いや~とりあえず、生きております。。。
冬眠はしていませんが、ポリープを1個切除しました。。。
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吉田松陰終焉の地(伝馬町牢屋敷跡)
中央区の地下鉄日比谷線の小伝馬町駅近くに十思公園(じっしこうえん)という小さな公園があるが、小さいといえども侮ることなかれ。
実はこの公園は、有名な伝馬町牢屋敷の跡なのだ。
公園内には時の鐘があり、江戸時代は鐘が聞こえる範囲四百町余りから、1軒につき月に1文ずつ徴収して運営されていたそうだ。
伝馬町老屋敷は、慶長18年(1613)から明治8年(1875)まで江戸の牢獄として機能し、牢獄は身分によって分けられ、旗本などの上級武士が収容される揚座敷、士分や僧侶などが収容される揚屋、町人などが収容される大牢、百姓牢、女性専用の女牢などとなっていた。
牢獄なのに”座敷”と呼ぶのは面白い発見だ。
正面に建立されている大安寺はかつての刑場跡で、刑を執行するのは有名な山田浅右衛門であった。
幕末の安政の大獄では吉田松陰や橋本左内など96名が収監され、50名余りが刑殺されたという。
松陰は伝馬町老屋敷に2度も収監された。
最初は安政元年(1854)3月、佐久間象山からアメリカへの密航を勧められたが、渡航に失敗し約半年間”揚屋”に収監された。
松陰が下田から護送され、高輪泉岳寺で休憩の折に詠んだ歌が伝わる。
「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
時の鐘は本来、江戸の市民に時を知らせるためのものだが、はからずも処刑の時刻も時の鐘が教えてくれた。
安政6年(1659)再び収監された松陰は、刑の執行に当たり辞世の歌を高らかに朗誦して刑に臨んだ。
「身はたとひ 武さしの野辺に朽ちぬとも とどめ置かまし 大和魂」
江戸幕府の支配体制から近代への変革期は激動の時代。
松陰をはじめとした幕末の志士達は、やむにやまれぬもどかしさを感じながらも、武蔵野の野辺に高潔な魂を残し、時の鐘の音とともに露と消えていったのであります。
吉田松陰 享年30歳
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実はこの公園は、有名な伝馬町牢屋敷の跡なのだ。
公園内には時の鐘があり、江戸時代は鐘が聞こえる範囲四百町余りから、1軒につき月に1文ずつ徴収して運営されていたそうだ。
伝馬町老屋敷は、慶長18年(1613)から明治8年(1875)まで江戸の牢獄として機能し、牢獄は身分によって分けられ、旗本などの上級武士が収容される揚座敷、士分や僧侶などが収容される揚屋、町人などが収容される大牢、百姓牢、女性専用の女牢などとなっていた。
牢獄なのに”座敷”と呼ぶのは面白い発見だ。
正面に建立されている大安寺はかつての刑場跡で、刑を執行するのは有名な山田浅右衛門であった。
幕末の安政の大獄では吉田松陰や橋本左内など96名が収監され、50名余りが刑殺されたという。
松陰は伝馬町老屋敷に2度も収監された。
最初は安政元年(1854)3月、佐久間象山からアメリカへの密航を勧められたが、渡航に失敗し約半年間”揚屋”に収監された。
松陰が下田から護送され、高輪泉岳寺で休憩の折に詠んだ歌が伝わる。
「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
時の鐘は本来、江戸の市民に時を知らせるためのものだが、はからずも処刑の時刻も時の鐘が教えてくれた。
吉田松陰の碑
安政6年(1659)再び収監された松陰は、刑の執行に当たり辞世の歌を高らかに朗誦して刑に臨んだ。
「身はたとひ 武さしの野辺に朽ちぬとも とどめ置かまし 大和魂」
江戸幕府の支配体制から近代への変革期は激動の時代。
松陰をはじめとした幕末の志士達は、やむにやまれぬもどかしさを感じながらも、武蔵野の野辺に高潔な魂を残し、時の鐘の音とともに露と消えていったのであります。
吉田松陰 享年30歳
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◆毎月1日と13日は月次祭齋行
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