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銭入(ぜにいれ)

2020年03月15日 11時33分36秒 | 塾長は今?

今日は朝から奈良の家にいます。

片付けをしていた時に見つけた「銭入れ」です。「銭箱」の方が普通の言い方でしょうか。

作りがあまり丁寧ではないので、奥向きなのか…ご先祖様が子供の頃のおもちゃなのか…不明です。 

とにかくよくわかりませんが「銭入れ」です。今でいうところの「手さげ金庫」みたいなものです。

 

【ここで勉強

「銭」(ぜに)って何? 「銭」ってなんだか下品な言葉に感じるけど??

はい、「銭」は江戸時代最も普通に使われていた銅銭、寛永通宝など、金、銀以外のお金を指します。

江戸時代のお金には今と同じく「札」と「貨幣」が有りました。「札」についてはまたそのうち記事にします。こうご期待!!

で、「貨幣」については銀行の地図記号(←クリックすると記事が読めます)の記事でも書きましたが、大きく分けると「金」「銀」「銭」の3種類がありました。

●「金」はご存じの千両箱に入った「小判」や一分金、一朱金などです。また小判10枚ほどの価値のある「大判」というのもありましたが、こちらは殿様が褒賞として家臣に与える、借金の返済に使うなど特別な場合に使われることが多く、あまり一般的ではありませんでした。大判1枚で米40石が買えたのですから、下級武士なら年収がこれ1枚です

●「銀」は「丁銀」「豆板銀」などの秤量貨幣と一分銀、一朱銀などの計数貨幣。

●「銭」は銭形平次でおなじみの「寛永通宝」などの主に銅などで出来た穴あき硬貨です。日常の買い物はこれで行いました。1文(もん)2文…です。三途の川の渡し賃「六文銭」は寛永通宝6枚のことで、今でもお葬式で棺の中に紙に印刷した六文銭を収める風習があります。六文無いとあの世にも行けないなんて…厳しい~

換算表: 1両=4分=16朱=4000文 ※現代は10進法ですが、江戸時代は4進法でした。

ちなみに、海外との貿易が盛んだった西日本では「金」はほとんど使われませんでした。それは世界の国々が「銀本位(すべての通貨を銀の量で表せる。銀が通貨の裏付け。)」だったからです。

※この機会に有名な銀山を覚えましょう➡島根県の石見銀山(いわみぎんざん)、兵庫県の生野銀山。テストに出ます

 

まだまだ書きたいことがありますが、今日はここまで。

 

塾長の奈良の家にあった「銭入」でした。

ではまた教室で