気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

氣とは ②

2010-01-10 20:41:53 | Weblog
ふだんの生活で自覚している自分は

  本当の自分のごく一部に過ぎません。


自覚できないところに

  自分を支えている

  自分の源である本当の自分がいる ・・・ のです。


そして

この自覚できないところで働いている力のことを

        『氣』と呼んでいる ・・・ のです。





氣とは ①

2010-01-10 19:24:45 | Weblog
どんな働きがあって

  子どもが誕生してくるのでしょう ・・・ ?


頭で考えてもわかりませんね。


わからないけれども

  ・・・ わからないから 神秘 といわれるのですが ・・・

なにがしかの働きによって

      確実に子どもは誕生してきます。


このような

私たちの通常の意識では

  とらえられないけれど

誰もが

  その存在を認めざるをえない働き

その働きこそが

     実は『氣』そのもの ・・・ なのです。










親の因果が子に報い

2010-01-10 18:23:04 | Weblog
日本の古い諺に

「因果はめぐる風車」

        という言葉があります。


風車に風があたると

  くるくるまわって

    風車の模様がいろいろと変化しますが

一回まわると

    もとの模様にもどります。


二回、三回とまわれば

  同じ模様が何度でもめぐってきます。


人の運命的な出逢いを

  この風車の動きになぞらえていったものでしょう。



ある高校の先生が

「三年生ぐらいになると

    恐ろしいほど親に似てくる」といいましたが、

身体の形態的なものだけではなく

  生徒の持っている人格的雰囲気のようなもの

 たとえば

  性格とかクセ

   あるいは

  仕草というものが

    なんとなく親に似てくる ・・・ ということです。



また諺に

「親の因果が子に報い」

         というのもあります。

子どもの運命が

  親と同じようなあとをたどる ・・・ ことがよくあります。


さて ・・・










世の奥さんへ

2010-01-10 17:26:01 | Weblog
奥さん。


ご主人と子どもさんの料理に

           差がありすぎませんか。


料理を作るとき

  子ども本位に考え

まず子どもにご馳走をを食べさせ、

  その残飯をご主人に食べさせていませんか。


ご主人の座る場所や座布団は

     子どもよりいい物を敷いていますか。



子どもにはブランド商品を着せ

  ご主人は既製品で間に合わせていませんか。


ご主人に不平不満をいいますが

  子どものわがままには

    一言も反発できないでいるのではないですか。


ご主人が子どもを叱りつけると

  奥さんはムキになって

          子どもを弁護してはいませんか。





楽と便利さを求めすぎた

2010-01-10 16:33:43 | Weblog
これからは

従来の人間の生き方

      あり方に対して

息づまりや

  反省が起こってくる時代だ ・・・ と考えます。


科学文明にだけ頼りきった進歩の理想が

      修正されなければ ・・・

ロボットやコンピュータなどの機械文明

情報技術文明によって ・・・

  人間性そのものが

    はじき出されてしまう時代 が

      かならずやってくる ・・・ でしょうね。


楽と便利さを求めすぎたために

  人間の心がおかしくなる ・・・ ということです。



それは

今の世の中を よくご覧になれば

  随所に現れている ・・・ のがおわかりでしょう。









 

一に止まる

2010-01-10 15:53:03 | Weblog
正しいという字をみてください。

一に止まる ・・・ と書きます。


一ヶ所に止まる ということが

          どんなことでも大切です。


「進歩する ことはいいことだ」

「豊かになる ことはいいことだ」 と思って

  今日に至りましたが ・・・

その進歩や豊かさの裏から

  不気味な顔が

    ちらちらのぞいている ・・・ のではありませんか。


そんな危険を感じたら

  一度止まってみる必要がある ・・・ のです。

そのまま押し進めていくことが

  どんなに危険なことか

そのときが来るまで

       人間はわからないのではないか ・・・ と思います ね。




Aさんご夫婦へ

2010-01-10 14:23:27 | Weblog
ご不自由なお子さんを持っておられるAさんへ


ご不自由なお子さんは

  ご自分の影だ ・・・ と思って下さい。

なんて私は不運なんだろう

  と思っていらっしゃる心を ・・・ 変えてごらんなさい。


その切なさを

  自分の一部として身に引き受ける ・・・ ことです。


もし

お子さんがいなかったら

あなたは平々凡々として

  夢のように人生を送ってしまう ・・・ ところでした。

しかし

あなたはその子の病気によって

  自分や世の中を見つめ直す眼を

    持つことができた ・・・ のではないでしょうか。


「逃げよう。助かりたい」

  という心を持ち続けている間は

    人生をみつめる眼は育ちません。


その切なさを

  自分自身に引き受けてごらんなさい。

また

  別な世界が見えてきますよ。



人生の割れ目を

  あなたは覗いた ・・・ のです。

人生の足元に

  大きな亀裂が開いている

    と気づく人は そう沢山はいません。



あなたは

  お子さんから人生を学ぶ人 ・・・ になってください。

お子さんの病気を

  無意味にしないでほしい ・・・ と思います。









    

宗教的教養ゼロ

2010-01-10 09:28:19 | Weblog
いくら社会的地位がある人でも

  「あんな信仰をされている」と思われる人が

世の中には

  意外と多い ・・・ ものです。


社会的に高い評価を受けている人は

  物質的な目に見える世界の因縁はいいのでしょうが

精神的世界の因縁は低い
 
         ・・・ という例も多々あるわけです。

つまり

地位・財産と信仰の高低は無関係 ・・・ なのです。


それに加えて

日本人は

  宗教的教養はゼロに等しい点にも問題がある

                ・・・ と思います。

日本人は

  宗教的教養を除いては

    大変教養の高い民族だ ・・・ と思います。


ところが

こと 宗教に関しては

  これほど無知な民族も少ない ・・・ のではないでしょうか。




* ちなみに、
 先日訪中した際、一時問題となり、今は息を潜めている「法輪功」が話題となりました。
 そして、同じような事例が話されました。









 

利益信仰以下

2010-01-10 07:14:41 | Weblog
世の中には

「利益信仰」にもならないことで

          信仰している集団があります。


たとえば

心霊現象を売りものにしている信仰 ・・・ です。


「霊が見えた」

「霊がついた」 とか

「キツネがついた」

「山神のたたり」 等の

異常心理に属するたぐい ・・・ です。


キツネの物まねをしたり

とびはねたりというような現象に

      異常なまでに関心をもって

心霊的世界にのめりこみ

      その神秘性に陶酔してしまうような信仰 ・・・ です。


こうした信仰に夢中になると

  異常現象に大変敏感になり

その信仰が原因となり

  分裂症のような行動が生まれてきます。


そして

問題にならないようなことに

  異常にこだわり

  極端に迷信深く ・・・ なります。


「墓」

「井戸」

「姓名」

「印鑑」 等々

限りなく自分から不安になり

  その不安が迷信に結びつき

生活のいきづまりが起きはじめる ・・・ のです。


こういう信仰者は

  一見 大変信心深く見えますが

その信仰は生活の上で

  なんの役にも立たないし

  かえって 生活に迷いの影を落としているのですが ・・・

一向に 気がつかなくなります。


生活に力を与え

  精神的に落ち着きが生まれる信仰でなければ

その信仰は

  たんなる 信仰ノイローゼにすぎません。


ところが

今日

この種の信仰は ますます盛んになるのですから

          ・・・ おどろくほかはありません。


信仰の指導者自身が

  むしろ この種の信仰を神秘的に助長する ・・・ のですから

一体 宗教や信仰について

  何を考えているのか ・・・ 疑いたくなります。


恐らく

宗教については

  無知であり

  全くの素人 ・・・ なのだと思います。



* ちなみに 道路向かいの食堂のオバさんがその世界にドップリの模様
  ・・・   身近かにあるものです。


  

苦痛 ・ 幸せ

2010-01-10 06:17:27 | Weblog
何を幸福と考え

何を不幸と考えるかで

       幸、不幸の状態は変わってきます。


つまり

生きる上において

  「何が一番大切なのか」という

    価値観の違いによって

       幸、不幸感は違ってきます。


「物」を

  幸福の条件と考える価値観の持ち主にとって

       貧しいことは 苦痛 ・・・ です。


反対に

「精神」の深まりこそ

  人生の喜びがあると考える人は

たとえ貧しくも

  心を満たす世界を持っている限り

       それ自体 幸せ ・・・ と感じます。