いま、何でも買える売ってないものはない、しかしこんなものはあるのだろうか。
お金ならいくらでもあるといった、あほな男が自分の性欲のために女を買ったように。
かえないものはないこの世の中で、何でも売っているところがあるという。
男たちは、女がほしいとおんなの穴をすぐに、買いたがる。
女たちは、幸せがほしいと、悲しい現実を嘆いて暮らす。
しかし、女たちは、幸せを求めて、いつもあるところに行くのだった。
それは、通信販売でも売ってない、テレビにもない不思議なところにあった。
生きることに絶望した人々が行くと、自殺を思いとどまるそんなところなのだ。
幸せ売り場、それは都会の片隅にあった。
大きなビルの路地裏にあり、なかなかわかりにくい場所にあるのだった。
黄金色の看板に小さく、「幸せ売り場」と書いてあるのだ。
私は、その店を見つけるために、一日を費やしたのだ。
その売り場は、なんでもないようなものを売っていた。
だけど、それが幸せになるものなのかは、とても疑問だったのだ。
一つ一つ商品を見ていても、それが幸せと関係のあるものだとはわからないのだ。
でも、少しだけ昔を思い出して、母との思い出に癒されていくのだった。
その幸せ売り場に、行くことがそれが、幸せになる道だったのだ。
何も買わないで、その場所の品物をみていると、不思議と昔を思い出す。
そんな場所だと、あとあときづくのだが。
その売り場は、季節ごとに場所を変更していてなかなか見つからないのだ。
癒される場所であり、品物は見るだけで、売らない小さな店だ。
それは、みんなの頭の中にあり、つらいときや寂しいときに出てくる店なのだ。
でも、その場所は、はっきりとはしない。
夢にでもでてくるような、セピア色した、昔の古い香がして癒される店なのだ。
だから、幸せを探したくなったら、都会の片隅に行くといい。
きってあるはずなのだ、昔の母さんの香が染み付いた、幸せを売る幸せ売り場がね。