気の広場

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むかし こどもに ③ 「用」

2010-05-14 21:58:21 | Weblog
むかし こどもに「用」があった。


こどもの「用」は

  こどもの「あそび」とともにあった。

  こどもの「かせぎ」とともにあった。


「用」は

「あそび」と「かせぎ」と その両方からでてきた。

そこから、うまれでて いっそう大事なものとなった。


あそびに道具が必要になった。

こどもはどうぐをつくらなけれならない。

それを保管しなければならない。


その道具は

  自然のものからみつけだし

  自然のものをもちいてつくったりした。


人間がつくったもののきれはしでもつくったし

すたれたものからもつくった。


つくったものは大事にされ、珍重された。


あそびの道具はつくられたものとして

おとなからこどもにてわたされることもあった。



こどもの「かせぎ」のためにも、

  道具が必要となるときがきた。

そうなるときが、たちまちきた。


そのとき、こどもは

  「おまえのコガタナ」(きりだし小刀)

  「おまえのハサミ」

  「おまえのヤス」というようにあてがわれた。

やがては

  「おまえのクワ」

  「おまえのカマ」もあてがわれた。


このようなあそびの道具

かせぎの道具のはたらきに

  こどもは、しだいに「用」を感じた。


「用」を感ずるということは

  道具をつくりだすということであり

  それを珍重愛用することであり

それをつかって効用を発揮させるということであった。

その使用になれるということでもあった。











むかし こどもに ② 「かせぎ」 

2010-05-14 07:23:16 | Weblog
むかし、こどもに「かせぎ」があった。


こどもの「かせぎ」は

  祖父母や父母から、いいつけられてするものであった。

だから

てつだい、てだすけ、すける、などともいわれた。

「はたらけ」「はたらく」ともいい

おまえがかせぐとてつだうと

  「はたがらく」だから 「はたらく」だ

    などとのこじつけで、それは奨励されたりもした。


ときには

こどもが、かせがされすぎるということもあった。

しかし

こどもに「かせぎ」をさせるということは

  たしかに、おやたち、祖父母たちの賢明さからきていた。


こどもの「かせぎ」は

  自然とともにあり、

  からだとともにあり、

  みじかなひとびとと、

    とおくはなれぬところにあった。


そして「かせぎ」も、こどもを

  かしこくした。

  すこやかにした。

  しなやかにした。

さらに

  人間のなかまのこころを しるものにさせた。

  おもいやりのこころを、かれ自身のうちにそだてた。


ここでも、なぜ、「かせぎ」に

  これほどのほめことばをたてまつるのか。

こどもの「かせぎ」に

いま、こういうことばをささげることがすくないのを

            ・・・ こころひそかに なげくからだ。





むかし こどもに ① 「あそび」 

2010-05-14 05:52:53 | Weblog
むかし、こどもに「あそび」があった。


あそびは、こどもの真面目であった。

このあそびとしての真面目は、自然とともにあった。

こどものからだとともにあった。

そして

なかまとともにあった。


あそびは、こどもを

    すこやかにした。

    かしこくした。

    しなやかにした。



なぜ、「あそび」を

  このように、ほめたたえるみたいにいうか。


いまのこどものあそび

  そのあそびのすくなさ

  あそぶにも

    あそばれなくされていることに

・・・ かなしみといかりをおぼえるからだ。

・・・ その不幸にあわれをかんじているからだ。