月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

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乃木大将と赤穂義士

2012-02-27 23:14:58 | 歴史こぼれ話
どうでもよい話ですが、実は、とっちもとっちも安い、数千円のカメラを2台持ってまして、毛利庭園で写真を撮ろうとしたら、シャッターが下りない。。。
しかたないので、もう1台のカメラを取り出すと、これがまたシャッターが下りない・・・
それで、被写体を探してグルグルまわって、やっと撮れたのが中ほどの毛利庭園の写真なのですが、なんか写ってませんかね



今年はやっぱり東京も寒いのでしょうね
乃木神社の白梅が一つだけ見事に花を開いていました


六本木の毛利庭園は、江戸時代の長府毛利藩跡地で「毛利甲斐守邸跡」という立札もある。

ここで、元禄16年(1703)2月4日赤穂浪士 岡島八十右衛門他9名が切腹して果てた。

それから146年後、嘉永2年(1849)11月11日、毛利希典はこの江戸藩邸に生まれ、10歳ごろまで江戸で育った。
江戸生まれ江戸育ちなのであるが、幼名を「無人(なきと)」といい、幼少時は非常に体が弱く泣き虫であったため「泣きと」などと陰口をたたかれた


(泉岳寺 赤穂義士墓の門)

その泣き虫は、父より何度も赤穂義士の話を聞かされ、月に三度も泉岳寺に詣でていたという。
死を以って忠義を貫くという精神は、幼少に受けた薫陶と無関係ではあるまい。

乃木の奇妙なまでの古武士の風格は、この幼少時に受けた教育が潜在意識に宿り、明治帝あっての乃木と自負するあたり、本人にとっては極々自然の思考・行動であったのでしょう。
明治帝崩御後の追い腹然り。

ものすごく乱暴な言い方をすれば、赤穂事件がなければ、赤穂義士が長府毛利藩邸で切腹していなければ、赤穂事件から200年後の日本国存亡の危機に、旅順要塞は陥せなかったかもしれないですね。
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