最近花粉症がひどくなってきて鼻水がタラタラと流れ続けマスクとティッシュペーパーが手放せません薬を飲めば眠くなるし、でも確実に春が近づいた証拠なのでしょうね
浦賀観音崎:28サンチ榴弾砲の実物大木製模型
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第1次総攻撃 第2次総攻撃 第3次総攻撃 28サンチ榴弾砲 旅順要塞降伏
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【乃木大将(7)】第2次旅順総攻撃(その3)
待望の28サンチ榴弾砲到着
第2次旅順要塞総攻撃の少し前、工兵・歩兵が全力を挙げて前哨戦の準備のため塹壕を黙々とトンテンカーン、トンテンカーンと掘り進んでいるころの9月14日、28サンチ榴弾砲6門が大連に陸揚され、直ちに鉄道で旅順に運ばれた。
28サンチ砲は砲身だけでも11トン近くの重さがあり、全て組み立てると26トンにもなる。
貨車から降ろされると、砲陣地まで大勢の兵士が、綱引大会よろしくオーエス!オーエス!
整備事情が良いとはいえない道を人力で引っ張って運搬した。
現代でいえば、ハンドルの無い大型の11トントラックを数十から100人程で引っ張るようなものか。
仮に203高地を占領したとして、標高203mの禿山に引っ張り上げるなど至難の業だ。
その他に、1発あたり217Kgもある砲弾。こいつも運搬しなければ、戦は始まらない。
旅順陥落まで約20,000発、約4,340トンも、エッチラオッチラと各砲兵陣地に運ばれた。
(1)28サンチ砲のルーツ
28サンチ砲は、そもそもドイツのクルップ社をルーツとし、日本軍は製砲技術を習得するために、イタリアの砲兵将校を招聘して、明治20年(1883)に対艦砲として採用した榴弾砲である。
日露戦争開戦時、採用から17年が経過し、20センチ級の大口径砲が主流となりつつある時代、日本陸軍には1.3mもの厚さのベトンで覆われた旅順要塞を破壊できる大砲は、そろそろ旧式化しはじめていたとはいえ、28サンチ榴弾砲が一番の大口径砲だった。
どうでも良い話ですが、アニメの「へタリア」では、擬人化されたイタリアは平時・戦争時の区別なく、徹底して「意気地の無い国」として描かれていますが、確かに一理ある
誤解のないようにいうと、ヘタリアの作者は実に博学ですな。良く世界史を勉強して関心しますです
そのイタリアから砲兵将校を招いていたとは、なんでドイツではなくてイタリアから招いたんでしょうかね?
ちなみにロシア軍もドイツのクルップ社から購入した、28センチ臼砲10門を老虎尾半島に据え、隙あらば旅順艦隊を壊滅しようと付け狙い、遊弋する連合艦隊に睨みを効かせていた。
28センチ臼砲の施条(ライフリング)は右回りで、日本の28サンチ砲は左回りの違いがあるものの同型である。
旅順要塞でも沿岸砲として機能していたが、方向射界は360度、最大射程は7,800mあり、不発弾が多かったといわれる日本の28サンチ砲の砲弾に信管を換装し、第3軍に照準を据えて撃ちかえすことができた。
(2)据え付け工事
さて28サンチ榴弾砲の据え付け工事であるが、通常は砲床をコンクリートで固めるため、完成までに3週間~1か月程度はかかるといわれていたが、臨時の特殊砲床が考案され、1門あたり100人ほどの工兵・砲兵がかかりきりで、地面を深く掘り下げ、砂利、土、枕木などの補強材を突き固め一定の層を作り、これを何層か繰り返して完成した砲床に28サンチ砲を据え付ける。
前哨戦の最中にも関わらず、昼夜問わずの突貫工事で9日ほどで完成した。
だが、コンクリート制の砲床の強度とは比べるべくもなく、砲撃を繰り返すと砲床はつぶれてしまう。
そこで、これを補うために、あらかじめ同タイプの砲床を隣にも作っておき、砲床が変形すると28サンチ砲を隣の砲床に移し、砲撃を続けるのである。
(3)砲撃開始
こうして10月1日、東北正面から3km付近に据え付けられた28サンチ榴弾砲は、海軍陸戦重砲隊とともに旅順港、旅順市街に向かって咆えた。
轟音は旅順の山々にコダマし、曲射撃で打ち出された砲弾は各堡塁を超え、着弾すると地震のように地面を揺さぶる。
10月1日から6日までの砲撃では、戦艦ペレスウェート、ポルワタ、ポペーダ、レトウィザンに複数弾が命中し、8月からの海軍陸戦重砲隊による砲撃の戦果も合わせて、旅順艦隊をほぼ壊滅状態に追い込み、日本海軍の焦りをよそに艦隊は放棄されてしまった。
旅順艦隊の殲滅という目標がほぼ達成されたというのに、日本軍が砲撃の戦果を確認できなかったことが残念でならない。
だが、もし艦隊の壊滅を確認できたとしても、旅順要塞が陥落していなければ、有利な状態での講和交渉など期待できなかっただろうと思う。
そして、10月25日までに18門の28サンチ榴弾砲が設置され、いよいよ第2次旅順要塞総攻撃の気運が高まった。
関連記事 驚異的な28サンチ砲の命中率
前の記事 第2次総攻撃(2)前哨戦
第2次総攻撃(4)事前砲撃につづく~
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【乃木大将(7)】第2次旅順総攻撃(その3)
待望の28サンチ榴弾砲到着
第2次旅順要塞総攻撃の少し前、工兵・歩兵が全力を挙げて前哨戦の準備のため塹壕を黙々とトンテンカーン、トンテンカーンと掘り進んでいるころの9月14日、28サンチ榴弾砲6門が大連に陸揚され、直ちに鉄道で旅順に運ばれた。
28サンチ砲は砲身だけでも11トン近くの重さがあり、全て組み立てると26トンにもなる。
貨車から降ろされると、砲陣地まで大勢の兵士が、綱引大会よろしくオーエス!オーエス!
整備事情が良いとはいえない道を人力で引っ張って運搬した。
現代でいえば、ハンドルの無い大型の11トントラックを数十から100人程で引っ張るようなものか。
仮に203高地を占領したとして、標高203mの禿山に引っ張り上げるなど至難の業だ。
その他に、1発あたり217Kgもある砲弾。こいつも運搬しなければ、戦は始まらない。
旅順陥落まで約20,000発、約4,340トンも、エッチラオッチラと各砲兵陣地に運ばれた。
(1)28サンチ砲のルーツ
28サンチ砲は、そもそもドイツのクルップ社をルーツとし、日本軍は製砲技術を習得するために、イタリアの砲兵将校を招聘して、明治20年(1883)に対艦砲として採用した榴弾砲である。
日露戦争開戦時、採用から17年が経過し、20センチ級の大口径砲が主流となりつつある時代、日本陸軍には1.3mもの厚さのベトンで覆われた旅順要塞を破壊できる大砲は、そろそろ旧式化しはじめていたとはいえ、28サンチ榴弾砲が一番の大口径砲だった。
どうでも良い話ですが、アニメの「へタリア」では、擬人化されたイタリアは平時・戦争時の区別なく、徹底して「意気地の無い国」として描かれていますが、確かに一理ある
誤解のないようにいうと、ヘタリアの作者は実に博学ですな。良く世界史を勉強して関心しますです
そのイタリアから砲兵将校を招いていたとは、なんでドイツではなくてイタリアから招いたんでしょうかね?
ちなみにロシア軍もドイツのクルップ社から購入した、28センチ臼砲10門を老虎尾半島に据え、隙あらば旅順艦隊を壊滅しようと付け狙い、遊弋する連合艦隊に睨みを効かせていた。
28センチ臼砲の施条(ライフリング)は右回りで、日本の28サンチ砲は左回りの違いがあるものの同型である。
旅順要塞でも沿岸砲として機能していたが、方向射界は360度、最大射程は7,800mあり、不発弾が多かったといわれる日本の28サンチ砲の砲弾に信管を換装し、第3軍に照準を据えて撃ちかえすことができた。
(2)据え付け工事
さて28サンチ榴弾砲の据え付け工事であるが、通常は砲床をコンクリートで固めるため、完成までに3週間~1か月程度はかかるといわれていたが、臨時の特殊砲床が考案され、1門あたり100人ほどの工兵・砲兵がかかりきりで、地面を深く掘り下げ、砂利、土、枕木などの補強材を突き固め一定の層を作り、これを何層か繰り返して完成した砲床に28サンチ砲を据え付ける。
前哨戦の最中にも関わらず、昼夜問わずの突貫工事で9日ほどで完成した。
だが、コンクリート制の砲床の強度とは比べるべくもなく、砲撃を繰り返すと砲床はつぶれてしまう。
そこで、これを補うために、あらかじめ同タイプの砲床を隣にも作っておき、砲床が変形すると28サンチ砲を隣の砲床に移し、砲撃を続けるのである。
(3)砲撃開始
こうして10月1日、東北正面から3km付近に据え付けられた28サンチ榴弾砲は、海軍陸戦重砲隊とともに旅順港、旅順市街に向かって咆えた。
轟音は旅順の山々にコダマし、曲射撃で打ち出された砲弾は各堡塁を超え、着弾すると地震のように地面を揺さぶる。
10月1日から6日までの砲撃では、戦艦ペレスウェート、ポルワタ、ポペーダ、レトウィザンに複数弾が命中し、8月からの海軍陸戦重砲隊による砲撃の戦果も合わせて、旅順艦隊をほぼ壊滅状態に追い込み、日本海軍の焦りをよそに艦隊は放棄されてしまった。
旅順艦隊の殲滅という目標がほぼ達成されたというのに、日本軍が砲撃の戦果を確認できなかったことが残念でならない。
だが、もし艦隊の壊滅を確認できたとしても、旅順要塞が陥落していなければ、有利な状態での講和交渉など期待できなかっただろうと思う。
そして、10月25日までに18門の28サンチ榴弾砲が設置され、いよいよ第2次旅順要塞総攻撃の気運が高まった。
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