月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

勝海舟、西郷隆盛会見地跡

2014-10-23 18:00:00 | 歴史こぼれ話
---------------------------------
勝海舟、西郷隆盛会見地跡  

JR山手線の田町駅から徒歩3分程度のところに、勝海舟、西郷隆盛の会見地跡の碑がある。
ここは、薩摩藩下屋敷跡。
現在の浜松町駅から品川駅のずっと先まで、JRや京急の線路が敷かれている土地は、当時長い海岸線だった。

慶応4年(1868)、年明けすぐの1月3日から始まった鳥羽伏見の戦いで、
錦旗を掲げ官軍となった西軍に、朝敵となることに畏れをなし、家康の再来とまでいわれた最後の将軍慶喜は、軍艦で江戸に逃げ帰り1月11日には品川に上陸。
2月には恭順を表明して上野の寛永寺に謹慎してしまった。

3月9日 勝は勢いに乗じて駿府まで進軍してきた西軍を率いる西郷隆盛に、幕末の三舟と言われた山岡鉄舟を派遣し交渉にあたらせるも、西郷は江戸総攻撃を3月15日と定め、田町の薩摩下屋敷に入った。

勝は徹底抗戦を主張する主戦派の小栗忠順を退て、単身薩摩の下屋敷に直談判に赴いた。

交渉が決裂した場合の勝の覚悟が凄まじい。
西軍が江戸に総攻撃をしかけると想定し、あらかじめ大量の食料、物資を準備させ、事あらば江戸市民のすべてを千葉方面に避難させるべく、大量の船を準備した。

いよいよ江戸総攻撃が生起したさいは、町人火消の新門辰五郎が江戸の町に放火して焦土化し、幕臣はゲリラ戦を展開して徹底抗戦を図る。

また、軍艦を江戸湾から東海道沿いの沿岸に配備して、艦砲射撃で西軍を攻撃、退路を断つ。

その間に慶喜を救出し海外に亡命させるという、恐るべき作戦を背景に西郷に無血開城をせまり、3月13日と14日の交渉で、勝は歴史的な江戸無血開城に成功したのであります。


勝海舟誕生の地(両国) 2014-10-16

---------------------------------
気が向いたらポチッとな    blogram投票ボタン
blogram会員にはユリノキちゃんからココポイポイントプレゼントがあるかも
---------------------------------
3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!

 忘れない!たすけあおうNippon!飲んで食べて東日本を応援!

たすけあおうNippon!福島県を応援!
飲んで食べて宮城県を応援!
食べて飲んで岩手県を応援!

クリックで救える命がある。
一日一回ポチッとクリックをお願いいたします


<月乃和熊(ツキノワグマ)のリンク集>
零式艦上戦闘機リンク集・・・・・・・・・・・・・熈代勝覧(きだいしょうらん)リンク集
【乃木希典大将】シリーズリンク集・・・・・・・JRで行く南紀・伊勢の旅2013リンク集
国立東京博物館リンク集 2013-11-01・・・・・京都どすえ~!リンク集
早春の箱根総集編 2014-06-25