私は今では、すべてにおいて生きることを消化しているだけ。
たまに、金魚がつまらなそうにこっちをみているときでさえ、つまらない。
若いときのその、感動とか、喜びとかはまるでない。
しかし、それが不思議に悲しいとかはおもわないのだ。
何もかも新鮮でない、人を見ても感動もしない。
老人になるということは、感動がうすくなり、なんともなくなることなのだ。
ときめきがないので、恋愛などはしなくなった。
それは、恋愛などのプロセスがわかりすぎて、ゲームのようで結果がみえてつまらない。
意外な展開なんてないのだ、男はやりたい。
おんなは、やりたくない、それが恋愛のはじまりで、終わりはやられるかやるのかで終わる。
冷ややかな目線で見ても、ロマンチックなど、年を取るとないのだ。
人を見ても、現実ばかりが見えて、その人のことを特別視できなくなる。
どんな男でも、女でも、糞をして飯を食い、そして眠るだけなのだ。
何も変わったことはない、人間なんて所詮動物だから、夢などないのだ。
若いときの錯覚したときがなつかしい。
一人の人を特別視したときが、夢を見ていたときがなつかしい。
今では誰を見ても、夢などはない。
病気をしないように、適当に長生きして、これからの余生をおくれたらいいのだ。
若いときのように、夢を終えるときはほんのすこしだから。
みんながもし若いなら、そのときを大切にしてほしい。
年をとると、ゆめでなく、現実の暮らしだけだから、あきあきするのだ。
臭いくそを毎日するのを、あほらしく思うだけの日々になるのは間違いないのだから。
たまに、金魚がつまらなそうにこっちをみているときでさえ、つまらない。
若いときのその、感動とか、喜びとかはまるでない。
しかし、それが不思議に悲しいとかはおもわないのだ。
何もかも新鮮でない、人を見ても感動もしない。
老人になるということは、感動がうすくなり、なんともなくなることなのだ。
ときめきがないので、恋愛などはしなくなった。
それは、恋愛などのプロセスがわかりすぎて、ゲームのようで結果がみえてつまらない。
意外な展開なんてないのだ、男はやりたい。
おんなは、やりたくない、それが恋愛のはじまりで、終わりはやられるかやるのかで終わる。
冷ややかな目線で見ても、ロマンチックなど、年を取るとないのだ。
人を見ても、現実ばかりが見えて、その人のことを特別視できなくなる。
どんな男でも、女でも、糞をして飯を食い、そして眠るだけなのだ。
何も変わったことはない、人間なんて所詮動物だから、夢などないのだ。
若いときの錯覚したときがなつかしい。
一人の人を特別視したときが、夢を見ていたときがなつかしい。
今では誰を見ても、夢などはない。
病気をしないように、適当に長生きして、これからの余生をおくれたらいいのだ。
若いときのように、夢を終えるときはほんのすこしだから。
みんながもし若いなら、そのときを大切にしてほしい。
年をとると、ゆめでなく、現実の暮らしだけだから、あきあきするのだ。
臭いくそを毎日するのを、あほらしく思うだけの日々になるのは間違いないのだから。