今週の週刊新潮のP50の、
「禅を学んで世界を変えたアップルの巨人・スティーブ・ジョブズ」の題の文中に、
曹洞宗北アメリカ国際布教師 秋葉玄吾氏が、
…「これは禅の悟りに通じる考えです。
悟りとは、゛いつ命が消えてしまうかもしれない自分に気づく゛ことです。…」と、
生まれたら、いつかは死ぬ自分がいること、これは、当たり前のことではありませか。
こんな当たり前が、禅の悟りとなんの関係があるのだろうか?
禅の奥義の「参同契(さんどうかい)」が、「悟り」ではないのか、
禅の「参物秘弁(さんぶつひべん)」はどこにいった?
「常識が悟り」では、チヨッといただけませんね。
あなたはどう思いますか?
神聖幾何学で述べたように、「サートリ スカンダー パートワ」 を略して、
「サトリ」という真実を知る者は幸せではないか。
天地を癒す秘密の言霊
アヤナワン・アリンガトワ!
A YA NA WA-n ・ A Linga TA-o WA
あやなわん・ありんがとわ!