気の広場

気の世界あれこれ・・・
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天使にであいました ・・・ 一枚の写真

2010-05-02 18:02:16 | Weblog
ブログのなかで、天使にであいました。

お母さんの手作り料理に大満足 ・・・ の天使です。
お母さんの愛情が、お口の中いっぱいに広がっているのでしょうね。

そばで見つめるお父さん、お母さん、ごきょうだいの優しい視線まで感じる一枚です。
・・・ 嬉しくなりますね。

 * 無断掲載をお許しください。


最近の子どもたち ・・・ 気力がない・あせっている  

2010-05-02 13:02:07 | Weblog
最近、一番目だって気がつくのは

  子どもたちに気力がない ・・・ ということですね。

それから

あせっている ・・・

気持ちがあせっているということが

  子どもばかりじゃなくて青年もですね。

非常に気なることだ ・・・ と思うんです。


もっと重大な問題っていうのは

人間の優しい気持ち

    情について ・・・ です。

この10年ぐらい前から

  急激に冷たくなっているといいますか

人と人との心の交流が

  非常にしにくくなっている ・・・ と感じます。


これはおそらく

統計的にはわからないんですが

  経験的に誰でも感じているんじゃないか ・・・ と思うんです。


お互い同士信頼しあわない

お互いに信頼しない

  という前提の上でつきあっているというようなのが

高校生、大学生の中で非常に多い ・・・ のです。


子どもたちにしても

中学生や小学生くらいの子どもたちにしても

何か人間同士の温かい心というのが

  非常に少なくなっている ・・・ ように感じられます。


これは 大変なことで

それこそ

10年先、15年先のことを考えてみると

  どんなことになるか、ゾーッとするような事実だ

    ・・・ と思うんですが
 
これは ただ無闇に

  競争に勝てばいいんだっていうふうな姿勢での

    教育を受ける結果だろう ・・・ と思います。









 

賢明なお母さん方へ ・・・ 続・子ども操縦術

2010-05-02 07:58:39 | Weblog
 すべては、赤ん坊が赤ん坊として生まれた時のお母さんの育て方というところから出発しているのだろう ・・・ と思います。

 つまり、お母さんが赤ん坊を育てるのに、物とか知識(痴識?)とか ・・・ 物や知識で子どもが、人間が育つという迷信があります。物や知識というのは、愛情にとって ・・・ 愛情って言うんでしょうか、まあそうでしょうね ・・・ 愛情の不良導体みたいなもんで、物や知識にまかせて、子どもが育つというようなことを考えたら、お母さんの愛情というのは子供に届かないんじゃないか ・・・ と思うんです。

 今日親は、物でも勉強道具にしても、本にしても雑誌にしても、本当にとても消化しきれないほどたくさん子どもに与えています。
 例えば、食べ物なんかでも、無闇にたくさん、栄養のあるものをいっぱい並べて、食べきれないようなものを出して、それを食べろ食べろと言います。これは、やっぱり子どもの意欲を失わせることになります。
食べ物ばかりじゃない、持物でも何でも、あんまり欲しないのに先にいっぱい与えてやるということは、これはやっぱり意欲を失わせます。
それは、知識の点でも同じことだ ・・・ と思うんですねえ。

 それに、教育ってものは、先ず子どもをどういうふうに操縦するか、子どもをどうするかという問題よりか、やっぱり、自分自身、親自身がどう生きるかということが一番先にあって、それによって、子どもが影響を受けていく。
教育ってものは、技術以前の、そういう生活、親の生活そのものが、家庭教育の場合なんか最も大事なんだろう ・・・ と思うんです。

 やはり親が、人生観なり 価値観なり、これを本当に、改めなければ、ただ、点取り競争に追い込んでいって、子どもは不安・焦燥感にかられ、あるいはまた、劣等感に陥るということになってしまうわけで、まず堅実に自分の生活を築いていくということが実現されていかなければいけない ・・・ と、そんなふうに思うわけです。





子ども操縦術 ・・・ ジロツジロツ 

2010-05-02 06:17:41 | Weblog
 まあ、教育というものを、何か監督するとか、あるいは操縦する ・・・ 子ども操縦術というものだと思われていることが多いのではないでしょうか。

 ゲームばかりしているとか、漫画ばっかり見ているとかいう時に ・・・ まあ、この頃よく、あんまり親が子どもに、勉強しなさい、勉強しなさいと言うから勉強しなくなるんだ、という話をよく聞かされるわけですよね ・・・ 。


 昨日、私のところへやって来た人が、春休み中、私はついに一言も「勉強しなさい」ということを言わなかったんです ・・・ と言うわけです。
そこで、なぜ、そんなことを言いに来たのかと思ったら、何も一言も言わなかったにもかかわらず、春休み中、子どもはついに勉強しなかった。これはどういうわけでしょうと聞きに来たわけです。

 そこで私は「勉強しなさい」と言うからしないのか、「しなさい」と言うからするのか、そういうことが本当は問題じゃなくて、その時に、お母さんはどうしました?・・・・その時に、言葉では「勉強しなさい」とは言わなかったけれども、子どものほうをジロツジロツと、こう横目で見て、アッ、まだやってない、まだあんなことしてると、こういうふうな目で見たんじゃないのですか。
 子どものほうは、やっぱりお母さんにジロツとこう見られていることをチャンと知っているんですよ。その時の目というのは、お母さんの目というのは、非常に冷たいんじゃないか ・・・ と私は思うんですよ。

 本当は、教育というものは、監督したり、それから、うまく操縦したりというようなことではなくって、また、そういう冷たい目で教育ってのはできるんじゃなくって、温かい目で見る、温かい目の中でしか、本当の子どもの健全な精神の発達というものは期待できませんよ。
 だから親は、やっぱりナントカして、温かい目で見られるように ・・・ そんなふうに話しました。






薄紫 ・・・ ???

2010-05-02 05:22:28 | Weblog
 『源氏物語』は「気」と「色」の物語です。
その中心の色気は<紫>です。

 中国思想では、紫は赤と黒の混合で色の最高位を占める陰陽を混ぜた色で、赤と黒を混合すると、深い紫が出来るのです。

 つまり、深い紫ほど高い位を象徴するということで『源氏物語』に登場する人物のほとんどが、紫色に関係しています。
 紫の花を咲かせる桐と藤の「桐壺」「藤壺」「若紫」長じて「紫の上」、桐も藤も若紫もみな紫でも深い色ではなく・・・薄紫、つまり高貴な紫ではないですが、紫にこだわった物語であると言えるでしょう。

 紫色は、西洋では非処女、身持ちの悪い女であり、誰とでも交わる女の色です。

 そして日本でも、女でない女の色、「歌舞伎」の「女形」や御小姓さんの着物の色で、一般の女性が着る色ではなかったのです。

 アメリカでも、ゲイの人たちのことをパンジーと呼びますが、パンジーも紫。性別の境界線が曖昧な人たちが好む色なのです。

 お殿様が病気のとき、頭に巻いている鉢巻の色も紫。
そして、紫は細胞死を招く紫外線の、怖いパワーの気を呼び寄せる色でもあるのですが ・・・ 。


 さて、上海万博日本館の愛称は ・・・ 「紫蚕島」
日本側で公募し、日本側の有識者が選考して決まった愛称のようです。

 その形状とその色が「薄紫」であることからでしょうが ・・・ チョッと気になるのは私だけでしょうか。
 何か「揶揄(やゆ)されている」ような気がしてならないのです ・・・

 選考した有識者については、ま、そんなものでしょうが ・・・ なぜか、カノ国の名付け親(ご婦人)が未だ表に出たがらない ・・・ というのも気になるところです。


 ハイハイ、またまた、考え過ぎですね ・・・ 。


* なぜか、別タイトル(昨日)で接続制限が ・・・ よって、再出。