変光星観測30年 40000目測通過

2019-12-09 23:22:21 | インポート
星の世界に魅せられてもう50年になろうとしています。一つの趣味で50年もの間、星を見続けて来ました。
様々な天文現象も体験してきましたが、まだ見たい現象は数多く控えています。メジャーな天文現象はそう毎日
あるものではありませんから、その空白の間を埋めるテーマが必要となってきます。晴れたら毎日できる観測が
変光星というテーマです。近くの比較星と比較して光度を出す単調な作業ながら、実際にやってみると結構癖になります。家の観測所で5センチの双眼鏡と20センチの反射望遠鏡を使い、12等星ぐらいまでの明るい変光星を観測してきました。変光星との付き合いは30年になりますが、延べにして目測数も40011目測に達しました。
飽きっぽい私が、30年も続けられたということも不思議といえば不思議です。何がそうさせたのかは変光星の魅力
でしょう。星も生きているという実感と、私もその星を見て生きていると共通のつながりが見えてきたからこそ継続できたのでしょう。明るさの変化がはっきりわかり予測のできるもの、またその逆で不規則に振るまうもの、
それから予測のできない増光を見せるもの、新星のように忽然と現れるものなど、夜空を眺めていて飽きさせない
体験のできる夜の時間を迎えられることが、1日の最大の至福の時です。

 ★ これまでの変光星観測の経過
・1989年   142目測
・1990年   264目測
・1991年   137目測
・1992年  1146目測
・1993年  3043目測
・1994年  1425目測
・1995年   854目測
・1996年   500目測
・1997年   524目測
・1998年   1578目測
・1999年   435+996目測(1999年8月までのカウント+以降12月まで集計)
・2000年  2107目測
・2001年  3024目測
・2002年  2650目測
・2003年  1146目測
・2004年   665目測
・2005年   576目測
・2006年   150目測
・2007年  1441目測 
・2008年  3276目測
・2009年  2326目測
・2010年  2945目測
・2011年  1741目測
・2012年   415目測
・2013年  1051目測
・2014年   901目測
・2015年  1578目測 
・2016年   347目測
・2017年   851目測 
・2018年   381目測
・2019年  1378目測

注記)

※8月から開始したので、翌年の8月までを1年間としています。
 但し、2000年からは1月より12月末までの合計です。

※総目測数 40011目測 (2019年12月04日現在で) 



ハート星団 命名 (M44)

2014-10-30 23:20:57 | インポート
かに座にあるメシエ天体M44を眺めていたら、ハートの形に見えましたので、線を入れてみました。如何ですか。ハートの形になりますよね。今日より私がハート星団と命名します。春になりましたら、かに座のM44を見て下さい。肉眼でその形を追うのはちょっと無理ですが、双眼鏡があるとわかりやすいです。









住まいについて一考

2014-07-06 17:13:03 | インポート
人間が生きていく為に最低限必要な3大要素は、「衣・食・住」であろう。
その「住む」という視点から物事を捉えてみた。
地球上に誕生した人間が生きていく為には、雨、風、暑さ、寒さ、災害から身を守る手段として、
住居を構えた。
原始社会においては、洞窟、岩陰等の自然の空間を利用して生活していた事は、
遺跡や壁画等で知ることができる。
そうなると行動範囲にも限界が生じ、食べる物にも制約が生まれ、
山に住む者は山の幸、海の近くに住む者は海の幸が中心の食事になり、
人間が山の幸・海の幸の両方を食べようとした場合、生活する環境を変える必要性が生まれ、
自然の空間を利用しての住居ではままならない状況に陥り、
そこで幸を求めそこにたどり着いた時、その場所に居を構えることにした。
その居が住む居という事で、住居になった。
住居の資材には石や木、植物等、自然界にある自然の材料が使われた。
今の時代と違い、石を積み上げる、蔓で縛る等の工法しか無い時代でも雨風が防げる建造物が完成した。
そのうち人間が道具を使う石器時代に入ると、加工による建造物へと進化したり、
木造建築であれば、組構造へと進化していった。
日本の縄文・弥生時代に登場した竪穴式住居は平安時代まで作られた。
この竪穴式住居は、地面を掘り下げ、竪穴の周りに掘りあげた土で土塁を作り、
排水の為、床の周りに溝を巡らしていることもあった。
竪穴(縦穴)建物の屋根の軒先は地面付近まで下がることが多かったと推測され、
外からは屋根しか見えなかったものと考えられる。
屋根はアシやカヤなどの茎で葺いたことが多かったと思われるが、土葺、草葺の屋根も多かった。
住居内には炉もあり、それで調理したり、暖を取ったりもしている。
そうなると換気設備も必要になり、屋根上部に排気口、(給気は隙間から)が設けられる。
人間は、無意識のうちに、快適空間を得る為に、汚れた空気を排出する術を得ていたのである。
最初は地面を掘り、今の建物でいう屋根を被せただけの住居であったが、
次第に住居は高床式の建物に変わり、壁立式の側壁を用いない掘立柱建物へと進化を遂げる。
その建造物は、雨期に出水する地域や山岳の傾斜に用いられていたようだ。
それはまた、ネズミなどの害を防ぎ、風通しをよくするために床が高く造られ、
稲やとうもろこし、小麦などを蓄える倉として古くから世界各地で用いられた
。日本では、弥生時代に穀物を蓄えるための倉として用いられたと考えられている。
現在の神社建築様式の1つである神明造は、これから発展したとされている。
さらに時代は流れ、建築の様式や組構造も変わり、
建造物は耐用年数も増していく。
現在でこそ、住居内にはトイレが設置されているが、
昔は溝や穴や水路といった、建物とは離れた別の場所に設置されていた。
お風呂においても、河川や池等で行水していた時代から公衆浴場、銭湯へと進化していった。
そして現在では、トイレも浴室も同一建物の中に設置されるのが当たり前の世の中になってきている。
当たり前のように蛇口から飲料水が出、電気やガスが排水設備も整備されてきた。
加えてエアコンも普及し、快適な室温調整もやってくれるようになってきた。
住機設備も充実し、良質な家電製品と共に、益々快適性追及する一方で、
また多くの負の問題も生まれている。
機密度が高いゆえのカビ発生や建材によるホルムアルデヒド。
冷却塔や浴槽循環機器からのレジオネラ菌等による身体への悪影響等である。
近年、私個人も住居に耐用年数の見方も変わってきた。
建物の構造によっては耐用年数も異なるが、広告で100年住宅なんていう言葉も耳にするが、
仮に100年の耐用の木造住宅があったとしよう。木造でも100年は可能であるが、
かなり数年ごとに手入れをしてあげないと建物を維持するのは困難であろう。
仮に100年維持できたとしても、住む人の家族構成や家に対する意識が異なると、
立て替えなんていう事にもなりかねない。
最新の建材が登場すると、その建材も利用してみたくなる。
現実的にも築50年も過ぎると痛みも激しくなり、あちこちにガタが出てくる頃。
それなら最初から割り切って「50年住める家であればいい」に落ち着くのも一つの手段であると考える。
人類が住居を構えて数千年が経つが、住居に完璧を求め、
耐用年数にもあまりこだわりを持たない方が無難ではないだろうか。


以上





竹島問題 について(提案)

2012-09-24 22:43:14 | インポート
平和と友好を誓う碑を建立 

1965年の日韓基本条約締結以降、韓国と日本国は国交を回復し、
戦後47年間に渡って、双方の経済発展の為に、貿易、技術提携、文化交流を行なってきました。
しかし、韓国と日本国は隣国同士でありながら、
過去に苦い時代を過ごしてきました。
歴史を遡ると、何度も争いを繰り返し、多くの尊い人命を殺戮し、
悲しい過去を経験しています。
現在を生きる双方の国民も、その過去の代償を引きずりながら苦しんでいます。
歴史や歴史的認識、文化、考え方も異なる民族ですが、
隣国として、またアジアの先進国としてお互いの国益を図りながら、
フレンドリーな関係を保ち、友好関係を築いていくことこそが、
今を生きる我々がすべきことではないかと思うのです。
そういう意味においても、この竹島に平和と友好を誓う碑を建立し、
今後、両国がギクシャクし仲互いするような事態に陥っても、
この竹島に建立した碑を見て、平和で争いのない未来社会でありつづけるようお互いが知恵を出し合い、二度と同じ過ちを繰り返さないことを誓うのです。
この竹島には人の手が入らない状態なので、多くの自然、貴重な生物が生息する環境が残っています。その自然を両国で保全し、もしもその自然の恩恵が両国に齎されるのなら、両国で知恵をしぼり、中立な立場での利用を望むものであると。
争いから派生するものは、悲しみと憎しみだけです。
鳥は国境に関係なく、自由に地球を移動しています。
宇宙から見れば、地球には国境ラインは見えませんし、ちっちゃな惑星です。その狭いエリアで争っていて何の利益があろうか。


EQ6PROの検証報告 コントローラー編

2012-03-10 17:40:43 | インポート
EQ6PROの赤道儀が届いてから中々晴天に恵まれず、今日も1日中テストしていました。
今回の検証は極軸望遠鏡とコントローラーについてです。

まずは極軸望遠鏡から。
メーカーのマニュアル通り極軸望遠鏡の調整を行いました。
極軸カバーを外し、高度調整クランプを緩め、極軸が水平になるようにして地上の景色を入れます。極軸望遠鏡とのぞきながら赤経軸を回転しましたが、やはり軸の調整はやってなくて、かなりずれていました。調整にはあまり時間はかからず、締め付けねじ3箇所で、簡単に中心出しは完了。

次にコントローラーのメニューの確認を行いました。
コントローラーに直接電源コードを接続しての操作テストです。
マニュアルを見ながらの確認ですが、どうもマニュアルのようなツリーにはなっていません。

■setup mode に無いメニュー

Handset setting

Factory setting

Handset setting は液晶画面の明るさを調整するところのようです。
メニューではLCD/LED tunigとなっているのに。


■Utility Funcでは、5つのメニューが抜けていましたし、ツリーの順番もバラバラでした。
下記がメニューの順です。

1.Show Position
2.Show Information
3.Park Scope
4.PAE
5.Clear PAE data
6.PEC Training
7.GPS
8.PC Direct Mode

マニュアルにある・Display Time ・Inquire Virsion ・ LCD/LED Tuningのメニューがありませんでした。

マニュアルにはVer3.0とありましたが、Ver03.27とありました。

登録されている天体の数をテストしたところ、二重星55個とあるのに32個、変光星も20個とあるのに、8個しか登録されていませんでした。

以上








敗北からの立ち直り

2011-12-21 00:05:08 | インポート
12/10日はまたしても空振りに終わりました。
願っていもない最高の条件だった皆既月食。終わってみれば、晴れてくれたのはたったの1分程度だけ。寒空の中で待つこと1時間45分。久しぶりの天体ショーを撮影しようと、カメラまで新調して万全の体制をしいて待機していましたが、私の家の上空だけが雲の中。周囲は雲が切れて星が見えていたので余計に苛立ちを覚えました。

あの日以降、星への情熱が薄れる日々を過ごして参りましたが、
12/17日の0時8分、凄い流れ星がオリオン座の上を通過して行きました。久しぶりのマイナス等級でした。その流れ星は途中で爆発して更に増光し、そのあとには痕を残すものでした。この流れ星を見た事で、先日の皆既月食の敗北から立ち直ることができました。


ムカデに刺された

2011-09-08 22:53:58 | インポート
一昨日の朝の通勤途中の電車内での出来事。いつものように衣笠駅から電車に乗り込んで、すぐに右腕のひじ辺りに微かな痛みが・・・・。その痛みは徐々に広がり、次第に強烈になっていきました。痛みはハチやケムシに刺されたような痛みでしたが、似てはいるものの、少しばかり違う印象でした。とりあえず薬を塗っておこうと思い、かばんの中からメンソレータムを取り出して患部に塗りました。原因が分からないのは気分が悪いもので、電車に揺られて約90分。いつも下車する西大井駅で降りてから数分後に、左手辺りをするりと移動する30ミリのムカデを発見。急いで手から払いのけましたが、どうやら私を刺した犯人はムカデのようでした。実はこのムカデには凄い発見がありました。ムカデがかなりの速さで皮膚の上を移動していくのに、皮膚に触られている感触がないのです。人間の皮膚はアリが歩いても、蚊が乗っても敏感に反応するのに、感触が全く無いのです。まか不思議の事件でした。
ムカデは刺すということは知っていましたが、まさかこの年になって刺されるとは。しかも電車内で。


雨降る日に聞く歌

2011-06-02 00:17:38 | インポート
今日から6月。そろそろうっとうしい梅雨に入りそうな、そんな気配も感じられるこの頃です。
そんなうっとうしい梅雨の時期を払拭してくれる素敵な歌が1曲あります。
それはNeil Sedaka の「Laughter in the Rrain」です。
この曲が流行っていた1974年。当時はラジオから流れてきたこの曲を口ずさんでいたものの、曲名はおろか、歌っている歌手名さえもきちんと理解していないまま、長い年月が過ぎていきました。
先週、その曲がFMラジオから流れ、曲の最後に曲名「雨の日に○○○」を何とか聞き取ることに成功。
声の感じからして、カーリーサイモンかキャロルキングではなかろうかと、you tubeでrainで検索しましたが、一向にヒットしないまま、貴重な1時間が過ぎていきました。次に歌を口ずさみながら「 in the Rrain」で検索してみたら、なんと予想もしていなかった男性の声がヒットしました。しかもその歌手は、私も知っていたNeil Sedaka だったのでした。
今、聞いても、その当時を感じさせない、新鮮な響きで聞こえてきます。
雨の日には、この曲を聴くだけで、気分は爽快になります。是非、どうぞ。


嬉しい話題

2011-04-09 22:50:36 | インポート
あの大地震以来、巷では悲しくて暗い報道ばかりが流れています。我が家でも家内の祖母が亡くなり、落ち込むばかり。
しかし、この春、無事短大を卒業できた娘から、就職内定の連絡が入ってきました。この就職難の時代にあって、ぎりぎりのところで採用の連絡が入り、親としてはホットしました。上の子供二人が就職していないので、大金星ものです。次女よよくやったぞ。 いつも元気で明るい娘よ、4月から社会人としてがんばってや。父さんも昇格できたし、まだまだがんばるで。