女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

楽しめるときは、短いのでね。

2015-07-21 01:58:09 | 日記
私は今では、すべてにおいて生きることを消化しているだけ。
たまに、金魚がつまらなそうにこっちをみているときでさえ、つまらない。

若いときのその、感動とか、喜びとかはまるでない。
しかし、それが不思議に悲しいとかはおもわないのだ。

何もかも新鮮でない、人を見ても感動もしない。
老人になるということは、感動がうすくなり、なんともなくなることなのだ。

ときめきがないので、恋愛などはしなくなった。
それは、恋愛などのプロセスがわかりすぎて、ゲームのようで結果がみえてつまらない。

意外な展開なんてないのだ、男はやりたい。
おんなは、やりたくない、それが恋愛のはじまりで、終わりはやられるかやるのかで終わる。

冷ややかな目線で見ても、ロマンチックなど、年を取るとないのだ。
人を見ても、現実ばかりが見えて、その人のことを特別視できなくなる。

どんな男でも、女でも、糞をして飯を食い、そして眠るだけなのだ。
何も変わったことはない、人間なんて所詮動物だから、夢などないのだ。

若いときの錯覚したときがなつかしい。
一人の人を特別視したときが、夢を見ていたときがなつかしい。

今では誰を見ても、夢などはない。
病気をしないように、適当に長生きして、これからの余生をおくれたらいいのだ。

若いときのように、夢を終えるときはほんのすこしだから。
みんながもし若いなら、そのときを大切にしてほしい。

年をとると、ゆめでなく、現実の暮らしだけだから、あきあきするのだ。
臭いくそを毎日するのを、あほらしく思うだけの日々になるのは間違いないのだから。

ラブホテルの話。

2015-07-21 01:40:23 | 日記
私がまだ、若いときの話です。
愛知県一宮市の、インターにあるホテルをいつも見て思いました。

お城のような形とか、なんか田舎の田んぼの中に夢があったのです。
夢のような場所であり、現実を忘れるところでした。

中に入ると、驚くような場所でしたね。
空中回転ベッドとか、なんだかわからない設備がありました。

ぎんぎらとした、照明がありなかなか眠れなかったことを思い出します。
何もかも、現実離れをしていて、私はラブホテルがすきでした。

セクロスそのものも、きらいではなかったけど、ラブホテルのあの雰囲気がすきでした。
色とりどりのいやらしい照明とか、可愛いお風呂とかなんかおとぎの世界のようで。

若いながらも、いろいろホテルっていいなあと感じていました。
風呂が限りなくでかい、その中で泳いだこともあるし。

あの田舎の空間でしかない、淫靡ないやらしさではなく、どこか違った世界に迷い込んだかんじ。
遊び人ではないので、死んだだんなといったんだけど、楽しかった。

ドライブをよくした帰りによったりした、金華山の夜景とかきれいだったしなあ。
夜のドライブは、すごく楽しくって、今でも青春っていいなあとかんじている。

今の住んでいるところは、都会のかたすみ、ぜんぜんおもしろくはない。
あたりまえすぎて、夢もなく一人で生きるには、楽しみなんていらないようなかんじで。

みんなは、都会の子か、田舎の子かわからないけど、田舎の人間の私にとってあそこは夢だった。
夢を見たまま、大人になって、ひとりになって、二十歳のときのときめきが消えた今時をきざむだけにいきている。

老人になったのだろうか、何もすべてにおいて、ときめきはない。
夢のあるお城に行ったときの、あのみだらでもない、たのしいときめきはいまではない。

しかし、そんな楽しいときをすごしたから、今があるつまらない今がある。
いまでも、あのお城のような建物を見ると、小さなテーマパークのようでならない。

私にとっては、あのお城が、現実逃避できるものだったのだ。
田舎のお城は、ひろくていい、そして田んぼの真ん中にあり、のんびりしている懐かしくてため息が出た。

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