本ブログ内の写真は「photoAC」様ホームページから入手しました。
こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。
難聴の人に限らず、これからお話することはご参考になったらうれしいです。
言いたいことは三つです。
〇自動車で道を譲ることは、運を貯めること。
〇道を譲るにしても交通ルールを守る。ルールを守らず譲るだけでは自己満足。
〇普段の生活でも、道を譲る心がけが満足感へとつながるのかも。
定年退職して家でひとりで過ごすことが多くなりました。結婚はしています。会社勤めしていた頃は、同僚を助けたり助けてもらったりと、人との交流がありました。
でも、家にひとりいるとだれかに何かをしてあげたり、してもらったりとお互いに笑い合えるような温もり(ぬくもり)が無いんです…。
そんな時、車ででかける喜びにちょっとした変化がありました。運をためるという発想をしました。現代的に言えばポイントを貯めること。
車で運転していて、道を譲ってあげるんです。誰でもすぐできることです。あなたにもすぐできます。危険がともないますから、できるかぎりでいいです。
そうすると譲った相手から笑顔😊 がもらえます。挙手🙋や会釈がもらえることもあります。これはポイントを貯めている気分。
若い時にはお気に入りの車に乗って我先にと目的地へ急ぎました。予定より早く着いてひとりいい気分になっていました。今振り返ると小生のこころは子どもだったんです。
道を譲り相手が礼を返してくれるとなんとも言えない豊かな深い満足感を感じます。小生はそれを楽しんでいます。変な奴でしょうか?
道を譲ろうとしても頑として受け入れない方がときどきいらっしゃいます。相手の哲学に従いましょう。
難聴になって定年して、生き方がちょっと変わったんです。大人になったんです。
話はちょっと変わります。道を譲る気持ちは、車の運転だけではなく、生活する上でもこころの安定に有効なんじゃないでしょうか。小生もできるだけ人が喜ぶことをしてあげたいと思います。損得が絡むのでなかなか難しいですが...。
笑顔をたくさんもらって見えない運を貯めてあの世へ旅立ちたいものです。
ご参考)
「人生とは何ぞや?」―ノーパンである― ↓
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「人生とは何ぞや?」 ―ノーパンである― 親鸞の歎異抄(たんにしょう)、道元の正法眼蔵(しょうほうげんぞう)、デカルト、ヴォルテール、ヘーゲル、ヤスパース、カント等...
笹川陽平ブログ(日本財団会長)
CANPAN BLOG 笹川陽平様のブログより
ありがとうございました。