
私たち家族を
故郷、、日本の心で
出迎えてくれているんだと、、、
自然は生きていると感じたに違いなかっただろう、、、!
この岩の前の街道を
赤子の私は
白川夜船の
母の懐で通過して
一枚岩の存在を知ったのは
そして
一枚岩と出会ったのは、、
1年生になってからでした。
つづく
南紀の山々を
古座川に沿ってさかのぼると
「街道を行く」という
著名な作家が書いた一冊の中に
「一枚岩」という、、、岩がある
狭い街道を熊野の山に向かってさかのぼると
突然、、、ローレライの物語りが
脳裏に浮かんでくるような
美しい岩山が立ちはだかるのです。
戦争で傷ついた人々を、
元気づけてくれる
海底から隆起したのであろう、、、
小山の様な、、大きな岩があり
その岩の前は
瀬音をたてて流れてきた
何本かの川が合流して
岩の前に、、、、
緑色した深い淵をつくっていた。
戦場から運よく帰還できた家族は
疎開地となった南紀の山の集落に
おどろおどろした気持ちで、
車の幅しかない山道を
敵兵が居ないだけでも、、
安どの気持ちで
、疎開先へと進んだであろうと思うとき
一枚岩の前を通りがかった父母は
この村との
「出逢い」の様な実感が有り
ローレライの歌を口づさみ
見知らぬ山村が
運命の恋人に出逢ったかのように
さすらいの、
心の扉が
開いてしまったに違いない。
生まれたての赤ん坊の私は
この岩の前を通り抜けて
奈良に方向へと、、熊野の山奥へと
疎開さしてもらったのです。
外国という
言葉の通じない
しかも、、、戦場の近くの
夫の病院のあるところから
歩いて行ける距離だったとはいえ
日ごとに
日本の情勢の
劣勢が漂う空気の中で
「私」という、、赤ん坊が、、、生れるのだから、、、
昭和の10年代の、、、激動の時代に生れた子供らは
よくぞ、、、育ったモノだと、、、
我と我が身を、、、主張する事より
「生きている!」という事が
天地の命令の様な気がするときがある。
母の故郷に向かって
最後の連絡船で、、、海を渡り、、、日本へ帰還!!
母のお腹の
ハンモックの様な特別室で
戦乱の中を、、、和歌山県、、、串本まで来て
「もう、、大丈夫な頃だ!?、、、なんて、、、」
私は、串本が爆撃を受けているのに、、
居こごちの良いはずの,、母の胎内から、、
声も経てずに、、、此の世に生れて
精神状態のパニックの大人たちに
「現時点では、、、女の子は要りませんという
戦乱の中に、、
お荷物として、、
誕生したのかもしれません。
私の人生を振り返ると、、、
和歌山県で育った13年間の間に
自然から受け取った
漠然とした、、、
人間が及ばない知恵と
「心の豊かさを持つ、、、
自然の在りよう、、と言えば良いのか?」
烈しい自然の雨風の中で
恵みの太陽と
大地の生命たちとの共存と
畏敬の念を抱く、、、
内なる未知の自分との
共存と言えば良いのか
大胆で、、向こう見ずで、、、
イケイケの幼子の気持を
台風の季節には
海にエンタシスが見えるような
怒涛の波が
生意気な幼子を恐怖に落とした。
目を瞠ったっまま、、、
恐さと不思議さと、、、
ある種の激動を伴う美しさの中に
海には神様が居るのか?
閻魔さまが居るのか?
大自然の持つ優しさと、
獰猛さを見た記憶が
生涯、、、
心のブレーキになって
人間の限界を、、、
幼い初めに知ってしまった。
成長するにしたがって
貧乏である事と
傲慢な人間であることと
金持ちなんて存在しない人間社会で
あくせくと働き、、、
働かざる者,、、喰うべからず。
日本は小さな島国であり
海の幸、山の幸を
敬虔な気持ちで戴かないと、
10年後は踏み台となる、、、知恵の世界は
有名大学や、能力別に評価を分けることで
人間が人間を仕切る、、、支配する、、、ランクをつける、
社会的な身分制度と、奴隷制度並みの経済界は
世襲制に例えても良いほど、
見かけの持ち主は変わっても
各ジャンルの大名並みに君臨する、、、見えない経済社会の仕組み。
人は、ある種の完全な自然を感じながらも
人類だけが生き残ろうとする
やんちゃな心を、、引き継いで
永遠のやんちゃな支配を目指して
100年で入れ替わる生命の前には
引き継いで行ける「文化」の形で
自然の中に埋没しない
「人間社会の中で
時間と闘うゲームをおぼえてしまったような気がする。」
人間の本当の敵は、、、目下のところ「時間だと思う。」
丸で台風や大きな地震のように
世界の経済界も日本の経済界も
人間の創ったゲームのように
精通した人々が精通した会社をつくり
民間から、、お金を巨大なスケールで出せる人が
国民い見える称号の「社長」「経営者」「理事」とか、、、
良くわかりませんが???偉い人の椅子にお座りになって
社会を動かしているように、、、、国民の庶民や
私などの、、、主婦層の大半も、名前が有名な地位の人が
権力者だと勘違いしている。
国民的に、、一世風靡した人も
見えに大きな世界的なネットワークの
経済界は、、、見えない人が、、
本当の権力を持っているんだろうか???
まさに、
「時は金也」
勝負は一瞬の連続で、、、
私の様な経済頓珍漢なものは
老後に備えて、、、頑張れるものは
バランス食を
セイイパイ考えて
健康の維持に。全神経と、残った体力をかけるしか
老後は乗り切れない。
元来が一億総貧乏時代の戦後は
市庶民が社会的に這い上がるのは
東大に入るか
医師や弁護士になるか
特殊な技術や語学堪能者になるかで
とりあえず、、、自宅は持てた時代だった。
人間が賢い動物だったとしたら
戦争はおこさないだろうね、、、。
賢い、、、賢い、、、と言われるほど
両刃の剣をもって
自分の人生も、、、相手の人生も、、、
めちゃくちゃにしながら、、、
勝てば官軍、、、
買った方が文化をつくり
歴史を塗り替え乍ら、、、
実は、、、大きなお金が動きながら
有名な人ほど
本人が気が付かないありようで
有名な地位に座りながら
呼吸をする度に、、、
業界に、、持ち金を吸い取られる仕組みではなかろうか?
戦後の一時期は
目まぐるしく、、、社長が入れ替わり
乗っ取り、、、買収や合併、、、会社ごと売ってしまいながら
銀座のど真ん中の超有名店の、跡取の長男が
父の社長の跡を継いだばかりに
税金が払えなくて、、、自らを絶った事件があった。
この頃から、、、身に付けるのなら
自分の能力として、客観性のある免許だと、、、
多くの人は、、免許職に向かったりした時代が在った。
人間👌、、哀しい生き物じゃない???
強いか弱いか、、、動物の世界のボスと違って
見えない組織が縦横無尽に絡まっていて
すなおな人生が過ごせないという
管理社会の中で
スマホさえ、、、管理されるデーターボックスになりかねない。
もっと、、何も考えないで
お米のご飯さえ食べれて
たまにかつ丼が食べられたら
名誉も地位も無くて、、、
自然のままに生きられたら
どんなに素直な人たちが
どんなにゆったりした社会を創るだろうか??
100年の人生の時間が
500年ぐらいに感じながら
南紀の清流で「鮎かけをしながら、、、白髪3千丈、、、」
長い人生の感覚は、、、一億総人口の国民が
あくせくしないで、、、お金のことを考えない人生で
自然の恵みに包まれたら、、、
老後は,、鮎かけのさおがあれば、、、野山の山菜と
とりあえず、、、胃袋は満足になるのなら、、、
後はスケッチの道具があれば、、、
時間を気にしないで、、、人生を全うできそうな
南紀の清流のを思い出すことが、、、
人生の晩年の、、、精神の逃げ道になって
自分のバランスを保てて入れるという
働けど働けど、、、じっと手を見る、、、
日本の多くの庶民の老後の気持ではなかろうか?
大自然に「時間の観念があるのだろうか?」
人間にとっての、、最大の敵がいるとすれば
100年で、、、死んでしまうという
タイムリミットだと思う。
100年で終わる人生の中で
お米のご飯が食べられて
人間釈迦の中で
片隅でも良い、、、座布団が一枚あって、、、
「笑点」のように、、、笑って生きていれば、、
充分ですよね、、、
一枚岩さん、、、あなたには、、、かないません。。。
何億年???生きていらっしゃるのですか??
あなたの父なる地球が爆発して、、、
海の底から押し上げられたのですか?
火の玉の地球と言う、、
あなたの家族の
火山の故郷には
もう、、還ることはないのでしょうか?・
熱い、、煮えたぎる、、、マグマの中で
育った一枚岩の
何億年の物語を聴きながら
多感な13歳まで、、、
南紀での自然の、教えの中で
振り返れば、、
私の母の胎内の延長の環境で
13歳まで、、大自然の母からの乳離れを出来ない
成長しそこなったまま、、、
過去を振り返っている。
一年生になったとき、
遠足で「一枚岩」に来ました。
一日中、河原に出て
水に入ったり
おにぎりを食べながら
ローレライの歌を唄ったのでした。
なじ~~かは~しらねど、、、、♪心~~~わ~びて
戦争から、、逃げて、、逃げて、、、
ここまで来たことが
一枚岩に 引き寄せられた
不思議な、、、導きによるものだと
勝手に,ありがたく神様を 感じて
「一枚岩」の前で
立ち尽くすのでした。
この岩は「龍」になって、、
背なかに私を乗せて
まだ見ぬ、、、疎開地の
家族の居場所に乗せていってくれるのだと
もしも、、疎開した日に
すでに
1年生になっていたら、、
思わず,、、「親愛なる、、、一枚岩ョ!!」
河原の「丸い大きな石」、、、
全てが、あたたかな
心の友に見えて
「一枚岩」に迎えられて
私は小学校一年生の遠足で
一枚岩までヤッテ来て
私たち家族を
故郷、、日本の心で
出迎えてくれているんだと、、、
自然は生きていると感じたに違いなかっただろう、、、!
この岩の前の街道を
赤子の私は
白川夜船の
母の懐で通過して
一枚岩の存在を知ったのは
そして
一枚岩と出会ったのは、、
1年生になってからでした。
つづく
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