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零式艦上戦闘機(64) 零戦 vs スピットファイア(1)
1942年の夏、イギリス本国はフィリピンからインドネシアを経て南下の勢いの止まらない日本軍に備え、オーストラリアのダーウィン(日本では『ポートダーウィン』という)に、スピットファイアー隊の派遣を決定し配備作業が始まった。
イギリス空軍の第54飛行隊はスピットファイアを備え、ドイツ軍のイギリス本土侵攻作戦で、ドイツ空軍機を撃退した精鋭が、オーストラリア空軍の二個飛行隊と合わせて、オーストラリア空軍の第一戦闘航空団の指揮下に入った。
司令官は北アフリカ戦線で、当時世界で一番強い戦闘機と思われていた、ドイツ軍のメッサーシュミットBf109など20機を撃墜したエース、コールドウェル中佐だ。
昭和18年(1943)が明けると、第23航空戦隊司令官 石川信吾少将がセレベス島のケンダリーに着任すると、ダーウィンへの攻撃が本格化した。
相生高秀少佐率いる二〇二空飛行隊は零戦(定数48機)、偵察機4機をもって、ケンダリーに進出すると、編隊による長距離移動や猛烈な空戦訓練を開始。
世界最強のドイツ軍戦闘機を駆逐した伝説のスピットファイアと対戦の日が迫ってきた。
ダーウィン攻撃の際には、チモール島のクーパンまで進出し、そこから約860kmを2時間30分ほどかけて翔破し、敵基地攻撃後に空戦を経て、帰還しなければならない。
飛行距離はラバウルからガダルカナルにも匹敵する。
3月2日(昭和18年)、日本軍は組織的な攻撃を開始。
攻撃目標は、ダーウィーンから80kmほど南に入ったバチェラー。
狙いはスピットファイアーの殲滅だ。
一式陸攻9機と相生少佐率いる零戦21機が、クーパンから出撃したが、相生少佐機がエンジン不調で引き返してしまったので、塩水流(しおずる)中尉が上空支援隊の指揮をとり、ラバウル帰りの山口中尉は銃撃隊の指揮をとった。
バチェラー飛行場に侵入してみると、意外に飛行機の数が少なく、山口隊による銃撃で数機を撃破した。
攻撃を終えて洋上に出たところで、10機ほどの敵機に遭遇した。
零戦のパイロットは、P-39エアコブラやP-40と遭遇したと思い込んでいたが、これが、零戦隊が初めて遭遇したスピットファイアだった。
数に勝る零戦隊は20分ほど、スピットファイアと格闘戦を演じたが、スピットファイアは以外にも早く姿を消した。
オーストラリア空軍もスピットファイア26機を舞い上げたものの、燃料不足(航続力不足)で深追いはせず帰投。
初めての遭遇戦は、日英いずれにも損害はなく、引き分けだったのであります。
関連 零式艦上戦闘機(55) 連合国各国に供給されたP-40 2014-08-23
関連 零式艦上戦闘機(57) P-39エアコブラ ミッドシップ戦闘機 2014-09-06
関連 零式艦上戦闘機(66) 零戦vsスピットファイア(3) 2014-11-08
関連 零式艦上戦闘機(67) 日本陸軍機vsスピットファイア 2014-11-15
零式艦上戦闘機(65) 零戦 vs スピットファイア(2) 2014-11-01 につづく~
前の記事 零式艦上戦闘機(63) イギリスの名機スピットファイア 2014-10-18
<関連記事>
零式艦上戦闘機リンク集 2013-09-14
零式艦上戦闘機のお話や、「所沢航空公園」、「零戦来日」の記事はリンク集を見てね♪
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国立東京博物館リンク集 2013-11-01・・・・・京都どすえ~!リンク集
早春の箱根総集編 2014-06-25
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イギリス空軍の第54飛行隊はスピットファイアを備え、ドイツ軍のイギリス本土侵攻作戦で、ドイツ空軍機を撃退した精鋭が、オーストラリア空軍の二個飛行隊と合わせて、オーストラリア空軍の第一戦闘航空団の指揮下に入った。
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世界最強のドイツ軍戦闘機を駆逐した伝説のスピットファイアと対戦の日が迫ってきた。
ダーウィン攻撃の際には、チモール島のクーパンまで進出し、そこから約860kmを2時間30分ほどかけて翔破し、敵基地攻撃後に空戦を経て、帰還しなければならない。
飛行距離はラバウルからガダルカナルにも匹敵する。
3月2日(昭和18年)、日本軍は組織的な攻撃を開始。
攻撃目標は、ダーウィーンから80kmほど南に入ったバチェラー。
狙いはスピットファイアーの殲滅だ。
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バチェラー飛行場に侵入してみると、意外に飛行機の数が少なく、山口隊による銃撃で数機を撃破した。
攻撃を終えて洋上に出たところで、10機ほどの敵機に遭遇した。
零戦のパイロットは、P-39エアコブラやP-40と遭遇したと思い込んでいたが、これが、零戦隊が初めて遭遇したスピットファイアだった。
数に勝る零戦隊は20分ほど、スピットファイアと格闘戦を演じたが、スピットファイアは以外にも早く姿を消した。
オーストラリア空軍もスピットファイア26機を舞い上げたものの、燃料不足(航続力不足)で深追いはせず帰投。
初めての遭遇戦は、日英いずれにも損害はなく、引き分けだったのであります。
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零式艦上戦闘機(65) 零戦 vs スピットファイア(2) 2014-11-01 につづく~
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