気の広場

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  日常雑感あれこれ・・・

不運のときこそ ④ ・・・ 幸福・不幸 

2010-05-08 23:05:44 | Weblog
 「負」の要因こそ、人間を育てる最良の教師といえるでしょう。

 もし、「正」の要因にとりかこまれた人生を幸福と考えるなら、そして現実にそれがかなえられたら、少なくともその人の成長はストップすることになります。


 人間は、自分のまわりに、不快要因が多いと不幸と感じ、快い環境におかれると幸福と感じます。
こうした快、不快の感覚が、人間の幸福感に深く結びついているのです。

 だから、その感覚だけをたよりに幸福を追求していると ・・・ 「負」の要因を不幸、「正」の要因を幸福と見なす短絡的な発想に陥ってしまうのではないでしょうか。





不運のときこそ ③ ・・・ 子育て

2010-05-08 12:45:51 | Weblog
 人が育てられるのは「正」の要因よりも、「負」の環境によるものです。

 それは、子どもを育てる場合も同じです。

 いまの母親は、「負」の要素を敵視し、ことごとく消滅させた環境のもとでの子育てをベストと考える傾向をもっています。

 本当は、さしさわりのない痛みを数々体験させることで、身体感覚を磨くのが賢明なのですが ・・・ それをしないためにかえって、子どもを危険な状態に追いやってしまうのです。










不運のときこそ ② ・・・ 正・負

2010-05-08 10:32:27 | Weblog
 人の一生は、「正」(プラス)と「負」(マイナス)の要因とのつきあいで終始する、といってもさしつかえありません。

 しかも、多くの場合、人は「正」の要因にかこまれた人生を幸福なことと考え、常にそれを渇望します。

 「負」の要因をできるだけ少なくし、「正」の要因だけで自分の人生を埋めつくそうと、躍起になる人のなんと多いことでしょう。

 しかし、「負」の要因が人生に横たわるのは、そんなに悪いことなのでしょうか。


 人が育てられるのは「正」の要因よりも、「負」の環境によるものです。

その意味では、「正」の要因にとりかこまれていると、人間は人生をなめてしまい、「負」の条件が表出したおり、なすすべを知りません。

 恵まれた幼少期を送り、順調なコースをたどった人ほど、いざまさかに弱いのは、「負」の要因とつきあうパターンが育っていないからです。

 「負」をはらんだ環境のもとに育った人は、それと取り組むための必要なパターンを身につけていますから、少々のことで潰れることはないのです。





不運のときこそ ① ・・・ 向上

2010-05-08 07:38:32 | Weblog
 「人生は、私たちが人生とは何かを知る前にもう半分過ぎている」
    ・・・ と嘆息したのは、英国の詩人ヘンリーです。

 しかし、人生の半ばを過ぎたところでわかれば、上々ではないでしょうか。

 孔子が語った「四十にして惑わず」などでも、現代人には至難です。


 通常、人は恵まれた情況に身をおくことをもって、幸福と考えやすいものです。
だから、恵まれない境遇の時には、つい我が身の不運と他人の幸運をひきくらべてしまいます。
 
 でも、不安定な人生の禍福は、昨日の幸運が今日の不運の因となることすら珍しくありません。


 「人は幸運の時には偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である」
    ・・・ ドイツの詩人シラーが語ったことばは、人生の妙味を見事についています。















子育て ・・・ 親の自己表現

2010-05-08 06:15:21 | Weblog
 よく子どもの問題について、他人や周囲の環境のせいにする人がいますが、思いちがいもはなはだしいことです。

 子どもこそ親の本質を核に性格を形成する存在です。

 その意味では、まさに子育ては親の自己表現にほかなりません。
それゆえ、子どもの問題を親自身のこととして、全面的に見直すことは決して見当外れのことではない ・・・ と思うのですが、いかがでしょう ?









ウソつきの子 ・・・ 子は親の鏡 ?

2010-05-08 05:13:26 | Weblog
 昔から「子は親の鏡」という言い伝えがあります。

 素朴に理解すると、子どもは親の心や生活の姿を映している鏡のような存在だ、ということです。親と子の関係を示す重要な原理・原則です。

 しかし、これも一面の真理であることを忘れ、子どものすべてをそのように理解すると、とんでもないことになります。


 ある日母親は、小学校5年の男の子がウソをつくことが多く、将来を懸念してさるところに相談にいったところ、「子は親の鏡であって、あなたが日頃ウソをつく生活をしているからです」と叱られ、悩みぬいた果てに見えられました。


 しかし、実際には、このかたがウソつきであったのではなく、ただ子どもに対する態度に問題があったわけです。
というのは、口喧しく禁止事項を連発する傾向をもっていた ・・・ ということです。

 このように、いつも叱られ続けていますと、子どもは防衛上、母親の前をとりつくろうようになり、ウソつきの言動をとるばあいがでてきます。
だからといって、ウソつきの子の母親がすべてこの通りだとはかぎりません。

 この母子関係においては、そうであったということです。


 以後、お母さんの涙ぐましい自己革新、自己抑制の努力がつづき ・・・ 3ヶ月すぎたころには、ほぼ解決できた ・・・ のでした。