当山檀信徒、ご縁をいただいている皆さま、
そして、世界中の人々にお祝いを申し上げます。
遅ればせながら、お釈迦のお誕生日、おめでとうございます。

4月7日(日)、1日早くお釈迦様の誕生を祝う「花まつり甘茶法要」と、
平和祈願・永代供養塔「永遠の光」の15周年節目の法要を営みました。

開式にあたり、お釈迦さまお誕生にまつわる
不思議なエピソードをいくつかご紹介しました。
そして、そのようエピソードをそのまま丸ごと信じても良いし、
そのようなエピソードが、詰まるところ何を訴えているのか?
行間を探っていこうということをお話しました。


お話の後、観音さまの前に設けた花御堂の誕生仏に甘茶を注ぎ、
全員で読経、灌仏(甘茶そそぎ)、お焼香をしました。

引き続き、建立15周年を迎えた供養塔前に移動し、法要を営みました。

ひとつの蓮台の上に、お迎えしているは、
過去佛阿弥陀さま、現在佛お釈迦さま、未来佛弥勒さまです。

全員で供養塔を周歩巡拝、読経とピッタリ回りきりました。

法要後、「亡き方の想いをつむぐひととき」と題して、
今回は永代供養を申し込まれている3名に登壇していただきました。
お借りしたお写真を拝見しながら、生前のお人柄や思い出などをお聞きしました。最後は、いま、どのような事を言ってくれるでしょうという問い掛け。

大龍寺は、都会にあるお寺の割には、
「お檀家さん同士の関係が深い」と他のお寺さんからも評されています。
普段は様々な地域でいろいろな仕事や生活をしている人たちが、
お寺に来ると日常生活とは離れて、誰もが等しく手を合わせお参りをし、
仏さまの御前で言葉を、時々は杯を交わしたりもしています。

お寺にお参りをする様々な私たちに共通していることは、
目には見えないけれど亡き人が背中にいるということ。
でもその亡き人のことを、改めて皆さんの前で話す機会はそうそうありません。
そういうことを話さずに生きていくことが普通のように思われています。

今回、僅かな時間でしたが、こうして亡き人を語っていただき、
それぞれが亡き人を背負って生きているということを改めて感じあうことができました。

最後は缶ビールを囲んで、軽食懇親会。
これまでも何度もおしゃべりを楽しんできましたが、
今回は、これまで以上に親しくなれたような気がしながらひとときを過ごせたようです。
ご登壇いただいた方、ご参加いただいた方皆さまに御礼申し上げます。
そして、世界中の人々にお祝いを申し上げます。
遅ればせながら、お釈迦のお誕生日、おめでとうございます。

4月7日(日)、1日早くお釈迦様の誕生を祝う「花まつり甘茶法要」と、
平和祈願・永代供養塔「永遠の光」の15周年節目の法要を営みました。

開式にあたり、お釈迦さまお誕生にまつわる
不思議なエピソードをいくつかご紹介しました。
そして、そのようエピソードをそのまま丸ごと信じても良いし、
そのようなエピソードが、詰まるところ何を訴えているのか?
行間を探っていこうということをお話しました。


お話の後、観音さまの前に設けた花御堂の誕生仏に甘茶を注ぎ、
全員で読経、灌仏(甘茶そそぎ)、お焼香をしました。

引き続き、建立15周年を迎えた供養塔前に移動し、法要を営みました。

ひとつの蓮台の上に、お迎えしているは、
過去佛阿弥陀さま、現在佛お釈迦さま、未来佛弥勒さまです。

全員で供養塔を周歩巡拝、読経とピッタリ回りきりました。

法要後、「亡き方の想いをつむぐひととき」と題して、
今回は永代供養を申し込まれている3名に登壇していただきました。
お借りしたお写真を拝見しながら、生前のお人柄や思い出などをお聞きしました。最後は、いま、どのような事を言ってくれるでしょうという問い掛け。

大龍寺は、都会にあるお寺の割には、
「お檀家さん同士の関係が深い」と他のお寺さんからも評されています。
普段は様々な地域でいろいろな仕事や生活をしている人たちが、
お寺に来ると日常生活とは離れて、誰もが等しく手を合わせお参りをし、
仏さまの御前で言葉を、時々は杯を交わしたりもしています。

お寺にお参りをする様々な私たちに共通していることは、
目には見えないけれど亡き人が背中にいるということ。
でもその亡き人のことを、改めて皆さんの前で話す機会はそうそうありません。
そういうことを話さずに生きていくことが普通のように思われています。

今回、僅かな時間でしたが、こうして亡き人を語っていただき、
それぞれが亡き人を背負って生きているということを改めて感じあうことができました。

最後は缶ビールを囲んで、軽食懇親会。
これまでも何度もおしゃべりを楽しんできましたが、
今回は、これまで以上に親しくなれたような気がしながらひとときを過ごせたようです。
ご登壇いただいた方、ご参加いただいた方皆さまに御礼申し上げます。