気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

暮らしの味覚 ・・・ 愉しむ

2010-05-12 06:01:22 | Weblog
朝から 雨模様です。


まして今日は外出しての仕事。

長年つづいていることとはいえ ・・・

  正直 チョッと気が重い ・・・ 味がします。



  雨降れば雨を愉(たの)しみ

  晴るる日は晴れを愉しみ

  愉しみあるところに愉しみ

  愉しみなきところにも愉しむ


吉川英治さんの

  暮らしの味覚が語らせた詩です。



さあ、いつも通り ・・・

  手元から、ゆっくり ・・・ 準備を始めることにしよう。









  

自然に背いた生き方 ①

2010-05-11 12:55:24 | Weblog
一昨日

私はこんな相談を受けました。


「 私は小さいときから

  親や家族の者から素直な娘だ

    といわれて育ってきました。

  また

  親戚からもの人からもそのように褒められ

 私自身

  他の姉妹とくらべると素直だ

    と思ってきました。


 年頃になって結婚し

 いまも当時とそれほど変わっていない

    と思うのですが ・・・

 身体のこと

 夫のこと

 子どものことで

    悩んでいます。


私の場合

どうしたらよろしいのでしょうか 」


お話を聞けば聞くほど

  気の毒な身の上でした。


しかし

この方は根本的なところで

  大きな心得違いをしておられる ・・・

    と思わずにはおられなかったのです。


それはたしかに

人からもそう見られ

自分でもそう思うほどに

  素直にふるまってきたかに受けとれるのですが

はたして 本心からそうしてきたのかどうか

                 ・・・ ということです。


                    ( ②へつづく )









夫婦ゲンカ ⑤ ・・・ 引きの効用

2010-05-11 06:16:55 | Weblog
「私の主人は世界一 気の短い人です」

  と 語った奥さんがいました。

思わず

「あなたは世界中の人びとあっているのですか」

  と 聞き返したほどです。


それほど短気なご主人でしたが ・・・

奥さんがいままでの突っぱりを止めて

  引きの姿勢に変わったところ

    ・・・ あまり腹を立てなくなりました。



「お早うございます」

「行ってらっしゃい」

「ハイ」

「すみません」

「お帰りなさい」 ・・・


なんの変哲もないことばです。

しかし

人との間柄をスムースにする

  引きの効用をもたらします。


       ・・・ その効用は 絶大です。










  

夫婦ゲンカ ④ ・・・ 「人」という文字 

2010-05-10 17:03:38 | Weblog
「人」という字は

  見るほどに味わいを覚えます。


二本の線が

  たがいに相手を支えあっています。

ふたりが

  お辞儀をしあっているようにも見えます。

あるいは

  押しあっているようでもあります。

  引きあっているとも解せます。

たがいに

  相手に合わせようとしています。

  尽くしあっています。


自ら行動を起こしている二本の腺

           ・・・ とも理解できます。


いずれにせよ

どちらか一本の線が

  なにもしない立ったままの姿なら

           ・・・ 「人」とはなりません。

まして

両方ともそうなったら

二本の平行線で

  ふれあいは 生まれません。


この文字は

いっぽうが自ら傾斜することにより

  相手の傾斜を引き出すことで

    できあがっていると見なせます。

これは

人という存在の成り立ちを

  いみじくも象徴している ・・・ かのようですね。



ところが ・・・

現実の生活なると そうはいきません。

自分が進んで行うより

  相手のそれを求めるのが普通です。


もっとも身近な

  夫婦関係ではいっそう

    その傾向があるのではないでしょうか。


過日

夫婦仲のよくない奥さんに

どんなに親しい間柄でも

  最低のマナーだから

  と 朝晩の挨拶をかわすようアドバイスしました。


すると

「私があの主人に頭を下げるのですか」

           ・・・ と にらまれてしまいました。















夫婦ゲンカ ③ ・・・ 聞き上手、謝り上手 

2010-05-10 13:51:40 | Weblog
ご主人を上手に操縦してる奥さんは、

  たいてい引きの上手な人です。


聞き上手

謝り上手

サービス上手

あわせ上手で

  掌に夫を乗せています。


逆に

聞き下手

謝り下手

サービス下手

あわせ下手で

  夫に苦労している人のなんと多いことでしょう。

こうした人にかぎって

夫のグチや不満ばかり

  しゃべりまくっているものです。


自分がなすことの足りなさを省みるより

相手の至らなさにとらわれているかぎり

  ふたりの関係は

       好転することはありません。










夫婦ゲンカ ② ・・・ 引き上手

2010-05-10 10:01:52 | Weblog
夫婦ゲンカは

  早く終わらせるのが利口なやり方です。


夫婦ゲンカの幕を引くのは

  どちらかの謝罪 ・・・ です。


賢明な夫婦は

  謝り上手で

  受け方上手 ・・・ です。


愚かな夫婦は

  謝り下手で ・・・ そこからなおケンカが再開します。


だが

引きの上手な奥さんは

  負けることにより 勝つ ・・・ です。

  勝つというのが適切でなければ ・・・

           夫の心を動かすのです。


男性は

一般に押しのパターンが得意 ・・・ です。

これに対抗するのに

  同じ押しでは能がありません。


もっとも

なかには男性以上に押しの強い人がいるようですが

           ・・・ 例外に入るでしょうね。










     

夫婦ゲンカ ① ・・・ 押しあい、突っ張りあい

2010-05-10 07:31:06 | Weblog
だいたい夫婦ゲンカなどというのは

  おたがいの押しあい、突っ張りあい ・・・ でしょう。

冷戦状態を内攻させ

  陰湿化した夫婦よりはるかに健康的ですよ。


ただ

たいせつなのは

それをいかに早く終結させるか ・・・ ということですね。


夫婦ゲンカの原因は

よほどの例外を除くと

  ・・・ さして重大な問題はないものです。



どんなに立派な人格者でも

こと夫婦の間では

  幼稚なところで反発しあっているのです。

ケンカがエスカレートするほどに

ますますおたがいの幼稚さをさらけだし

  たがいに軽蔑しあう ・・・ ということになりかねません。



さて そこで

  夫婦ゲンカの利口なやり方は ・・・ 。









母の日に ・・・ いのちのなつかしさ 

2010-05-09 06:15:52 | Weblog
( むかし ・・・ )


「お父さん、どうもできたらしいわ」

「できたって、なんだい魚の目か」

「バカ言っちゃいけないよ、赤ん坊」

「冗談じゃないよ、八人目、喰わせられんよ」

「なにいってんのサ、あなたの責任でしょ」


なんて言って、あんまり歓迎されず(?)に

  お腹の中で育った子ども(私)でも

いざお産になったら ・・・

「神様、どうか、母子とも健康にたのみます。

  少々ご面相がオカチメンコでもかまいません」

なんて父親は、手をさすりながら

  産室の前を行ったり来たりします。


・・・ それが、親の心だと思うのです。


生まれてくると

「幸子にするか、美しく恵みの多い子、美恵子にするか」

なんて

生まれ出たばかりの行く末の幸いを祈りながら

    命名するのではないでしょうか。


のちに 「このバカめ!」なんて

  しょちゅう叱られている子ども(私)だって

「バカ夫」とか「バカ子」なんて

    命名されたりはしませんよ。

        (ちなみに ・・・ 私の名前は オサムです)



人はみんな

  不幸を願われて生まれてきたりはしません。

  幸せを願われて生まれてきた存在です。



いったん人生のいちばん初め ・・・ にもどります。

「生命のなつかしさに」 ・・・ に還ります。



いまの子たちは

  みんな「いのちのなつかしさ」を知らない ・・・ のでは

つまり

  ほんとうのお母さんとお父さんを知らない ・・・ のでは。



心が 父母の心の世界に還りつくと

  ・・・ なぜか 「安らかな心」になります。


「安心」とは ・・・ 幸せの別名です。












不運のときこそ ④ ・・・ 幸福・不幸 

2010-05-08 23:05:44 | Weblog
 「負」の要因こそ、人間を育てる最良の教師といえるでしょう。

 もし、「正」の要因にとりかこまれた人生を幸福と考えるなら、そして現実にそれがかなえられたら、少なくともその人の成長はストップすることになります。


 人間は、自分のまわりに、不快要因が多いと不幸と感じ、快い環境におかれると幸福と感じます。
こうした快、不快の感覚が、人間の幸福感に深く結びついているのです。

 だから、その感覚だけをたよりに幸福を追求していると ・・・ 「負」の要因を不幸、「正」の要因を幸福と見なす短絡的な発想に陥ってしまうのではないでしょうか。





不運のときこそ ③ ・・・ 子育て

2010-05-08 12:45:51 | Weblog
 人が育てられるのは「正」の要因よりも、「負」の環境によるものです。

 それは、子どもを育てる場合も同じです。

 いまの母親は、「負」の要素を敵視し、ことごとく消滅させた環境のもとでの子育てをベストと考える傾向をもっています。

 本当は、さしさわりのない痛みを数々体験させることで、身体感覚を磨くのが賢明なのですが ・・・ それをしないためにかえって、子どもを危険な状態に追いやってしまうのです。










不運のときこそ ② ・・・ 正・負

2010-05-08 10:32:27 | Weblog
 人の一生は、「正」(プラス)と「負」(マイナス)の要因とのつきあいで終始する、といってもさしつかえありません。

 しかも、多くの場合、人は「正」の要因にかこまれた人生を幸福なことと考え、常にそれを渇望します。

 「負」の要因をできるだけ少なくし、「正」の要因だけで自分の人生を埋めつくそうと、躍起になる人のなんと多いことでしょう。

 しかし、「負」の要因が人生に横たわるのは、そんなに悪いことなのでしょうか。


 人が育てられるのは「正」の要因よりも、「負」の環境によるものです。

その意味では、「正」の要因にとりかこまれていると、人間は人生をなめてしまい、「負」の条件が表出したおり、なすすべを知りません。

 恵まれた幼少期を送り、順調なコースをたどった人ほど、いざまさかに弱いのは、「負」の要因とつきあうパターンが育っていないからです。

 「負」をはらんだ環境のもとに育った人は、それと取り組むための必要なパターンを身につけていますから、少々のことで潰れることはないのです。





不運のときこそ ① ・・・ 向上

2010-05-08 07:38:32 | Weblog
 「人生は、私たちが人生とは何かを知る前にもう半分過ぎている」
    ・・・ と嘆息したのは、英国の詩人ヘンリーです。

 しかし、人生の半ばを過ぎたところでわかれば、上々ではないでしょうか。

 孔子が語った「四十にして惑わず」などでも、現代人には至難です。


 通常、人は恵まれた情況に身をおくことをもって、幸福と考えやすいものです。
だから、恵まれない境遇の時には、つい我が身の不運と他人の幸運をひきくらべてしまいます。
 
 でも、不安定な人生の禍福は、昨日の幸運が今日の不運の因となることすら珍しくありません。


 「人は幸運の時には偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である」
    ・・・ ドイツの詩人シラーが語ったことばは、人生の妙味を見事についています。















子育て ・・・ 親の自己表現

2010-05-08 06:15:21 | Weblog
 よく子どもの問題について、他人や周囲の環境のせいにする人がいますが、思いちがいもはなはだしいことです。

 子どもこそ親の本質を核に性格を形成する存在です。

 その意味では、まさに子育ては親の自己表現にほかなりません。
それゆえ、子どもの問題を親自身のこととして、全面的に見直すことは決して見当外れのことではない ・・・ と思うのですが、いかがでしょう ?









ウソつきの子 ・・・ 子は親の鏡 ?

2010-05-08 05:13:26 | Weblog
 昔から「子は親の鏡」という言い伝えがあります。

 素朴に理解すると、子どもは親の心や生活の姿を映している鏡のような存在だ、ということです。親と子の関係を示す重要な原理・原則です。

 しかし、これも一面の真理であることを忘れ、子どものすべてをそのように理解すると、とんでもないことになります。


 ある日母親は、小学校5年の男の子がウソをつくことが多く、将来を懸念してさるところに相談にいったところ、「子は親の鏡であって、あなたが日頃ウソをつく生活をしているからです」と叱られ、悩みぬいた果てに見えられました。


 しかし、実際には、このかたがウソつきであったのではなく、ただ子どもに対する態度に問題があったわけです。
というのは、口喧しく禁止事項を連発する傾向をもっていた ・・・ ということです。

 このように、いつも叱られ続けていますと、子どもは防衛上、母親の前をとりつくろうようになり、ウソつきの言動をとるばあいがでてきます。
だからといって、ウソつきの子の母親がすべてこの通りだとはかぎりません。

 この母子関係においては、そうであったということです。


 以後、お母さんの涙ぐましい自己革新、自己抑制の努力がつづき ・・・ 3ヶ月すぎたころには、ほぼ解決できた ・・・ のでした。