月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

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【乃木大将】3インチ野砲VS有坂砲

2012-04-07 23:19:02 | 乃木大将
  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
   月乃和熊も賛同しております
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 りっくんランド:偵察オートバイ、89式5.56mm小銃/機関銃、74式戦車

3インチ野砲VS有坂砲
1898年(明治31年)日本軍は陸軍の主力砲として有坂成章が開発した31年式砲(通称有坂砲)を採用した。
この31年式砲は、無縁火薬を採用した速射砲であったが、砲架後座式であったため基本的に直接照準で射撃をするたびに、砲車ごと元の位置に戻し照準し直さなければならなかった。
そのため、速射砲といっても射撃速度は1分間に3発程度でしかなく、口径は7.5cm、最大射程6,200mとされていたが、実際の射程距離は5,000m程度といわれる。

これに対し、ロシア軍は1900年式のプチロフ式3インチ速射砲を採用し、間接照準で射撃すると砲身だけが後退して戻る砲身後座式のため、砲車を元に戻す必要がなく発射速度は1分間に15発の射撃が可能であった。

わずか2年間の違いで、野戦砲の性能に大きな差がついてしまった。
発射速度は日本軍の31年式砲の5倍、最大射程距離は1,000mもの違いがあり、開戦当初は射程外からロシア軍に砲撃されたため、防楯も装備されていないにも関わらず、危険を冒しロシア軍の射程内深く前進しなければならなかった。

そこで、開発者の有坂成章は、砲架に修正金具を取り付け、射角を大きくし射程を延伸させるとともに、照準器も改良することで間接射撃を可能とすることを提案。
この修正で、最大射程7,400mにまで延伸すことに成功し、明治38年1月に修正金具600個も完成し、直ちに、大阪砲兵工廠の修理班とともに最前線に送りこまれたが、旅順攻囲戦には間に合わなかった。

旅順攻囲戦の5か月間、恒常的に弾薬不足に悩まされながらも、配備された31年式野砲は120門。
対するロシア軍は、3インチ野戦砲の配備は37門と少なく感じるが、発射速度は5倍であり、射撃できる砲弾数は、単純計算で31年式野砲の射撃数を圧倒的に凌駕していたのでした。
ちなみに、旅順攻囲戦における31年式野砲が消費した砲弾数は、約67,700発、31年式山砲とと合わせて約120,000発が消費されました。

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