この世の存在そのものが、「教え」です。自分自身の存在そのものが、「教え」です。
その「教え」そのものが大神の御心のアラワレです。
それが人間に分からないから、世に聖人がご出現し、法図を現され、導かれるのです。
法図なき人生は、味の無い松坂牛を食べているみたいものです。
何か腹一杯になりますが、何で腹一杯なのかよく分からない状態の不毛の尽生です。
さて、アタマが良いと言い方に尋ねますが、
漢和辞典の中の抽象語の字源の一語でも知っていますか?
例えば、「智」の意味は?
「漢字知れども意味知らず」では、漢字知りの漢字バカになります。
新聞、書物、広告、その他、意味の分からない漢字で溢れています。
言語明瞭・意味不明の漢字を使用する漢字社会に未来はあるのか?
そこで、「存在(ア・ル)」とは何だろう?これが分からないと神が分からないことになる。
愚か者は、オロ軟膏(なんこう)のように、あっちに付いたり、こっちに付いたり忙しい、
心が何個あっても足らない!