気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

隠遁(いんとん)生活のススメ ・・・ 隠居

2010-05-04 11:06:50 | Weblog
 「隠居する」というのは、一つに人間を養う、力をつけるということであり、二つには道理の正しさを曲げないということのようです。

 このように考えたとき、私たちは、あまりにも外に目を向けた生活をしているのではないかと反省させられます。
世間の風に一喜一憂していたのでは、自分自身を養うことはできません。

 ですから一時たりとも、心を内に向け、生活を質素にし、規則ある生活をするということが「現代の隠遁(いんとん)」ということではないかと思います。

 たとえば朝6時なら6時に決めて、家族全員が起床し、掃除でも散歩でも、草木の手入れでも、とにかく身体を動かすことを分担して実行するということです。
 朝の食だけできるだけ質素にし、できれば一汁一菜ですまします(・・・我が家では当たり前)。夕食もあまり過食にならないように注意し、テレビの時間も、きちんと時間を決めて、時間がきたら、どんなに見たい番組があってもけじめをつけることです。
一日のスケジュールを定めておき、時間を区切ることです。
 時間を区切るということは、心にきまりをつけることですし、決断の力を養うよい修行になります。

 とにかく生活を今の生活より少し貧しくする ・・・ ということです。
それは貧しいだけ自然に近くなる ・・・ ということです。
 自然に近くなれば、人間性が豊かになるということですし、心の余裕が生まれるということにほかなりません。

 現代の隠遁とは、こうしたつつましい、ひきしまった生活をすることだと思います。

 何も一生せよということではなく、二年でも一年でも、このような願をたてて、現代の隠遁生活をしてみてはいかがですか。

 原始時代の自然生活(貧しい生活)の中には、うつもストレスも、子どもの問題もなかったはずです。
 豊かさという外へ向かう心を、貧しく素朴な生活に回帰するとき、人として、家族としての心がもどる ・・・ からです。


 人混み・残ったのは疲れと虚しさだけ かも ・・・

狂乱のGWの最後に ・・・ 心静かに考えてみることをオススメします。






うわさで洗脳 ・・・ マスコミの影の部分 

2010-05-04 06:18:47 | Weblog
 仏典(百喩経)の中に こんな話が残されています。

 あるところに友人数人寄って酒を飲みながら、一人の男のうわさ話をしておりました。
「あいつは短気で、怒りっぽく、乱暴者でわがまま一杯の男だから、あまり親しくしないほうがいいよ」と話していました。
そのとき、うわさをされている男も、同じ酒場にいて、この話を背で聞いていたからたまらない。さっと立って、得意顔で話している男の襟(えり)をつかんで「なに、俺が短気で怒りっぽいだと。そんな話を聞いて怒らずにおれるか」とその男の頬をなぐりました。
 すると、それまで半信半疑で聞いていた仲間たちは「なるほど、やはりうわさ通りの男だ、くわばらくわばら」とその場を立ち去ったといいます。

 この譬えはなんともやり切れない話で、現代のマスコミの影の部分を映し出しているように思えて、寒々とする話です。

 人(大衆)の感情を計算に入れた巧妙なうわさです。
人間は目立っている部分に弱い動物で、深いところはなかなか見抜くことができませんから、簡単にうわさに洗脳されてしまうところがあります。

 超・情報化時代といわれる今日、お釈迦様の時代より、もっと恐いうわさを操作しているかもしれないのです。