お盆期間の8/13~8/16信州長野に一家総出で行ってきました。
長野といえば善光寺、数年前からその善光寺さんとの縁が出来ましたので、皆さんとの交流や、盆踊り大会やなんかに孫たち共々参加したりと、いろいろ盛りだくさんの毎日を過ごしてきました。日中は金沢と変わらず厳しい暑さですが、暑くて目の覚める金沢と違って、むしろ寒さを感じるくらいの長野の朝晩ですからぐっすりと眠ることができ、十分な休養を取ることが出来ました。
14日はみんなと別行動で、かねてから訪れたかった松代のお城跡を散策してきました。
松代は長野市ではありますが、JR長野駅からバスで30分程と、思っていたより遠く、途中、戦国武将中NO1に私が好きな上杉謙信と好敵手武田信玄との長年の合戦の舞台川中島を通ります。この川中島も寄る心づもりでしたが、その心を萎えさせるほどの暑さなので今回はカット、松代駅前でバスを降りました。 松代駅は、駅とは言うものの長野電鉄屋代線の廃線に伴い2012年に鉄路は無くなっています。ほんの4年前まで鉄道があった駅としては駅前の静けさは拍子抜けでした。明治になるまでは藩政の中心地、その駅前という趣は感じられません。
もともと駅前が松代の町の中心ではないのかもしれませんが、それにしてもという感じです。鉄道が信州にも伸びていよいよという時に、松代の町はそこに鉄路を引くことに反対し、国鉄の路線は現在の長野駅の位置になり、結果的に街の発展という点では後れを取ってしまったと聞いていますが、世界的に見てもそういう所は結構多く、ほとんどの町がやはり停滞を余儀なくされてしまったということです。
おかげで、現在、歴史の息吹く、落ち着いた松代の町を目にすることができるわけですから、私たちにとってはありがたいことではあります。松代のお城跡は、その駅のすぐ裏にあるのですが、はじめは気づかず、強烈な日差しのもと、町中を大回りして15分程でやっとのことでたどり着きました。少しでも日陰を求めて歩こうとするのですが、11時ころのことでお日様は真上、思いっきり日光浴を楽しみました。
町中が落ち着いて見える、ひどい表現をすれば活気がないと感じたのは、単に暑すぎて、そんな時間に外へ出てくるような素っ頓狂な人がいなかっただけかもしれません。お盆休みの真っただ中でもありますし。でも、そんな中でもレンタル自転車で松代の町を観光しているらしい中年の男性から、大きな声で呼び止められ、象山記念館はどこですかと聞かれましたが、どこをどう見ても観光の人としか見えないいでたちの私に道を聞くなんてどんな人なんと、ちょっとおいおいという感じを受けました。そういえば、くだんの松代駅の旧駅舎はレンタル自転車の受付をやっていたことも、その時思い出し、この暑いさなかに利用する人なんているのかなと思ったのですが、いましたね。
その象山記念館も予定していましたが、今回の旅のテーマは戦国期の海津城と真田氏の松代城ということに決め、象山の生きた幕末の松代は次回にしようと、あまりの暑さの中でとっさに判断しました。
建物遺構としては再建された太鼓門と北不明門、あとは本丸跡とそこを囲む石垣群とその周りの堀の一部しか残っていませんが、それなりに整備されていてなかなかに見ごたえがありました。
西に南北に流れていたという千曲川は、大分流路が変わっていてまったく見えませんでしたが、海津城跡とある石碑の横を通って本丸跡の石垣に上がると、城より西方の連山の一番右端に見えるのが謙信が陣を張った妻女山らしいのですが目を凝らさないとわからないくらいでした。逆にあの山からだと、この海津城での炊飯の煙がよく見えるのか、どうなんだろうとも思いました。ともかく謙信がその煙を見て山を下り、先ほど通過してきた川中島での大合戦が始まったわけで、まさに戦国を代表する地に立っていたわけですが、謙信ファンの私にとっては妻女山は聖地にも等しいはずなのに、それほどの興奮はありませんでした。
450年も前の話だし、今立っている城はどう見たって江戸期のものだし、それよりなによりめっちゃ暑くて頭がまともに回転しなかったのです。真夏の旅に感動はついてこない、少なくとも青年期をはるかに超えてしまった身には、季節を選ばなくてはと思った次第です。今訪れることができる松代城は、そういうわけで戦国期のものではなく、やはり2016NHK大河ドラマ「真田丸」の真田昌幸の長男・信幸が、大阪城落城すなわち弟信繁の死後に、上田城から移って整備した江戸期の城です。
そういう歴史の目で見れば、また違った感動があるのではと思います。もちろん真夏の時期を避ければ、特にこれからの紅葉の時期にでも訪れると、周囲には自然があふれ、なかなかに趣深い感動があると思います。
長野といえば善光寺、数年前からその善光寺さんとの縁が出来ましたので、皆さんとの交流や、盆踊り大会やなんかに孫たち共々参加したりと、いろいろ盛りだくさんの毎日を過ごしてきました。日中は金沢と変わらず厳しい暑さですが、暑くて目の覚める金沢と違って、むしろ寒さを感じるくらいの長野の朝晩ですからぐっすりと眠ることができ、十分な休養を取ることが出来ました。
14日はみんなと別行動で、かねてから訪れたかった松代のお城跡を散策してきました。
松代は長野市ではありますが、JR長野駅からバスで30分程と、思っていたより遠く、途中、戦国武将中NO1に私が好きな上杉謙信と好敵手武田信玄との長年の合戦の舞台川中島を通ります。この川中島も寄る心づもりでしたが、その心を萎えさせるほどの暑さなので今回はカット、松代駅前でバスを降りました。 松代駅は、駅とは言うものの長野電鉄屋代線の廃線に伴い2012年に鉄路は無くなっています。ほんの4年前まで鉄道があった駅としては駅前の静けさは拍子抜けでした。明治になるまでは藩政の中心地、その駅前という趣は感じられません。
もともと駅前が松代の町の中心ではないのかもしれませんが、それにしてもという感じです。鉄道が信州にも伸びていよいよという時に、松代の町はそこに鉄路を引くことに反対し、国鉄の路線は現在の長野駅の位置になり、結果的に街の発展という点では後れを取ってしまったと聞いていますが、世界的に見てもそういう所は結構多く、ほとんどの町がやはり停滞を余儀なくされてしまったということです。
おかげで、現在、歴史の息吹く、落ち着いた松代の町を目にすることができるわけですから、私たちにとってはありがたいことではあります。松代のお城跡は、その駅のすぐ裏にあるのですが、はじめは気づかず、強烈な日差しのもと、町中を大回りして15分程でやっとのことでたどり着きました。少しでも日陰を求めて歩こうとするのですが、11時ころのことでお日様は真上、思いっきり日光浴を楽しみました。
町中が落ち着いて見える、ひどい表現をすれば活気がないと感じたのは、単に暑すぎて、そんな時間に外へ出てくるような素っ頓狂な人がいなかっただけかもしれません。お盆休みの真っただ中でもありますし。でも、そんな中でもレンタル自転車で松代の町を観光しているらしい中年の男性から、大きな声で呼び止められ、象山記念館はどこですかと聞かれましたが、どこをどう見ても観光の人としか見えないいでたちの私に道を聞くなんてどんな人なんと、ちょっとおいおいという感じを受けました。そういえば、くだんの松代駅の旧駅舎はレンタル自転車の受付をやっていたことも、その時思い出し、この暑いさなかに利用する人なんているのかなと思ったのですが、いましたね。
その象山記念館も予定していましたが、今回の旅のテーマは戦国期の海津城と真田氏の松代城ということに決め、象山の生きた幕末の松代は次回にしようと、あまりの暑さの中でとっさに判断しました。
建物遺構としては再建された太鼓門と北不明門、あとは本丸跡とそこを囲む石垣群とその周りの堀の一部しか残っていませんが、それなりに整備されていてなかなかに見ごたえがありました。
西に南北に流れていたという千曲川は、大分流路が変わっていてまったく見えませんでしたが、海津城跡とある石碑の横を通って本丸跡の石垣に上がると、城より西方の連山の一番右端に見えるのが謙信が陣を張った妻女山らしいのですが目を凝らさないとわからないくらいでした。逆にあの山からだと、この海津城での炊飯の煙がよく見えるのか、どうなんだろうとも思いました。ともかく謙信がその煙を見て山を下り、先ほど通過してきた川中島での大合戦が始まったわけで、まさに戦国を代表する地に立っていたわけですが、謙信ファンの私にとっては妻女山は聖地にも等しいはずなのに、それほどの興奮はありませんでした。
450年も前の話だし、今立っている城はどう見たって江戸期のものだし、それよりなによりめっちゃ暑くて頭がまともに回転しなかったのです。真夏の旅に感動はついてこない、少なくとも青年期をはるかに超えてしまった身には、季節を選ばなくてはと思った次第です。今訪れることができる松代城は、そういうわけで戦国期のものではなく、やはり2016NHK大河ドラマ「真田丸」の真田昌幸の長男・信幸が、大阪城落城すなわち弟信繁の死後に、上田城から移って整備した江戸期の城です。
そういう歴史の目で見れば、また違った感動があるのではと思います。もちろん真夏の時期を避ければ、特にこれからの紅葉の時期にでも訪れると、周囲には自然があふれ、なかなかに趣深い感動があると思います。