たつのこ半畳記 350

坐禅会情報・四季折々の様子を伝えるときどき日記。
令和3年に開創360年を迎えている起雲山大龍寺のブログです。

★東日本大震災【17】 どこに向かっているのか。何もって復興となるのか。

2012年03月21日 | 震災ボランティア
■平成24年2月20日(月曜日)

追分温泉での一晩を過ごした私たちチームは、
例によって宿のご主人と奥様と共に玄関先で集合写真を撮り、
北上川河口に近い、白浜の西蔵寺さんへと向かいました。

ここは、石巻に来た時には必ず立ち寄らせていただいているお寺です。


 震災発生直後の昨年4月

  原形を留めない建築材、生活用品などが折り重なるように散乱し、
  お寺の建物が基礎と床板程度しか残っていなかった事にショック。
  津波がお寺を襲った時の様子を見ていた方によると、
  本堂などの建物は引き潮に流されていったとのこと。



 5ヶ月後の昨年8月

  集落全体に散乱していたものが取り除かれつつあり、
  お寺の基礎も含めて全て取り払われ、砂利で整地されていた。
  地域全体が青々とした雑草に覆い尽くされていたため、
  前回は感じることがなかった「ほのぼのとした雰囲気」が感じられた。
  唯一残っていた本堂前の仏さまの台座を再利用して
  東日本大震災・津波犠牲者の慰霊塔が建てられていました。



 11ヶ月後の本年2月(今回)

  集落全体が更にきれいに片付けられていた。
  集落内で半壊状態だった家屋が撤去されている所もあった。
  集落内にあったガソリンスタンドが営業を再開していた。
  季節的に雑草が枯れており、昨夏の「ほのぼのさ」が無くなっていた。
  むしろ、震災直後を思わせる寂寥感が強い雰囲気になっていた。  
  慰霊塔は以前と同様。プレハブ小屋が仮置きされていた。





 この西蔵寺さん、桃生の香積寺さんとのご縁があって、
 ずっと石巻・北上を中心にボランティアに来ています。
 被災地はとても広範囲にわたっていますが、
 同じ所に通ったことで、復興の状況を感じています。

 1年を経て、人が住む所は避難所→仮設住宅となったのに、
 津波被害のあった土地は、そう簡単には元通りになっていません。







北上川河口付近(北上総合支所)の堤防。
措定避難所であったはずの支所建物が津波被害にあったそうです。
コンクリート鉄筋の庁舎は震災から手つかずのまま、
一年経ってようやく解体作業に着手したとのことです。







北上川対岸の大川小学校。
校庭に避難していた児童108名中70名が死亡し4名が行方不明、
教職員も10名が死亡し1人が行方不明という痛ましい被害。

当地には慰霊のための母子像が設けられていました。





校庭の奥には児童達が卒業記念で書いた壁書きがありました。





「世界が全体に幸福にならないうちは、


   個人の幸福はありえない・・・・・


               宮沢賢治」



いま、まさに、この言葉が胸に刺さります。





この後、私達は仙台空港に沖縄民謡の新垣優子さんを送り、帰途につきました。
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