日々是好日

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河北潟干拓地の初夏

2015年05月18日 | 日記
5月17日(日曜日)の金沢は青空が広がりました。
家にいるのはもったいないし、さてどうしようかと考えている時に、耳寄りな話が聞こえてきました。
河北潟のひまわり村では今、クリムソンクローバーが満開だというではありませんか。
はて、クリムソンクローバーてどんな花なんだろうと思って車を飛ばしました。

ひまわり村だからひまわりなんですが、この時期、連作障害を避けるために植えられたそのクリムソンクローバーが満開になるということでした。
それを刈り取ってひまわりの種を植えると、いよいよ本番の7月下旬から8月初旬のお日様ぎらぎらな時にひまわりが咲き誇るという訳なのです。


その一面のクリムソンクローバーを撮ってきました。
刈り取って持って帰ってもいいと聞きましたが、そんなことをしている人は見かけませんでした。
ちょっと足を延ばしてメタセコイアの並木道もカメラに収めました。
北海道の広野を思わせる光景が気持ちいいので、いろんな季節に出かけています。

金沢近郊の、日本海につづく河北潟は、干拓されて私の中学生時代の半分以下になっています。
中学時代は友達と釣りに行き、もちろん素人の私たちが釣れるわけもなく、かわりにボート遊びに興じたりしたのですが、あのころの河北潟は水路が入り込んでいてちょっとした探検気分で本当に楽しかった思い出があります。
今の中学生には、絶対許されない遊びだと思いますが、当時も許されていたわけではないのかもしれませんが、別にとがめられることもなく、年に何回か遊びに行ってました。
たいてい北陸鉄道浅野川線の電車を利用しましたが、時には自転車のこともあり、今思うと、金沢でも山の麓のような地区に住む中学生が、海のすぐ横の河北潟まで、電車でも30分くらいかかる所へよく自転車でいったものだと、ひょっとしたら夢だったのかなと思うほどバイタリティにあふれていました。
あのころの仲間はいまどうしているんでしょうかね・・・

当初はコメの増産が目的だったようですが、ご存知のように日本の食事情が変わって、今では干拓地に稲作の田圃は見られず、代わりに色々な野菜や果物が栽培され、牧畜にも利用され、われわれの食卓を飾ってくれています。
しかも、昔はなかったひまわりの群生やメタセコイアの並木道を、大人の今楽しめるのですから、思い出を奪った形の干拓も、まー「良し」としましょう。

金沢城玉泉院丸庭園

2015年04月01日 | 日記
3月14日、待望の北陸新幹線が金沢まで伸び、そういった方面での熱気は一足先に届いてはおりましたが
21日になって、ようやく陽気のほうでも春らしさが漂ってきました。

新幹線開業に合わせて整備が成りました金沢城玉泉院丸庭園を偵察してきました。

写真を見ていると、どこかのテーマパークのジオラマを見ているような感覚があると思いますが、そうなんですよ。
金沢城の二の丸方面からこの玉泉院丸に下っていくと、なんか箱庭を上から覗いているような、そんな感覚におそわれます。何もかも新しいわけですからそう見えても無理はないのでしょうが、思惑通りに100年後に国宝に指定されるような風格が備わるでしょうか?
「100年後の国宝に」が金沢城整備の大目標で、「その志や、よし」と私なんかは思っているのですが・・・

この日、玉泉院丸を見学してお堀端で一休みしていると、結構なご老人が近寄ってきて、「わしは今99歳でな、わしのおじいさんが昔、このお濠の横の石垣の上を通って毎日のように玉泉院丸に化粧品を届けておったんや」という、まるで日本昔話のような話をし始めるのです。このおじいさん本人が99歳だとすると、そのおじいさんだから約150年ほど前の話になるかな、すると幕末になりそうだからあり得るかもな、なんてめまぐるしく計算して「ほーそうなんですか」というあいまいな返事をしたりして少し話し相手になりました。いいたいだけいうと、「じゃーな」といってひょこひょこという感じで歩いて去っていきましたが、その後ろ姿は99歳にしてはしっかりした歩調でした。 幕末に、かのおじいさんが毎日のように通ったという石垣の上の道は、私も中学の時に部活のトレーニングで時々走っていたところなので、そんな歴史もあったのか―と深く感じるものがありました。金沢は、やっぱり、ちょっとしたところに歴史のある街なんだなと再認識した次第です.

金沢城の石垣は、石垣の博物館といわれるくらいに戦国期から幕末にかけて、各様式が揃っています。防衛上の実用のみの石垣や、遊び感覚や芸術上の石垣までいろいろ楽しめます。天守閣はありませんが、資料のないコンクリ造りのハッタリの天守などいらないので、100年後の国宝を目指すという志のまま現在実施されている正確な再現を続けてほしいと望んでいます。

雪の医王山

2014年12月30日 | 日記
今年も後4日となった28日、久しぶりの陽気に誘われて、すっかりお気に入りの散歩コースとなった犀川公園に出かけました。
例年になく、12月から結構な雪になりましたが、金沢は心配されたほどには積もらず、スノータイヤに履き替える時期が早まったくらいで、生活に支障がでるほどではありません。冬はこれからが本番ですからまだまだ気を許すわけにはいきませんが。

掲載の写真は、犀川公園から眺める医王山です。金沢で中学生時代を過ごした人なら必ず全校生徒参加で登る1000mに少し足らないくらいの山ですが、市内のどこからでも見え、振り返って仰ぎ見、その様子を見て住民は季節の変化を知るといった山なのです。少なくとも当時はそうだったと私は勝手に思っています。

中学高校とスキー部で鳴らした私の中学生のころ、秋も深まると、下校の途次に正面に見える医王山に雪が来たか来ないかが最大の関心事でした。雪が見えるようになると平地でも待望の冬はすぐそこなのです。
当時は雪は今よりはるかに多く、38豪雪もまさにその時代でしたが楽しい思いしか残っていません。医王山自体にも何度もスキーに出かけましたが、帰りにはバスが不通になり、バスでは15分位の距離を、中学生だけで道なき道をスキーで3時間ほどかけて滑り降りてきたこともありました。今では整備されてリフトもかかる市民憩いのスキー場(写真正面少し右に見える雪のついた斜面)も、その当時はただの坂というか斜面で、適当に滑り降りるのが楽しくて楽しくて・・・よくも無事に今を迎えられたものだと今更ながらに思います。

犀川公園から雪のある医王山を見ていると、当時のことが次々と思い出されました。
雪が少ないままに春が迎えられますことをひたすら願っている今の自分を思うとき、時の流れに愕然とします。(すぐにその衝撃は忘れますけどね)
雪よかしは本当に腰に響きますからね。




卯辰山公園の晩秋

2014年12月03日 | 日記
11/28金曜日午後の講習がお休みになりました。
久しぶりの青空のなか、卯辰山公園の秋を確かめに車を走らせました。
今回は自転車ではなく四輪の車です。
兼六園はご近所ですが、卯辰山は金沢では女川といわれる(ほとんど地元の人は言いませんけどね)浅野川を挟んだ兼六園とは対岸にある公園です。
山全体が公園になっていて頂上まで歩いても30分、車ではほんの数分のところにあり、兼六園とともに市民の憩いの場、四季を身近に感ずる場所となっています。

紅葉真っ盛り全山色づいていましたが、昔はもっと赤色が鮮やかだったような気がするのですが、「昔は良かった」と何でも言ってしまう年齢にはいってきているのかもしれません。

サムネイル画像を規定より大きく

2014年10月21日 | 日記
サムネイル画像を大きくの練習

gooブログではサムネイル画像の大きさは120×90ピクセルと決まっていて、文中に挿入するにはいかにも小さいと思われる。
そこでこの記事においてはどうやったらもっと大きくできるのかを試してみた。
それは、アップロードした元のままの大きさの画像と小さいままのリンク用のサムネイル画像をいったん編集画面に公式通りにはめ込み、そのあとで元のままの大きさの画像のHTMLのところをコピーしてサムネイル画像のところに貼り付けるという方法である。
もちろん、画像の後ろには望む大きさ、ここではwidrh="320" height="240"を付け加えて大きさを調整することになる。

ついでに、文章を画像の右側に回り込ませるために align="left"も付け加える