女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

私のこだわり。

2015-09-19 20:11:17 | 日記
個性的な人間ではないが、人と同じではつまらないほうで。
だから、古いものも大好きなのだ。

古いといえば、昔使っていた洗濯板もなつかしいなあ。
阪急百貨店には、あるんですよ。大阪で一番のお店でね。

かなだらいに、洗濯板でごしごしなんてみんなしらないでしょ。母がよくしていた。
のんびりと、洗濯していた頃がなつかしいなあ。

阪急百貨店は生まれ変わり、広くなりとてもきれいになりました。
古いものも、たくさんあるのですが、とても手ごろな値段で懐かしいです。

見ているだけ、むかしにもどるものです。
昔は、何でもエコでした。ほうきと、ちりとりでそうじしていたものです。

鉄のフライパンも、素敵でした。
そう、なんでも便利で、いいとはかぎりませんね。

秘密も何もなくなる、携帯電話なんて、嫌いです。
変わっているでしょ、どこにいるかわかるなんてね。おもしろくないな。

危険でない限り、自由がいいんです。
昔はそんな時代です、不便でも、自由でゆっくりとした生活がありました。

今は何でも、金さえあれば手に入るという時代に、昔の道具がほしいですね。
手に入らない、鉄のミシンもおなじです。こだわりなのです。

自分の過去は、戻りませんが、過去の道具はどこかにあるのです。
もちろん、骨董品は高いので、手が出ないのですが、復刻品はたまにほしくなりますね。

万年筆も大好きでした。今ではあんまり使わないけどね。
何でも、便利な世の中で、手紙などはあまり書かないので、もらうとうれしいものです。

手書きなら、なおさらですね。
阪急百貨店には、昔のものがたくさん置いてあります。

未来の美しい吹き抜けの建物でありえないような、古いものがあります。
大阪って、面白いところですね。

あなたも大阪に着たら、阪急百貨店によってほしいです。
昔と、今が仲良く共存しています。

そして、大阪らしくなく、すっきりとしているのはおどろくでしょうね。
私は、広々としてこの百貨店が一番今では、好きですね。

雑巾から、スカート、すべて足踏みミシンでしたね。

2015-09-19 10:17:12 | 日記
初めて、縫い始めたのは、小学校の高学年だったと思います。
手縫いからはじめて、足踏みミシンでぞうきんをぬいました。

家庭科の時間中学では、ワンピースから、すべてミシンで縫いましたね。
あの頃をよみがえるほど、今懐かしいのです年よりは、昔のほうがよくおもいだすのでね。

お母さんと一緒に使った、黒い足踏みミシンはとても良い思いでなのです。
私は、学問はできるほうではないのですが、手芸とかは好きで、よく子供の頃からやっていました。

そのとき、近所からもらった足踏みミシンを確か使っていたことを思い出します。
値段はわからないけど、机の中にしまえる、黒い鉄の塊が、素敵だったことをわすれませんね。

手縫いも嫌いではないのですが、あの黒いミシンは、特に思い出なのです。
貧乏だから、そのときももらい物でしたが、今では貴重なものなのですね。

置いておくだけで、母やいろいろな思い出がよみがえるはずであるミシンがいまはない。
とても悲しいし、そして時代遅れの自分が時代に取り残されたまるでシイラカンスのようでさみしいです。

単純できれいに縫える、今では安くてすぐに壊れる時代。
こんな古くて、愛着がある優れものがないなんて、世も末です、パソコンだけは今のほうがいいですけどね。

小さなパソコンで、世界をみれるのですから。
それでも、いいものは高くはないですね。これも安いものでブログを書いていますからね。

必要とするものは、新しいものばかりではないのです。
形ではなく、電気を使わない、ある意味エコなのですが、ありませんね。

しかし、どこかのインドなどの発展途上国に今でも足踏みミシンがあるそうですがね。
日本でも、邪魔にならないように隅っこに眠っているのなら、私にください。

なんていっても、ないのならいつかあきらめる日がくるのかもしれない。
インターネットでは、使っている人がいるので、まだあきらめてないけどね。

手縫いよりも、楽だからミシンがほしいのだ。

2015-09-19 09:59:08 | 日記
単純で、とてもきれいな縫い目ではやい。
昔の足踏みミシンでも、よかった。

手縫いの時代ではないし、物を作る時代でもないらしい。
働いて、何でも買える世の中で、私だけの手作りは必要ないらしい。

でも、古い人間の私は、手作りがすきなのだ。
人間の中でも、今に対応できない機種なのだ。

いまだに携帯電話を持たないのは、おそらくすくないだろう。
いらないものはいらない、ほしいものは古くてもほしいのだ。

こんなわがまましか言わないのに、神様はくださらない。
いらない携帯電話を楽しそうに操作するのが、今の人間みたいだ。

私は、機械に操られたくないのだ、あくまでも私があやつるのだ。
だから、毎日遣うこともないであろうミシンを探している。

でも、大阪でないのなら、どこかの田舎である鉄のすごいものをほしい。
私のほしいものは、あくまでも自分が操れるものであることを覚えていてほしいね。


自転車だって、中古だしね。

2015-09-19 08:27:04 | 日記
新しい自転車を、大阪に来るときにもらったが、それを8年ほどで、回収されてあきらめた。
その後に、一万円以下の安い自転車に乗っている。

タイヤは替えたけれど、ボディは、自分で塗り替えたりして乗っている、たぶんぼろぼろになるまで使うのだ。
そういうわけで、中古でもミシンは、ほしいのだ。

新しいミシンは、安くて悪いものばかりで、めがいかない。
すぐに壊れてしまいそうで、いけない、かといって高いものはわたしにはあわないし、いらないのだ。

安くて丈夫なものが、ほしい。
せめて、昔の人間のように見た目は悪いが、頑丈で丈夫なものがいいのだ。

鉄の足踏みミシンは、電気も要らないし本当にシンプルでこわれなかった。
今のミシンは、いろいろ機能があるが、すぐに壊れる。

自転車も、電動など入らない、只走れるものがいいのだ。
私は、要らない機能は必要としないので、何でもいるものだけついていてほしい。

金額も高価なものを買っても、所詮消耗品だから、無駄だと感じている。
もちろん、ブランドなどは、興味もない。

私に会わない、貧乏な自分には、あわないものはつけないのだ。
身分相応で、いるものだけほしいのだ。

だから、中古でいいのだ。
わたしも、ぼろぼろの中古の人間だから。

治して使って、後どれぐらい持つものかは、自分でもわからないが。
何でも、高価のものを身に着けなくてもいいから、楽ではあるが。

ちなみに、今使っているパソコンも安く5千円以下である、でもつかえるのでいい。
見た目よりも、使えて丈夫なものがいい、探すことも楽しい作業である。

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