与えられた生命  Gifted life

あなたの人生は、神よりあなたへの 贈り物です。
生まれてきた魂の本質を思い出しましょう

はかない人生

2012-04-26 18:00:00 | 日記

アップル社創設者の一人、

ステーブ ジヨブスさんが、晩年取材に対して「人生ははかない」と言って他界されたそうです。

はかないとは、もろくて長続きしないさま。つかの間に消えていくさま。むなしいということです。

偉人、天才も56才ですから、早過ぎました。

時代を創出した偉業で、この一言が軽く評価されていませんか?

虚しくない人生もあるのです。

ページがはやくめくられたのです。続きがあったのですが 

天地を癒す秘密の言霊

アヤナワン・アリンガトワ!A YA NA WA-n ・ A Linga TA-o WA!

あやなわん・ありんがとわ!


いざ!その時に

2012-04-26 08:00:00 | 日記

いざという時に用意するものは、墓ではない! お金でも通帳とハンコでも年金手帳でもない。 

法図なのである!

一つ教えておきましょう。

いつか訪れるであろう、この世の見納めの次に来る瞬間、あの世に逝くと錯覚しているが、

実は、自分の意識世界に入るのです。

既存の霊界物語に振り回されてはいけません。死んでこの世に戻った者は一人もいません。

戻れたのは、幽体離脱の場合だけです。

幽体ですから、幽霊界を少しかいま見た世界ですが、それもビジョンです。

この世の生き方の結果の反映の世界があるのです。

とてもなく怖い話しをしているのですが、ピンと来ない未熟な幼い魂ばかりです。

大神に無礼、失礼は、あの世で無霊、失霊になります。

今だけ幻と戯れているがよい!

ただじゃ済まされない凄い世界があるのを人間にとうてい理解できないのです。

あなたは、いざ!その時に何を用意するのであろうか?

正に、縁無き衆生は渡し難いのです。

逆に縁ある方は喜びなさい!

この世に、こんな素晴らしいことが無いのですから!

人の命は、明日が分からない!

というより、次の瞬間が分からない、一寸先が在ったとしたら、

奇跡的な確率で存在していると言えませんか?

アリガタイ!アリガタヤ!アリガタヤ!アリガタヤ!アリガタヤ!アリガタヤ!アリガタヤ!

アリガタ!ヤアリガタヤ!

アリンガトワタアヤン!


責任がある

2012-04-25 08:00:00 | 日記

法図を学ぶ者には、責任がともなう。法図を広く世に伝える弘伝(ぐでん)という責任である。

自分さえ良ければ良い者は不成仏に入る。学んだ年の数だけの人数の仲間を作りなさい。

一年で一人です。

また、法図の詳細は、柴田倭成公式ホームページを見てもらえば良いのです。

あとは読み手、聞き手の問題です。これが問題です。

世界のテレビ番組で、出演者が「神のお陰です。神に感謝します」と発言しても普通ですが、

日本のテレビでは、言論の自由のはずなのに、森元総理が日本は神の国発言で非難を受けたりします。

日本のテレビ番組の出演者が、嬉しい時に、神様ありがとうとは言いません。

両親にありがとうです。


祖国とは

2012-04-24 08:00:00 | 日記

祖国の祖の成り立ちは、「示と且(そ)」です。

「示」の意味は、「A・ア」の日月星三垂(すい)を現します。(許慎の説文解字学より)

且の古字は「YA・ヤ」を現します。

ゆえに、祖国とは、アヤの神のおわす国、三種神器のある国 、

真理(聖なるアーク)の国となり日本となります。

つまり、祖国日本は神国です。神国が祖国なのです。

祖国神国を忘却した民に、大神のおとがめの祟りの大震災(大神災)が襲い、

最終章の序章となされたのです。

大神とは、大御神であり、天照大御神、であり、天津御光主大神であられます。

神なんか存在しない!

物が存在するのだ!とした拝金・拝物・拝像主義者に、

神のお叱りの怏(わざわい)がこれからも起きる。

神聖幾何学にも、このブログにも予告・警告したように、更に、大自然災害は起きると。

事実、今起きているし、これからも起きる。

しかしながら、祖国が神国だと認識し敬服する者には、祖国が天国となる。

大和(やまと)の戦士よ!祖国を守れ!三種神器を守れ!

「世界支配層」は、今年から世界の総仕上げの計画を始め、

そして、歴史が証明するように人類は、聖人の教えを今は黙殺し、

近未来に抹殺するかも知れないし知ないかもしれない。多分隠すであろう。

今年は、魂がふるいにかけられ 淘汰(とうた)される年になります。


正しい信仰とは

2012-04-23 18:00:00 | 日記

「信仰」とは、神仏を信じ敬い、その教えに従おうとすることと辞典にあります。

「信」を仰ぎ奉ることを「信仰」と定義します。

「信」とは、「人の象と言霊」ですから、法図のことです。

ですから、法図を仰ぎ奉ることを「信」の字義に合致した正しい信仰といいます。

信仰とは、法図を仰ぎ、法図を拝することです。

法図は天皇の神祇(しんぎ)ですから、神祇拝が法図信仰となります。

神仏の教えの法図ですから、神仏を拝するとは、法図拝です。

法図拝が正しい信仰と言えます。