まずは被災され、無くなられた方に心より哀悼の意を表します。
そしてこのたび両親、親戚の安否捜索にお力添えいただいた皆様に感謝致します。
八戸はひとまず弟にメールですぐ連絡出来ましたが、父の安否が不明なままでした。
しかし停電していたため連絡が出来ず、メールも出来ない為ショートメールの見方がわからなかったようです。
父の会社にかろうじて電話が繋がったので生きているらしい事はわかりましたが、自宅はどんな具合なのかやらさっぱり不明なままで、数日後に電気が通ってやっと電話が来て自宅の損傷はなく、まだライフラインが不十分な事だけわかり、現在は問題なく復旧したもののガソリンが手に入らなくて困るとの事でした。
父の親戚は岩手の下閉伊郡山田町。宮古の近くの津波被害があった所。
ここも連絡が取れません。
横浜に出てきている従妹のお姉ちゃんにも電話は繋がりにくいのですが、家電でなんとか連絡がついたがやっぱり状況は同じで心配しており、田舎に行くにも道路状況が悪くて通れないとの事。
こちらは昨日やっと親戚のおじちゃんから何度もかけていた携帯に折り返しでかかってきて、宮古の端っこまで出てきてやっと繋がるとの事で、全員の無事が確認されました。
家がなくなった所も有るそうですが、「命さえ有れば何とでもなる!」と。。。
母もやっと昨夜連絡が有りました。
最初に避難していた場所は電波が通じずに連絡が取れなかったそう。
今年から地域のまとめ役になってしまったらしい母は、慕ってくれる若い主婦の方々と団結して隣町の避難所まで移動する事にし、やっと電波が届く所に来れたと連絡があったのです。
母の家は少し高台にあった為、すぐに逃げて命は取り留めたそうです。
ただ、お姑さんは老人ホームごと流されて遺体で発見されたんだそうです。
今はライフラインも心細いけれどかろうじて繋がっており、一番心配なのは亡くなった身内の葬儀のお金だそうです。
避難者の多くがその問題を抱えており、合同葬になるだろうとは思うのですが、田舎の人たちはそれで納得しない人が多いのも現実。被災した自分たちがこれから着の身着のままで生きて行くのにもお金が居るのにと。。。
きたろうの個人口座での義援金募集じゃ信用性に欠けるだろうし、葬式代として募るのも憚られる。。。?
しかし現実に困っているのはまずそこだと。。。
みなイライラして男衆は喧嘩し出すし、年寄りのババ様たちは色々口ばかり出して団結してやってきた母たちの仲間にも色々不満が出だし、母はとにかく謝ってばかりだそうで。
我が強くて我が侭で、とにかく気が強い母でしたが、電話の向こうで泣いていました。
謝るって事が出来ない人だったと記憶していますが、頼られて頑張っているみたい。
母として育ててもらったのは11歳までだったけれど、苦しんでいる親を見捨てられない。
一つでも不安材料をなくしてあげたいと思うのだけど。
うーん、どうしたらいいものか。。。?
どなたか知恵を貸して下さい